1-4

「あの、エルさん! わたし――」

「おいこら! エル坊!」


 怒声が飛んできた。二人そろって顔を向けると、砂埃を舞いあげながらこちらに突進してくる人物が……。


「宿屋の女将おかみさん?」

「うげっ!」

「今日こそ宿代払ってもらうよ! モーニングする金があるんなら、払えるだろう!?」

「や、やばいやばい! メイちゃん、ほなまた!」

「え!?」


 引き留める間もなく、エルは一目散に駆けだした。そのあとを、恰幅のいい中年女性がものすごいスピードで追っていく。


(……エルさん、宿代払ってなかったんだ)


 代わりに払ってあげられたらいいが、少し……いや、かなり難しい。次に向かう予定の場所は海を越えた向こうで距離があるため、思っていた以上に船代がかかるのだ。


(それに、羽根を集めるためにお金がかかるもの)


 人間界には天使狩りで命を落とした同胞たちの羽根がいくつも残っており、メイは旅のかたわらそれらを集めている。

 天使は死したのちに聖なる炎によって火葬され、翼のみ天界にある海に沈められる。海は生命の源であり、やがて雨水となって大地に注がれ、蕾を花開かせると考えられているからだ。亡くなった天使たちが新たな天使を育て産み落とす――そんな命の輪が天界には存在している。

 天使にとって、翼は命そのものなのだ。


 一方。人間界において、天使の羽根は元々幸運のお守りとして広く知られていた。

 天寿を全うした守護天使からお守りとして羽根を託された人間が、厄災から守られたという言い伝えがあるからだ。実際、守護天使の任を終えたときに親しい人間に羽根を差し出す天使は多く、受け取った者たちがそれに感謝し大切にすると誓う光景は、ほんの二年前まで何ら珍しいものではなかった。

 それが、天使が消えた今では、「幸運を招くラッキーアイテム」として高値で売買されている。


 メイはその事実がたまらなく嫌だった。商品として扱われるよりも、「彼女」たちをせめて人間界の美しい海に運びたい――その一心で資金を稼いでいる。


 しかし、これまでの日々で集めることができた羽根は多いとは言えず、手のひらに収まる大きさの小瓶に入れてもまだ余裕があるくらいだ。勇者に羽根を献上すれば量に応じた報奨金がもらえるということで、それを目当てに探している者も多く存在するためである。



 天使狩りの際、勇者は天使の翼を城に運ぶよう指示を出していた。そして収集した翼で純白の旗を作り、人間界に幸運がもたらされるようにとの願いを込めて勇者城の尖塔せんとうに掲げているのだという。

 また、勇者城の兵士たちは万が一悪魔が復活した場合の特攻隊としての役割を王から仰せつかっているが、彼らの防具にも天使の羽根が織り込まれているという話も有名だ。

 勇者が現在でも羽根を集めている理由は明確にされていないが、噂は独り歩きするもので。一部では、羽根を一カ所に集めることによって、莫大な利益を得ている収集家たちを取り締まるためではないかと手放しで賞賛されているような状態なのだ。



(人間たちにとって、勇者は英雄。だから、彼のすることは多くの人から支持される……)


 たしかに彼は魔王を打ち滅ぼし、多くの人を救った。しかし、守護天使たちを皆殺しにした殺戮者でもあるはずだ。

 それなのに何の処罰も受けず城で悠々自適に暮らしているなんて、おかしいことではないのか。


(……創造主は、一体何をお考えなんだろう) 


 勇者と守護天使であった妻を巡り合わせ、子を授け、魔王を打ち滅ぼす力を与えた。――いずれ天使を皆殺しにするような人間に、だ。

 そして、現在人間界に残っている『白百合の扉』は一つだけ。しかも、勇者城がそびえたつ島に位置しているというのは皮肉なものだと思う。


 全て、創造主の戯れなのだろうか。しかし恨んでみたところで、どうすることもできない。

 ただ、この現実を精一杯生きていくほかないのだ。

 それはわかっているのに、ふとした瞬間に泣き虫な自分が顔を出してしまいそうになる。


(……よし、最後の一日頑張ろう!)


 気持ちを切り替えるようにして大きく伸びをすると、メイは店内に戻っていった。

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