第2章 ひとりきりじゃない日

2-1

 レース編みのカーテンから差し込む朝日が、きらきらと眩しい。


「昨夜はよく眠れたかい?」


 宿の一階にある食堂で、女将がトレイを手に微笑んだ。牛乳を飲んでいたエルが「まさか」と、コップをテーブルに置く。


「眠れるわけないやん。いやあ、熱い夜やったなあ~メイちゃん?」

「へ、変なこと言わないでください! あの、違いますから! すぐに寝ました、それも、ぐっすり!」

「ははっ、アツアツでいいねえ。若い頃を思い出すよ」

「!? 女将さん! 本当の本当に、違うんです!」

「照れなくていいんだよ。お嬢ちゃんは可愛いねえ」


(そういうことじゃなくて!)


 自分たちは恋人でもなんでもないのだと声を大にして訴えたいところだったが、むきになるのも恥ずかしい気がしてメイはがっくりと肩を落とした。


「はあ……」


 昨晩は、本当に何事もなくぐっすり眠れたのだ。申し訳なかったが、エルがベッドを譲ってくれたおかげである。

女将が朝食を置いて他のお客の元へと向かうのを見送ってから、メイは気を取り直して口を開いた。


「エルさん」

「ん?」

「ふざけないで答えてほしいんですけど、昨晩、ちゃんと眠れましたか?」


 今朝はメイが先に起きた。その時エルは、壁にもたれかかるようにして片膝を抱いて眠っていたのだ。一晩中あの体制でいたのだとしたら、快眠なんてできたはずがない。


「そりゃあ無理やで。好きな子が同じ部屋におるんやから、男だったら色々と――」

「ま、真面目に答えてくださいっ!」

「はは、ごめんごめん。メイちゃんからかうと面白いから、つい」

「……エルさんは、『つい』が多すぎです。昨日だって……」

「昨日だって?」

「なんでもありませんっ」


 顔が熱くなったのを誤魔化すように、メイは視線を落とすと焼きたての丸パンへと右手を伸ばした。指先がその小麦色の表面に触れる前に、エルに手を包み込まれる。


「心配してくれたんやな。ありがとう」

「――っ」


 その瞳は今日も前髪に隠されて見えないけれど、きっと優し気に細められている。そんな気がして、胸がきゅっと締めつけられた。


(だ……だめだめ! これじゃあ、完全にエルさんのペースだよ!)


 朝からこの調子では、先が思いやられてしまう。


「どういたしましてっ!」


 ぶっきらぼうに答えて手を離すと、メイは手前に置かれたオニオンスープから立ち上る湯気をじっと見つめた。気をしっかり持とうと、恋愛慣れしていない自分を奮い立たせる。


(よし、そうと決まれば、まずは腹ごしらえから! ああ、いい香り……)


 ネリネ村で過ごした日々の影響で、今やメイにとって食事は欠かせないものになっている。食べずとも問題なく生きていけるが、口にすることで心が満たされるのだ。

 女将の真心がこもっているであろう、とろみがついた黄金色のスープを木製のスプーンでかきまぜながら頬が緩む。エルに声をかけられたのは、飴色の玉葱をすくおうとしたときだった。


「で、メイちゃん。今日はどんなふうに過ごす予定なん?」


 視線を正面に向けると、彼は豪快にパンにかじりついている。


「食事が終わったらすぐに宿を出て、人探しを始めようと思ってます」


 流れるように答えたが、問題はビビアナ半島が思っていた以上に広いということだ。先ほど、食堂の入り口の壁に貼ってある地図を見て驚いてしまった。方向音痴であるため、どう回るのが効率がいいかよく考えて行動しなければならない。


(まずは、人通りが一番多いところから始めるのがいいよね。そうなると……)


「んじゃあ、勇者城の近くで聞き込みするのが得策やな。俺もそうしよう思っとったし、もしよければ城まで一緒に歩かへん?」


 まさに思い描いていた案を口に出されてしまい、メイは眉を寄せ思案顔になった。


(少し隣を歩くくらいなら、問題ないよね? 道に迷って無駄な時間を過ごしたくないから、すごく助かるし……)


「……お城のあたりに着いたら、そのあとは別行動でも構いませんか?」

「まあ、しゃあないわな。好きな奴探すの手伝うなんて、敵に塩送るようなもんやし。……ああ、もちろんメイちゃんの幸せは祈っとるで? 恋敵が現れたら、そのときは正々堂々勝負するだけやしな!」


 どうやら、別行動について納得してくれたようだ。「おばちゃん、おかわり!」と陽気に手を上げているエルを見ながら、メイはぼんやりと考える。


(さっきの、すごくエルさんらしかったな)


 好きな女性とその恋の相手が再会するなんて、おもしろくない展開であるはずだ。それなのに、妨害を考えず正々堂々勝負すると言い切った潔さが格好いいと思った。


 エルの心根はとてもまっすぐだ。嘘ばかりついている自分には、もったいないような人だとあらためて実感する。


(本当に、早く記憶を取り戻してほしいな)


 ふいに、彼の記憶探しを手伝いたいという気持ちがこみ上げてきた。ジュジュについて聞き込みをしながらにはなってしまうが、人手は多い方がいいにきまっている。 


(そういえば。エルさん自身の話って、全然してもらったことがないよね。歩きながら、色々聞いてみようっと)


 そんなことを考えながら、メイはスープを小さく口に運んだ。



 今までの旅で、一時的な宿泊先で食事をとったことはなかった。それなのに、今はこうしてあたたかな風味を心から堪能し、他愛ない会話を楽しんでいる。

 浮かれてはいけないというのに、一人きりじゃないということがたまらなく嬉しかった。

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