第十六話

 救世主が転移魔法で東の砦へとやって来たその時、目の前では、惨たらしい光景が広がっていた。巨大な魔物が、集団で人間を襲っている、まさにその最中に転移した救世主は、その中心へと一気に駆け出した。そして、気付く。

 そこに、いないはずの人物に。


「セラフィーナ!!」


 信じられない想いと、何故ここにという疑問と、助けなければという焦燥感で救世主は正常な判断が出来ない状態だった。


「セラフィーナ!!」


 今まさに、セラフィーナへと襲い掛かろうとしている魔物を目にし、救世主は魔法を繰り出した。

 その魔法は、そこにいた魔物達を全て引き裂き、肉片が辺り一面に飛び散る。

 三十体近くいた魔物が物言わぬ肉塊になったその凄惨な光景は、見る者に恐怖を与えた。

 それはもちろん、セラフィーナも同じだった。


「怪我はないか!」


 セラフィーナの両肩に手を置き、必死な形相で確認してくる救世主に、セラフィーナはこのおぞましい光景に声を出せずにいた。

 先ほどまで魔物の咆哮がけたたましく響いていたのが嘘のように、今ではしんと静まりかえっている。そのことが余計に、セラフィーナを怯えさせた。だが勿論、傀儡魔法のせいで表情には全く出ない。そんなセラフィーナを他所に、救世主はお構いなしに上から下まで怪我がないかを確認して、無事だと分かると今度は疑問を口にする。


「何でこんなところにいやがる!」


 その言葉に、セラフィーナは目を瞠る。随分と焦った様子の救世主の表情を見れば、とても心配をかけてしまったのだろうと、申し訳なさが込み上げた。そんなセラフィーナとは対照的に、突然の救世主の登場に、この場にいた全員が緊張していた。

 ここに救世主が来ることは分かっていたが、軍からの連絡もなく突然現れたことに、心の準備ができていなかったのだ。そしてセラフィーナとのやり取りに、今度は固まってしまっていた。

 救世主と言えば、冷酷で非情だと国中に知れ渡るほどに有名だ。そんな救世主が一人の少女の安否を必死になって確認している姿が、理解できなかった。


「奇跡の実を届けに来ました」

「は?」

「回復薬が盗まれたので、奇跡の実を届けに来ました」

「はああ?」


 理由を告げるも、上手く伝わらなかったようなので、セラフィーナはもう一度少し言葉を付け足して言う。だがそれでも上手く伝わらなかったことに、思わず弟であるキースに顔を向け、助けを求めた。そのキースはというと、顎に手を当て、何やら考え込んでいた。それは救世主がこの空間魔法で作られた亜空間に難なく侵入して来た事実についてだった。

 魔物たちを殲滅した時は確かにあちら側にいた筈なのに、ほんの一瞬でこちら側に入ってきた。しかも救世主は今現在、亜空間に入っていることに気づいていないようだった。もし気づいていたのならば、こんなにもセラフィーナのことを心配するはずはないのだ。

 亜空間にいる限り、魔物が自分たちに触れることは出来ないのだから。


「キース」


 セラフィーナの小さな声で、キースはハッと我に返る。そして瞬時に自分の職務を思い出し、救世主に目を向け、姿勢を正した。


「元帥、我が討伐隊の任務は完了しました。また、元帥による魔物の討伐も完了したようですので、その旨を本部へと報告させて頂きます」

「お、おう」


 セラフィーナの視線を追い、その先にいた人物に、救世主は目を瞠る。セラフィーナと瓜二つの相貌に、思わずまじまじと観察してしまう。彼がセラフィーナの肉親であることは明らかで、思わぬ形で対面したことに、救世主は狼狽えた。


「既にご存知かと思いますが、回復薬が全て盗まれたそうです。衛生部隊が運搬中のものも含めて全て。ここに来るはずの衛生部隊も恐らく襲撃されたようで、未だこちらに到着していません。こちらも怪我人が多く、回復薬が必要でしたので、姉上に回復薬を持って来てもらうつもりでしたが、回復薬が盗まれたということで、代わりに奇跡の実を届けてくれました」


 真剣な面持ちでそう告げたキースに、救世主は目の前の男がセラフィーナの弟だと知り、知らず背筋を伸ばした。随分と緊張している自分自身に困惑し、首を傾げる。だが、セラフィーナ以外の人物の介入に少しばかり冷静さを取り戻した救世主は、何故ここにセラフィーナがいるのかを漸く理解できた。だからといって、納得できる話でもない。そう思い、救世主は不機嫌な声を上げる。


「回復薬が? そんなもん盗んでどうすんだよ?」


回復薬の世話になったことのない救世主らしい物言いに、キースは事の重大さをどう伝えるべきか逡巡する。

 だが、キースの返事よりも早く、違う人物の声が先に響いた。


「元帥、その話は後にしましょう。今は一刻も早く、次の討伐先に向かった方がいいでしょう。そこも学生が討伐隊として派遣されています。まだここのように、生き残っている者がいるかもしれません」


 そう口を挟んだのは、救世主の側近のエグバートだった。そのエグバートは随分と遠い位置から救世主に話しかけている。当然のことながら、声も小さく聞こえ、聞き取りにくい。それはひとえに、空間魔法で作られた亜空間へ、入れないがためであるが、それを疑問に思う者はいない。今はただ、全員が救世主の存在に緊張し、周りを気にする余裕がなかった。


「ああ、だが……」


 チラリとセラフィーナを見遣り、救世主は言葉を濁す。その様子に、キースはひとつ息を吐き出し、救世主へと目を向けた。救世主に意見を言うのは、とても勇気のいることだった。


「確かにそうですね。こちらの処理は私たちで行います。南の教会には私たちの同胞が向かいましたので、できればそちらを優先して頂ければと思います」


 一礼をして言外に助けて欲しいとキースが言えば、元帥としての立場からも頷かない訳にはいかない。だが救世主としては、思いかけずこんなところで出逢ってしまったセラフィーナに、心を持っていかれてしまっていた。もう少し話がしたいなどと思いつつ、セラフィーナを安全な場所まで送っていきたい衝動に駆られてしまう。


「セラフィーナ、送っていく」

「いえ、結構です」

「だが……」


救世主の台詞に、ここにいた全員が驚く。そしてそれに間髪入れずそれを断ったセラフィーナにもまた驚いていた。かの大国を見捨てた救世主の台詞とは思えない言動に、誰もが信じられない思いで救世主に目を向ける。そしてその救世主の申し出を即答で断るセラフィーナにも、同じような思いを抱いた。

 それでも、エグバートだけは冷静に言葉をかける。


「こうやって言い合いをしている時間も惜しいです」

「転移魔法ならすぐだ」

「その時間が惜しいと言っています」


 何とか南の教会へと向かわせたいエグバートは、この少女ならば説得ができるのではないかと、セラフィーナへと顔を向ける。その意図を察したセラフィーナは、救世主を説得すべく口を開いた。


「救世主様、お願いします。弟の同級生たちを助けてあげてください」

「……っ、それは勿論、助けるつもりだ」


 全く感情の上らない、抑揚のない声で言うセラフィーナに、エグバートは思わず諦めのためか首を振りそうになってしまう。だが、思いの外その願いはすんなりと救世主に受け入れられた。そのことにやはりその場の全員が目を見張る。


「よろしくお願いします」


 深く腰を折った後、セラフィーナはまっすぐと救世主の目を見つめた。不思議なことに、全く感情の見えない筈のセラフィーナの表情であるにも関わらず、救世主にはセラフィーナの奥底にある感情が手に取るように解っていた。きっとその無表情の奥底では、弟の仲間達が心配で仕方がないと思っているのだろうと、救世主は確信していた。


「分かった。だが、お前もちゃんと帰れよ」

「はい」


 こくりと頷いたセラフィーナを見て、決心がついた救世主は、エグバートと共に転移魔法でその場を後にした。



 救世主が立ち去ってすぐ、キースはセラフィーナを労うように、笑みを浮かべた。だが救世主が亜空間へ難なく入り、そしてまた、全く自然に亜空間から出て行ってしまったことに、言い知れぬ脅威を抱いていた。それでもそれをセラフィーナには悟らせないようにと笑顔を作る。


「姉上、改めて礼を言います。ですが、回復薬が盗まれるとは、面倒なことになりましたね」

「そうですね。今頃お父様は大変忙しくなさっているでしょうし」


 神妙な面持ちで話し始めた二人に、フランセスが近づき、セラフィーナへと声をかけた。


「セラフィーナ、いつの間に元帥とあんなに親しくなったんだ?」

「少しばかり、お話をする機会がありましたので」


 フランセスの質問に、セラフィーナは居心地の悪さを感じてしまう。それは、学園で囁かれていた、救世主とフランセスの恋仲という噂からだった。


「少しという割には、随分と打ち解けていたようだが」

「そうでしょうか」


 全くの無表情で何の抑揚もない声に、フランセスは思わずといった感じで溜め息を吐いた。

 フランセスにとってセラフィーナは、嫉妬の対象であった。取り柄と言えば見目くらいなもので、無感情の無表情なセラフィーナは、皆から気味悪がられ、避けられる存在の筈なのだ。それなのに、その見目の良さから、男に言い寄られることもよくあり、実は人気も高かった。それに引き換え、フランセスは見目はそれなりに良い方ではあるが、女騎士として名を挙げているせいか、男が寄ってくることはない。婚約者がいるというのも理由のひとつだろうが、その婚約者とも政略によるものであり、相手側には恋愛感情はなかった。そしてなにより、セラフィーナはとても家族に恵まれていた。父親は薬学部でセラフィーナのこの症状を治すべく日々研究を続け、弟であるキースもまたセラフィーナをとても大事にしているという噂が流れていた。自分の家族とは余りにも違う家庭環境に、フランセスは憤る。


「こんなにも感情のない人間と話をしても、つまらないと思うが⋯⋯見目が良ければそれでいいのかもしれんな」


 その物言いに、セラフィーナはフランセスが嫉妬をしているのではないかと勘ぐった。だがどう言い訳をしていいのか分からず、押し黙る。


「この後は軍の仕事だ。セラフィーナはもう帰れ」

「はい」


 ここまで黙って聞いていたキースは、フランセスへの認識を改めなければいけないと思っていた。セラフィーナから聞いていたフランセスという人物は、セラフィーナの盾となり常に庇って守ってくれる心優しい人物の筈だった。だがその人物像と今の台詞が余りにもかけ離れていることに、人間の本性などこんなものかと落胆していた。それでも、セラフィーナの学生生活の中で、酷い虐めや嫌がらせがなくなったのも事実なのだろうと、キースは何とか心の折り合いをつけた。

 

 それよりも、問題は救世主の方だった。今現在もまだ、空間魔法でこの場所の空間は切り離してある。にも関わらず、救世主は難なくこの空間へと足を踏み入れ、セラフィーナへと触れることが出来た。それは救世主もまた空間魔法を使えるのだとキースに知らしめた結果になる。その証拠に、エグバートはこの空間に入ることが出来ずに少し遠い位置でこちらの会話に加わっていた。そして一番の懸念は、救世主のセラフィーナへの執着だった。何故救世主がセラフィーナにあそこまで固執するのかが分からなかった。だが、キースはひとつの結論に辿り着く。


「姉上の傀儡魔法に、気付いたのか? それとも、精霊族だと気がついたか?」


 それはセラフィーナだけでなく、自分たち家族、そして精霊族をも巻き込んだ最悪の結論だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 大穴から放たれた魔物を全て討伐し終え、事態は一気に終息へと向かっていた。救世主が最後に向かった南の教会は、結局誰一人救うことはできなかった。

 たくさんの犠牲者を出した今回の大穴だが、開いた原因は未だに掴めていない。

 各地に派遣された軍隊からの報告書が上がる中、この討伐の最中に起きた回復薬の窃盗事件はまだ解決していなかった。

 そして新たな事件が起きる。


「ジョナス・プラチフォードが行方不明?」


 総督であるグレアムのもとに入った第一報は、衛生部隊の隊員からのものだった。


「盗まれた回服薬は、既にただの水になっている筈です。それが分かり、今度はその制作者であるプラチフォード卿を拉致したのだと思われます」

「奇跡の実を所有しているのも彼だしな。そう考えれば誘拐されるだけの理由はあるな」


 回復薬が盗まれて直ぐ、既に怪我人の手に渡っている物は直ちに使いきってしまうよう軍から指示が出された。その後、ジョナスによって、全ての回復薬をただの水に変える処置が取られた。そのため、今現在は新たに回復薬を作製している最中なのだが、休憩に入ったジョナスが、その後全く姿を見せず、家にも帰っていないことが分かり、事件が発覚した。既に丸一日が経っている。


「はい。ですが、プラチフォード卿は言っていたのです。絶対に誘拐などされない万全の対策を講じていると」


 先日の万能薬の説明会での言葉を思い返し、衛生兵は苦い表情を浮かべた。


「その対策が、甘かったということもあり得るな。それに裏を返せば、わざと捕まったということもあるかもしれん」

「わざと、ですか? 一体何のためにですか?」

「犯人を捕まえるためなのか、二度とこのようなことが起こらないようにするためか、あるいは、犯人の目的を知るためか⋯⋯」

「わざわざ危険を侵してまで、する価値があるのでしょうか? それこそ軍が動けば自ずと分かることですし」

「確かにな⋯⋯ということは、やはり対策の失敗ということだろう」

「はい」


 グレアムにとっては、ジョナスの誘拐は面倒なことこの上なかった。犯人がクリスだと判っている今、既にグレアムは秘密裏に動いていた。が、そこに人質が加わることで、計画は大きく変わってきてしまう。狂人となってしまったクリスではあるが、グレアムにとっては幼馴染だ。出来れば誰にも知られることなく、事を収めようと目論んでいたのだ。グレアムもまた、この国の三大貴族に名を連ねる者であり、それが出来るだけの権力もあった。今回のジョナスの件を受け、軍を上手く抑えることも出来なくなりそうだと、グレアムは計画の見直しをするかどうかを迷う。


「今現在、窃盗犯の捜索は進んでいる。捕まるのも時間の問題だろう。もしプラチフォード卿が人質に取られてしまった場合のことも考え、しっかりと作戦を立てて事に当たる。報告ご苦労だった」

「はっ」


 敬礼をして立ち去る衛生兵の背中を見送り、グレアムは小さく息を吐き出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ご無事で何よりです。フランセス様」


 深く腰を折った侍女に、フランセスは複雑な表情を浮かべた。


「父上は?」

「軍部の方へ、出向いております。奥様も今は外出しております」

「そうか」


 フランセスが東の砦を後にしたのは、救世主が魔物を倒してすぐのことだった。セラフィーナには後のことは任せろと豪語したが、実際フランセスは実戦は初めてで、足手まといになっていた。それを見兼ねて先に返されたことに、フランセス自身、打ちひしがれていた。のこのこと生きて帰ってきたことも、フランセスにとってはバツが悪い。


「フランセス様、先ずは湯浴みを」


 そう言って屋敷の中へと促す侍女に、黙ってついていく他はないかと、フランセスは一歩を踏み出した。だがそこで、静かに声がかけられる。


「何だ、戻って来たのか? 私と同様、悪運だけは強いようだな」

「兄上」


 杖をつきながら、フランセスの方へとゆっくりと歩みを進める自分の兄に、フランセスは目を合わせられず、俯いた。戦場で死ぬことも、囮にもなれず、のこのこと帰って来てしまったことに罪悪感が込み上げる。


「お前はもう、婚姻を結んだらいい」

「え?」


 突然の兄の言葉に、困惑しきりでフランセスは首を傾げる。


「母上は今、教会で祈りを捧げている頃だろう。俺の時もそうだったらしい。母上の祈りは聞き届けられ、俺たちはこうして戻って来ることができた。俺は軍にも戻れず、この家のお荷物だが、お前は違う」


 フランセスが五体満足で帰って来たことは、一目瞭然だった。嫁ぐことに何ら問題はないのだろうと、確信を得ての言葉だった。だがフランセスは、前線に送り出された時の言葉を思い出し、項垂れる。『死んで来い』そう言われて、何の功績も残せず帰って来たことを恥じていた。


「お祖父様は、許してはくれないと思います」

「………泣いていたよ。じい様は、一番上の兄が死んだ時も、今回お前が出立した時も、泣いていた」


 静かに告げられた兄の言葉に、フランセスは目を伏せる。ひと雫、頬を流れた涙が床へと零れた。ゆっくりとフランセスへと歩みを進め、手を握る兄の目にも涙が滲む。


「よく無事に帰って来てくれた」


 家族を失うことの辛さは、長兄が戦死した時点で、もう十分に理解している二人は、ただ涙を流した。今ここに存在している互いの温もりを確かめ合い、そして生きることを許してくれる家族の優しさに安堵した。


「さあ、ゆっくりとお休み、フランセス」

「……はい」


 小さく頷いたフランセスは、遠い昔のことを思い出す。幼い頃、こうやって兄に手を引かれて歩いた優しい思い出に、静かに目を伏せた。


「兄上、ありがとうございます」


 漸く地に足が付いたような気がしたフランセスは、素直に礼を述べる。それをしっかりと受け止めた兄は、小さく笑んで、頷いた。


「おかえり、フランセス」


 まだ言っていまかったなと、紡がれた言葉は、フランセスの凝り固まった心を容易に溶かしていった。


「ただいま、戻りました。兄上」


 そう言ってもう一度、雫を零した。




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