第3話 手を繋ぐ、手料理

 彼女ができてしまった。

 彼女ができてしまったのだ。

 彼女ができてしまったのである。

 これだと別の意味に見えるが、とにかく、結城祐介ゆうすけは彼女ができてしまった。

 念願叶かなって、内心転がりまわるほどテンションの上がっていた結城だったが、そこでふとあることに気がつく。


 そう言えば、彼女ができたら何をするものなのだろうか?


 今まで、思春期の少年としては不健全極まりないくらい色恋沙汰に興味の無かった結城である。

 ここ三日間していた妄想も、なんというかモヤモヤした感じで、なんか隣に彼女(仮)がいて自分と幸せそうな感じでなんかしている、という抽象的すぎるものであった。

 午前中の授業をそんなことを頭の片隅で考えながらもんもんと過ごしていたが、やはり自分だけで考えても具体的な考えが浮かんでこなかったので、昼休みになると後ろの席にいる数少ない友人に聞いてみることにした。


「なあ、大谷おおたに。世の彼氏彼女ってのはどんな事するもんなんだ?」


「は? なんか変なものでも食べたのアンタ?」


 いきなり辛辣しんらつな言葉を返してきたのは大谷翔子しようこである。ナイロールの赤い眼鏡をかけた若干恰かつぷくのいい女子である(「お前ガタイいいな」と素直に言ったら、「肉付きがいいと言え」とシバかれた事がある)。

 容姿に関しては少しキツめの印象はあるが実は相当に整っており、少々脂肪を落とせばとんでもない美人になるのではなかろうか。

 ちなみに、一文字違いだが某二刀流メジャーリーガーとは全く関係がない。強いて言うならクラス委員と漫研の二刀流である。


「いやほら、お前恋愛物よく描くって言ってたじゃん。詳しいかと思ってさ」


「アタシが描いてるの男と男のやつだけどね」


「え?」


「てかなに、アンタ彼女できたの?」


「え? あーと……まあ、その、そういうことで」


 初白の事情もあるし隠そうかとも思ったが、自分から相談しておいて隠すのも不誠実だろう。

 あと、彼女ができたことをちょっと自慢したいお年頃である。

 自然と口元が緩んでしまう。


「ニヤけ面が壊滅的にウザいわ」


 相当表情が緩んでいたのだろう。辛辣なお言葉を頂いてしまった。


「しかし、アンタに彼女ねえ。そういうのじんも興味ないと思ってたけど。どんな子なのよ?」


「どんな子?」


 うーむ、と。結城は腕を組んで首をひねる。


「どんな子と言われても、昨日会ったばっかりなんだよな」


「何よそれ? 会ってその日に付き合うことにしたの?」


 あきれた、というように大谷はほおづえをついてため息を吐く。


「まあ、いいわ。アンタらしいかもしれないしね。でまあ、付き合ったら何するかだっけ?」


「お、おう。そう。それだ。ぶっちゃけ、今まで全く興味が無かったから分からないんだよ」


「そうねえ。付き合ってすることと言えばやっぱり……」


「やっぱり?」


「S○Xじゃない?」


「……乙女の恥じらいは無いのかお前には」


「無いわ」


 即答である。男前だった。


「受精卵から生まれといて何を恥じろって言うのよ。それともアンタしたくないの?」


「いや、そりゃもちろんしたいけどよ」


 何せ健全な十七歳である。ニンゲンナノダ。


「でもほら、順序ってあるじゃん……いきなりそういうのは、相手も嫌だろうし……それに、ヤるだけが彼氏彼女ってわけでもないだろ。こう、色々とイチャイチャしたいんだよ」


「ふーん。アンタ意外に乙女ね」


 そうなのだろうか? 自分と同じくらいの年の男というのは、とにかくアレをアレにアレすることだけ考えるものなのか?


「まあいいわ。そうねえ、アタシの今まで見てきた少女漫画とかラブコメとかエ○ゲとかから引っ張ってくるなら」


 最後のは聞かなかったことにしよう。結城たちは健全な十七歳の高校生である。コンプライアンス。


「まずは、手をつなぐとかかしらね。男なら彼女に手料理を作ってもらうとかも人気よ」


「手を繋ぐに、手料理なあ」



 本日はバイトはないため、結城は久しぶりに授業が終わってすぐに帰ることにした。明るいうちに帰るのは久しぶりである。


「手を繋ぐ……手料理……手を繋ぐ……手料理……」


 結城はブツブツとそんなことを言いながら、帰り道を歩いていた。かなり不審者っぽいかもしれないが、大谷から言われたそれが頭から離れなかった。確かに、彼女と手を繋ぐのはなかなかやってみたいことであった。手料理も言わずもがなである。とはいえ、これをどう初白にお願いしようかということである。

 まあ、彼氏彼女なのだから遠慮せずに言えばいいのかもしれないのだが、どうにも恥ずかしい。何より宿を貸している身でそんなことを頼めば、強要しているみたいではないか。

 そんなことを考えつつ歩いていた結城は、いつの間にか自宅の前に到着していた。


「……手を繋ぐ……手料理……」


 ドアノブをひねって玄関の扉を開けた。


「……あ。お帰りなさい。結城さん」


「手を繋ぐ!! 手料理!!」


「はい?」


「え? あ、ちょっと待って、今のノーカンノーカン!!」


 久しくお帰りなどと言われなかったせいか、ただいまの代わりに勢い余って大声でそんなことを言ってしまった結城であった。



「なるほど、そういうことでしたか」


「……はい、そういうことです」


 結城はリビングのテーブルで初白と向かい合って座っていた。

 先ほど玄関で「せっかく彼氏彼女になったんだからやりたいこと」を口走ったのを初白に聞かれ、すのも不自然だったので素直に話したしだいである。

 自分の口から説明するとこれまた恥ずかしかった。

 などと、結城が思っていると。


「……繋いでみますか」


 初白がそう言ってきた。


「え?」


「……手、繋いでみますか?」


 初白はそう言ってテーブルの上に右手を差し出してきた。


「……え、ホントにいいの?」


「は、はい。結城さんは私の彼氏……ですから……」


 自分でそう言って照れたのか、顔を赤らめる初白。自分の彼女の反則的な可愛さに結城も顔が熱くなる。


「で、では、失礼して」


 そう言って恐る恐る結城が手を伸ばそうとしたとき。


「あっ、その」


 初白は消えてしまいそうな小さい声で言う。


「……できれば……優しく、お願いします……」


「あ、ああ、そうだな」


 昨日から気づいていたことだが、初白は誰かが彼女に手を伸ばしたり、少し強めの言葉を使ったりすると過剰におびえる節がある。

 だから、手を繋ぐ時もゆっくりと優しく、である。


「……よし」


 再び覚悟を決めて手を伸ばす。

 結城はテーブルの真ん中に手のひらを天井に向けて置かれている初白の右手を見る。

 白くて小さくて綺麗きれいな手だった。結城のように筋張っていないし、ゴツゴツしてもいない。

 結城は改めて初白を見る。ああ、やっぱりこの娘は綺麗だ。優しげに整った目鼻立ち、つややかな長い黒髪、きやしやだがバランスの取れたスタイル。所作の一つ一つも上品である。少々目つきが悪く、適当に切りそろえた短髪で、一つ一つの所作が雑な自分とは何もかもが正反対で、だからこそかれる。だからこそ、触れることに緊張する。

 そう思いながら手を伸ばして、結城の手が初白に触れる直前。

 結城は気がついた。


「……」


 初白は目をつぶって震えていた。

 普段は穏やかで優しげな雰囲気だが、今はまるで仕置きを恐れる子犬のようだった。

 理由は分かっている。

 初白が着ているお嬢様学校の制服の襟からくっきりと見える青あざと傷跡。

 昨日も見た生々しい暴力の跡だ。

 具体的に何があったかは想像するしか無いが、初白はどうしようもなく人に触られるのが怖いのだろう。

 結城はふっと表情を緩め、手を引っ込めた。


「ありがとうな、初白」


「……えっ?」


 初白は顔を上げ目を見開いて結城を見る。


「怖いんだろ? それでも、手を繋ごうとしてくれてうれしいよ」


「そ、そんな……」


 初白は首をフルフルと横に振る。


「……駄目ですよ、泊めてもらってるわけですし……これくらいは……」


「無理するな。俺はお前も喜んでくれないと嬉しくねえよ」


 初白は申し訳なさそうにうつむいた。


「……すい……ません。どうしても、人が……怖くて……結城さんはいい人だって分かってるんです、でも……」


「いいよ。ゆっくりで、少しずつで」


 結城はそう言って初白に微笑みかける。


「でも、アレだな。最終的にはギュッてしたいな」


「……ギュッてですか?」


「おう。こう両手でガバッとな」


 結城はそう言って両手を広げてベッドの上にある枕を抱きしめる。

 それを見て初白は目を丸くする。


「……あ、もしかして引いたか?」


「ふふ」


 小さく笑う初白。笑うとほんとに可愛いなおい。いずれとは言わず今すぐ抱きしめたくなるぞ。


「……そうですね。少し時間はかかると思いますけど、いつか、私の気持ちの整理がついたらお願いしますね……」


「おう」


「あ、でも、代わりにと言ってはなんですけど、お料理は少しできるので、作りますよ」


「お、ほんとか!?」


 一気にテンションを上げる結城。当然である。彼女の手料理は全男のロマンだ。


「あ、でも、コンビニ弁当買ってきちゃったしな」


「じゃあ、明日あしたの朝ですかね」


「だな。楽しみだなあ」

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