第二話

 学園からセラフィーナの家までは、徒歩で15分程かかる。貴族令嬢でありながら迎えの馬車が来ないのには、家が近いからという他に、特殊な理由があるからだった。

 彼女の家族は全員が空間魔法を使える。転移魔法とは異なるが《しるべ》『導』と『強い意志』さえあれば行きたいところにどこへでも行けることから、馬車を所有していない。そしてもう一つの特殊な理由から、使用人も一人も居ない状態だった。下級貴族の弱小貴族、流石にこれは由々しき問題なのだが、当主であるセラフィーナの父親は特に気にしてはいなかった。また、セラフィーナの母親は社交界には一切出ず、家に引きこもっているので、世間の醜聞に晒されることもない。

 セラフィーナの一つ下には弟がいるのだが、彼は全寮制の士官学校へ入っている為、貴族階級を重んじない学校の制度のおかげで、厳しい戒律以外に心を痛めることはなかった。

 そしてセラフィーナはというと、感情が抜け落ちていることが原因で、『動く人形』と揶揄されている。だが、特に誰かから酷く罵られることもなく、平和な毎日を送っていた。それはひとえにフランセスの取り巻きの一人だというのが大きい。そんなセラフィーナに、重大な危機が訪れようとしていた。


 家に帰り着き、一歩屋敷の中に足を踏み入れたセラフィーナは、先ほどのフランセスの取り巻きたちと同様に、その場に崩れ落ちた。

 セラフィーナはただただ恐怖していた。


「まあセラ、どうしたの!」

 

 セラフィーナが帰って来る頃だと、母親のセシリーが屋敷の入り口へと顔を見せれば、蹲るセラフィーナを見つけ、慌てて駆け寄って来る。


「お母さま……」


 力なく呟いたセラフィーナは、けれど安堵の溜息を吐き出した。


「まあまあ、大丈夫なの、セラ?」


 心配そうに顔を覗きこんでくる母親に、セラフィーナは「はい、もう大丈夫です」と心配をかけないように薄く微笑んでみせた。


 動く人形と言われているセラフィーナには、しっかりと感情が備わっている。ただ極度の上がり症で、人前で話すことがとても苦手なのだ。

 そんなセラフィーナは、幼少期に人間関係で躓いた。ただでさえ上がり症な上、母娘で整いすぎた容姿は嫉妬の対象にもなる。他人からの誹謗中傷にさらされ、引きこもりがちになってしまったセラフィーナを心配した母セシリーが、『傀儡魔法』を使ったのが「動く人形」の始まりだった。

 傀儡魔法は人の身体を操る魔法で、本人の意思は反映されず、術者の命令を忠実に遂行するというもの。そしてその魔法を受けている間の言動は本人の記憶として残るのだ。

 最初は母親がセラフィーナに魔法を施していたが、外に出る度に母親に頼らねばならないことに申し訳なさを感じ、自分を変えようとセラフィーナは努力した。だが上手く行かず、気づけばセラフィーナ自身が自分に魔法をかけるようになっていった。 

 自分自身に魔法を施すと、自分の意識はどうなってしまうのかとセシリーがセラフィーナに問へば、家の中から窓の外を見ている感覚だと答えた。自分自身に魔法をかけるということは、当然自分の意思が言動にも反映される。本来の自分としての考えを言葉にしていることは、セシリーに操られている時のような、相手を騙しているという罪悪感が生まれにくい。

 そんなこともあり、十八歳になった今でも セラフィーナは傀儡魔法から脱却出来ないままでいた。



 暫く蹲っていたセラフィーナは力の入らない足を叱咤し、ゆっくりと立ち上がろうとする。慌てて手を貸してくれる母親に礼を言いつつ、学園を出る際に何があったのか、自室に向かいながら話し始めた。


「救世主様が、今日学園にお越しになったのですが、同じ軍属のフランセス様になんの予告もなく攻撃を仕掛けたのです」

「攻撃?」


 余りにも学園にそぐわない言葉に、セシリーは首を傾げる。


「はい。然程強い魔法ではありませんでしたが、直撃すればそれなりに大怪我をしていたと思います。フランセス様が即座に結界を張ってくださったので、大事には至りませんでしたが、もしも、と考えると……」


 先ほどの光景を思い出し、セラフィーナは背筋をぞくりと震わせた。

 黙って聞いていたセシリーは、神妙な面持ちでセラフィーナの背をさする。


「今日、お会いして分かったのですが、救世主様は本当に強大な魔力をお持ちのようです。それに、魔力の扱い方もとても熟知していて……もしかしたら、私の傀儡魔法も見破られてしまうかもしれません」


 救世主の内に秘めた魔力の高さを肌で感じたセラフィーナは、そのことを最も危惧した。

 フランセスとの恋仲が噂される救世主は、彼女と長く一緒に居たいがために学園へ来るのだと誰かが言っていた。それはすなわち、フランセスの取り巻きの一人として、セラフィーナが救世主と接する機会が多くなるということだ。そうなれば、無感情のセラフィーナを気味悪く思ったり、不審がるかもしれない。結果、排除するに留まればいいのだが、セラフィーナの傀儡魔法に気づく可能性も出てくる。そうなった場合どうなるのか、そこまで考えてセラフィーナは戦慄した。


「お母様、傀儡魔法を使える者はほとんどいないのですよね?」

「ええ、そうね……」


 考え込むように俯いたセシリーに、不安気にまたセラフィーナが尋ねる。


「では、もしこれが国の上層部にでも知られたら、どうなるのでしょうか?」

「それは……」


 苦しそうに顔を歪めたセシリーに、セラフィーナは息を呑む。今現在、セラフィーナの父親はその高い能力を買われ、強制的に国に働かされている。その事実が余計にセラフィーナを不安にさせた。


「多分、国の為にと大義名分を押し付けられて、永遠に幽閉され、良い様に扱われるでしょうね」


 それはセラフィーナだけではなく、間違いなく母セシリーも同じように幽閉されてしまうことを示唆していた。そんなことになれば父と弟はどうなるだろうとセラフィーナは考える。家族を返せと声を上げれば、同じようにどこかに幽閉されてしまうかもしれない。また声を上げなくても同じような結果になる可能性もある。


「でも私達には空間魔法があるのだから大丈夫よ。いざとなれば、他国へ逃げることだって出来るわ」


 確かにそうだと胸を撫でおろしたセラフィーナは、それでも極力救世主の目につかないように、フランセスの周囲にいる時も、今まで以上に息を殺しやり過ごそうと決意する。

 だがセラフィーナの危機は、また新たな形でやって来た。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「紹介します。こちらはハドリー・カルヴァート様です。皆さん、ご存知かと思いますが、我が国の三大貴族に名を連ねるカルヴァート家のお方です。急遽、特殊な事情によりこの学園を視察することになりました。授業参観に似た形で視察を行うそうですので、皆さん、くれぐれも失礼のないようお願いしますね」


 朝、教室へと足を踏み入れた教師の後に続き、一人の青年が入って来た。

 一目で軍人と分かるほど、背筋はピンと伸び、堂々としていた。短く刈られた金の髪に翠の瞳が印象的で、容姿は至って普通だが威厳が感じられる。そのせいもあって、教室内に緊張が走る。殆どの生徒は彼が誰なのか直ぐに認識出来たようで、教室内の空気が張り詰めた。

 唯でさえ、昨日の救世主の登場で学園内はピリピリとしているのに、教師から紹介された青年、ハドリーに益々生徒たちは落ち着きを欠いてしまう。


「皆さん、よろしく。まあ視察といっても、ほんの数時間のことなので、そんなに畏まらなくてもいいですよ」


 特に行事のないこの時期に、視察というのも不自然だと、生徒たちの間で憶測が広がった。ハドリーはこの学園の卒業生で、三大貴族の一人ということもあり、彼が今現在、軍に所属していることを知る者が殆どだ。またこの時点で軍服を着用している事実が任務中を表しており、『特殊な事情』というのが救世主がらみだろうと生徒たちは推測する。

 救世主の伴侶となる者をこの学園から探すなど、ただの噂でしかないと思っていた生徒たちは、動揺を隠せないでいた。救世主と言えば聞こえはいいが、その性格はかなり荒く、庶民の出ということもあり、歓迎している者は余りいないのが現状だった。その反面、婚姻すれば王族と同等の権力を手に入れられるとあって、一部の間ではそのことに期待を寄せる生徒もいる。


 ハドリーが一番後ろに用意してあった椅子に腰掛けると、いつもの朝の朝礼が始まる。そんな中、ハドリーは一人の少女に目を向けた。対角線上にいるハドリーからは、かろうじて少女の顔が窺える。この場所に椅子を構えるように学園側へ指示を出したのはハドリーだった。

 窓際で無表情に真っ直ぐと前を向く少女、セラフィーナは、本当に人形のように整った顔をしていた。長い銀の髪と瞳、そして真っ白な肌は作り物めいた感覚をハドリーに与えた。『あれが動く人形か』そう心で呟き観察をする。ただじっと座っているだけでは何も分からなかったが、朝礼後、セラフィーナへ声を掛けたことで、その異様さが露見した。


「君が人形か。昨日は元帥に対して、ずいぶんな態度を取ったそうじゃないか。これがどれほどの重罪か分かっているのか?」


 セラフィーナの席の前に立ち、いきなり説教を始めたハドリーに、セラフィーナは心の中で首を傾げた。

 確かに昨日、救世主を無視する形でその場を立ち去ったが、特に問題があったとは思わなかった。救世主ともなれば、一介の下級貴族など意に介さないか、居ないものとするだろうと思っていたからだ。

 それよりも初対面の人間に『人形か』と問いかけるのはどうなのだろうと、セラフィーナは思った。セラフィーナ自身、自分を人形だとは思っていないし、認めてもいないのだ。

 だが、ハドリーが口にした『重罪』という言葉は、セラフィーナを動揺させた。だからと言って、傀儡魔法をかけているので表情が動くことは全くない。

 座ったままでは失礼かと思い、セラフィーナはその場で立ち上がる。自分の名前を名乗るべきかと考えるも、人形と呼んだ時点で名前などどうでもいいのだろうと、開きかけた口を閉じた。

 じっとハドリーの瞳を見つめたセラフィーナは、ふとあることに気がついた。そのことを口にはせず、先ほどのハドリーの言葉に疑問を呈した。


「……重罪ですか?」


 そのことで何かしらの罪を背負うことになれば、家族に迷惑がかかる。そうならないためにも慎重に事を運ばなければと、セラフィーナはハドリーに問いかけた。


「そう、重罪だ。取り巻きの一人ならば、フランセスの顔を立てるのは当然の義務であろう。その場で動けた者がいたというのは非常に良いことであったのに、元帥を無視し、挨拶ひとつせずに立ち去るなど、あってはならないことだ」


 こちらに非もないのに急に攻撃をしてきたことを棚にあげ、挙げ句こちらから挨拶をしろとはずいぶん横暴だと思わずにいられなかった。

 セラフィーナはそっとフランセスの方へ視線だけを向けた。そこには神妙な面持ちで静かに事の次第を見守るフランセスがいた。その後ろにはいつもの取り巻きたちがひそひそとほくそ笑みながら話している。

 納得のいかないセラフィーナは何も答えず黙りこんだ。無表情なので不満に思っていることは伝わらないが、何も答えないセラフィーナに、ハドリーはわざとらしく大きな溜め息を吐いてみせる。


「我々人類は、救世主殿に生かされている。それは理解できるな?」


 セラフィーナは相変わらずの無表情で何も答えなかった。


「この国は今年に入って二度、存亡の危機に直面した。それを阻止し、この国を救ったのはまさしく救世主殿だ。もし救世主殿が魔物を殲滅していなければ、間違いなく我が国は亡国となっていただろう。彼の国のようにな」


 去年の中頃に起こった惨劇のことを言っているのだろうと、セラフィーナは考えた。彼の国とはこの南大陸で一番の大国だった二つ隣の国のこと。百年に一度開くと云われている魔の大穴が開き、その大穴に一番近かった彼の大国が魔物の大群に襲撃された。たった一晩で滅ぼされた国。そして蹂躙の限りを尽くしたにも飽き足らず、この国にも襲い掛かって来た魔物達を一瞬で屠ったのがあの黒い髪の青年、救世主だ。それは誰もが知る事実であり、セラフィーナも同様だった。

 そしてもう一つの真実がある。彼の大国は救世主に見捨てられたのだ。彼の大国の国王は救世主の逆鱗に触れ、見限られたのだという話も世界中に浸透していた。

 この国は救世主によって『生かされた』。そしてこれからも襲い来る魔物達を屠ってくれる救世主がいなければ、彼の国と同じ末路を辿ることになる。それを『生かされている』と言うのならば、間違いなくそうなのだろうとセラフィーナは納得した。


「良く理解出来ました。救世主様が伴侶をお探しの間に、何としてもお詫びを申し上げたいと思います」

「ああ、そうしてくれ」


 深く腰を折ったセラフィーナに満足したのか、そう短く告げたハドリーは窺うようにセラフィーナの銀の瞳を覗き込む。まるで生きている人間とは思えないほどに生気の感じられない瞳は、光さえも映していなかった。その異様さに目を瞠るも、何も言わずに自分の席へと戻っていった。そして考える。

 あれは魔法によるものではないのかと。自分の知る限り、これに酷似した魔法を二つ知っていた。それを確かめるためにこの学園に視察に来たのだが、その二つの魔法とは明らかに大きな違いがあることに気付き、ハドリーは首を振る。もしこれが自分の知る魔法であったならばと、希望を捨てられないハドリーは、今後の救世主と人形とのやり取りで、少しは真実に迫れるのではないかと打算する。


「まあ、上手く彼の興味を引けるか、そこだけが不安だが……」


小さく呟いたハドリーの表情はどこか楽しげなものだった。

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