第2話 目指せ活版印刷。お金を稼ぐためにダンジョンだ。

 混沌の神によってこの世界に転生させられた元ワナビサラリーマン。

 今はこのエルネスティーネ・エーレンベルクという少女に転生した自分は、現状の自分の状況を確認する。まず、今の自分の家はエーレンフェルス家という辺境伯の貴族であり、自分はその中の三女であるという事。

 辺境伯とは、簡単に言えば地形的に辺境の脅威から国土を守るための守護役のような物である。中央から独立し、大きな権限を持っている彼らは、単なる伯爵よりも上であり、侯爵に近い。

 異民族、異種族から国土を防衛する役割を持つ彼らは、大きな権限と大きな領土を有しており、極めて重要な存在である。


 特にここ、エーレンベルク領は、混沌の領域と、法の国との国境に面する非常に重要な戦略的要地とも言える場所である。

 しかも、今代は子供はみな女性ばかりであり、新しく辺境伯を継いだアーデルハイトも女性ではあったが、その優れた軍事的才能とハイオークすら単独で打倒した個人戦闘力でこの領地を治めることを認められている。


 たまに勘違いしてただの田舎者扱いする者たちや、女性だからと侮る者たちを、彼女はその武力で黙らせていた。

 そのためこの領地は基本的に武闘派でもあり、一番上の長女、アーデルハイト大姉様はフルプレートアーマーとロングロードを持って最前線で戦った事もある現役バリバリの騎士である。


 そして、このノイトラール国は”天秤”に属する中立神を報じる中立に属する国の一つである。だが、現状でこの大陸はほぼ全て法の神に属する国によって支配されている。混沌を奉じる勢力は、ほぼ法の神の国々によって滅ぼされ、今やほとんど存在していない。


 この国のような中立の勢力に立つ国家は珍しく、特に法の国からは、どっちつかずの「蝙蝠」と揶揄されるのが普通である。

 だが、今回、混沌の勢力に対して大侵攻を仕掛けるのに協力せよ、協力しなければ滅ぼす、と法の国に属する国々の「連合」に通達され、渋々協力。

 その結果、異世界からの転生者たちの戦力もあって、混沌の勢力は大半が滅ぼす事に成功したのである。


 そのため、世界は法の力が極めて大きくなり、国家同士の小競り合いこそあるものの、概ね平和であり、人類にとっては暮らしやすい世界になってきたと言える。

 その機に乗じて、ノイトラール国をも侵攻し、この世界を完全に法と秩序に満ち溢れた世界にしようとする過激派勢力もあるため、エルネスティーネのいるノイトラール国は注意を尖らせている所である。


 そこまで自分の知識を引き出して彼女は頷いた。

 なるほど、混沌の怪物たちの侵攻に悩まされていた昔よりも、今は大分暮らしやすくなっている世界らしい。この状況を歓迎する人間たちこそいても、それがきっかけで世界が滅ぶと思う人たちはほとんどいないだろう。

 そんな事を言っても狂人の戯言か、混沌信望者として死刑になるのが確実だろう。


 彼女自身も、混沌の勢力―――つまり怪物たちを纏め上げて混沌の女王として人間勢力として戦うつもりなど毛頭ない。

 自分の目標はあくまでラノベを書く事。それに尽きるのだ。

 自分がラノベを書いても、読んでくれる人や本を作ってくれる人がいなければ全くもって意味がない。それを考えれば、混沌の勢力に所属する事などありえない。


「うむ、まあ当然この方向はなしですね。却下却下。」


 そう、エルネスティーネの目的はラノベを書く事である。人類の敵になって世界のバランスを正す気など毛頭ない。

 とはいえ、ラノベを書くためにはまずこの世界の書籍の状況について調べなくてはならない。


 この世界が中世と同様に書籍が高級品ならば、ラノベ云々よりもまず書籍の普及率を高めなくてはならない。

 高級品ではなく、誰もが手にできる安価な書籍でなければ、到底大ヒットなど望めない。それに大ヒットしたいというのもあるが、自分の物語を皆に読んでもらいたい、という感情もある。それは小説を書く者たちが誰しも持っている感情だろう。


 まずラノベを出すためには、何と言っても本自体が流通しており、誰もが安価に本を手にできる状況でないといけない。

 調べてみた結果、まだこの世界では活版印刷が開発されていない。本は基本的に人が書いて写すのが基本である。そんな世界では到底、本の大量生産などできないし、本は高価で一般には出回らないのが基本である。


 これでは到底自分の理想には及ばない。

 彼女の望みは、誰しもが自分のラノベを手にして、それを「面白い」と言ってもらうのが最大目標なのだ。

 そのためには、まず大前提として本の大量生産、普及を行わなければならない。


「やはり……活版印刷機を作るしかないですね。」


 活版印刷機。火薬、羅針盤に続く三大発明の一つ。

 これにより印刷が可能になり、本の大量生産への道が開け、社会情勢を大きく変革させた発明品である。

 彼女の野望にとって、何としても開発しなければならない代物である。


 しかし、何もない所からポン、と活版印刷機ができる訳もない。

 この世界に存在しない以上、つまり彼女が世界初めて活版印刷機を作るとなれば、製造費などで莫大なコスト、つまりお金が必要になる。

 ざっと思いつくだけでも、鋳造しやすい鉛合金の発明、正確で安定した鋳造技術の開発、活版印刷に適したインキの改良、そして、さらにぶどう絞り機からヒントを得たとされる印刷機自体の作成を行わなければならない。

 これだけあげれば、何もない所から印刷機を作り出すのがいかに大変かが分かるだろう。


 そしてそのためのスポンサー、後ろ盾も必要になってくる。何事も初めての事をやるのは膨大なコストや技術が必要である。


 さらにそれを普及させるだけでなく、異端だ、悪魔の使いだ、などと言われる事を防ぐためにも政治的後ろ盾は必要なのである。


「うーん、困りましたねえ……。」


 とはいうものの、言うだけなのなら簡単なのだが、実際にそんな夢物語のような事に投資をしてくれるスポンサーなどいるはずもない。

 彼女の姉、アーデルハイトというかこの家自体が基本的に質実剛健であり、いかに身内であろうとそんな夢物語に金を出してくれるとは到底思えない。

 と、なれば、まずはある程度の成果を自分自身で作り上げなくてはいけない。

 ある程度の成果を出せば、こちらの話を聞いてくれてスポンサーになってくれる人も出てくるだろうし、もしかしたらウチの家が金を出してくれるかもしれない。


 さて、この印刷術を最も必要とする所はどこか。それは民衆に自らの教えを広く広める必要がある場所。つまり教会、神殿である。

 教会は自らの教えを広めるための聖書を多数必要としている。そこに印刷技術を持ち込めば食いついてくれるはずである。多分、きっと、恐らく。


 特に、このノイトラール国は、天秤に属する中立の神々を奉じる国家である。

 中立の神々は閉鎖的であり、自分の支配域以外には興味を持たないというイメージが大きく、人類の守護者とも言える法の神々に比べれば、人気がない。

 ここが彼女がつけ込む隙がある。

 このイメージを払拭し、多くの人たちに灰色の神々の信仰を布教するためには、民衆に対して広い布教手段が必要になる。

 そして、そういった布教手段にとって、大量印刷というのは非常に大きな力になるのである。


 そして彼らに売り込み営業をかけるには、自前でサンプルを作らなくてはならない。印刷技術で作った中立の神の教えを説いた聖書を持ち込み、こういう物で作られた聖書が簡単に大量生産できますよ。という事を説明するのだ。


 そして、教会に説明するためにもまずサンプルを作らなくてはならない。

 つまり初期費用は自分で払わなければならないのである。その初期費用をどうするか、が問題である。

 辺境伯の3女ともなれば事実上のスペア。家はそんな金は出してはくれまい。と、なれば自費で稼ぐしかない。


「さて、となれば問題はお金を稼ぐ手段ですね。木版印刷なら、自分で作れる……かもですね。」


 と、ここまで考えて彼女は腕を組んでうーん、と考え込む。

 いっその事自分で作ってみようか、とも思ったが作る事は自体はできるだろうが、上手く印刷できるかどうかは疑問が残る。

 元はサラリーマンだった彼女の脳裏には、小学生の頃、図画工作の授業の木版画を彫刻刀で作り上げた記憶がある。木版印刷というのは構造的にはあれと同じである。


 この世界での本の状況を調べては見たが、やはり獣皮を鞣した羊皮紙がメインらしい。羊皮紙は加工に手間がかかるため、本の大量生産は難しい。


 羊皮紙はパピルスより柔らかく、丈夫で書きやすく、両面が書けるが問題は高価である事である。羊皮紙が高額なのは、やはり作成に手間がかかっている上に貴重な家畜を潰さないといけないからである。

 皮を鞣すためには、10日ほど消石灰の溶液に浸し、その後で毛をナイフでこそぎ落とし、2日ほど流れ水で濯ぐ。そして木枠に入れて天日干しし、紙のサイズに切り分ける。これだけ手間がかかれば高額になるのも当然である。


 本を大量生産で誰しもが手にできる安価な物にするためには、とてもそれでは成り立たない。大量生産すれば品物は安くなる。これは真理である。


 パピルスの代わりになる物も探してみたが、やっぱり生産に手間がかかるらしい。

 だが、木材から紙の大量生産となれば手間も人手も金もかかる。これらの問題は一旦棚に置いておくしかない。

 となれば、一番簡単な印刷術、つまりは木版印刷技術から始めた方がいい。

 木版印刷は技術としては至極簡単である。つまり、木の板に文章などを彫り込んでインクなどを塗り、上から紙を置いて擦る極めて単純な印刷術である。


「うん、木版印刷なら手軽にできそうですね。もしかしたら自作でできるかもです。

よし、やってみますか。」


 そう言って彼女は手ごろな木の板を彫ろうとした……が結果は見事に失敗。

 何せ手元には彫刻刀も鑿もトンカチもないのだ。手元にあるのは、せいぜい小型のナイフぐらいの物。その程度で、木版が彫れたら苦労はしない。

 おまけに元になる木の板も、彼女がいた現代世界のように線で引いたみたいに真っすぐな木の板など存在しない。

 技術や工具が劣っているのもそうだが、この世界でそこまで綺麗に真っすぐにする手間をかける必要などないのである。


 試しに、小型のナイフで彫ろうとしてみたが、そんな物では手も足も出なかったのだ。やはり彫刻刀などもない状況で素人がそんな簡単に作れるようなら、職人の意味がない。


「やっぱりナイフ一本じゃ無理ですよねぇ。彫刻刀でもあれはなぁ。」


 あちち、と彼女はナイフで傷ついた自分の指を舐める。そして指に刺さったささくれを抜いていく。やはり彫刻刀などがないこの状態では、到底自作で木版を作るなど無理がある。


 鑿などはもう新石器時代には前身が開発されていたという話なので、この世界にもあるとは思うのだが、現代日本のように手軽に手に入る代物ではない。

 注文すれば作ってはもらえるだろうが、確実に姉たちが嗅ぎつけてきて辞めろ、というのは目に見えている。

 となれば、やはり専門の木工職人に注文するしかないが、やはり問題は金である。


 軽く調べた感じ、どうやらこの世界は未だ写本は人力、つまり人の手で書き写すしかないらしい。木版印刷の概念すらないらしいのだ。

 ……待て。それはおかしくないか?とエルネスティーネはふと気づく。これだけの文明レベルなら木版印刷の概念は存在するはずである。

 それが全くなく、未だに人力で写さなければならないというのはおかしい。


 それが存在しないというのは、法に属する国々がそれらの技術を封じているのではないか、という推測に至る。

 人に知恵を与えるという事は、その分統治者からすれば反乱の可能性が上がるという事でもある。

 ならば愚かなままで労働力として働いてもらっていた方が統治者としてはありがたい。いわゆる愚民政策である。法秩序に拘る法の国ならば、それくらいやりかねないという偏見が彼女の中にある。


 だが、それはエルネスティーネとの目的とは相いれない。彼女の目的はより多くの人たちに自分のラノベを読んでもらいたいのである。

 そのためには、国民の多くが文字を理解できないのでは話にならない。

 この国だけでなく、他の国の民衆の識字率を上げ、本を普及させて誰でも手に取れるシステムを作り上げなくてはならない。


 まあ、それはともあれ、例え法の国家で印刷技術が封じられていると言っても、ここは天秤と中立を崇める国家である。

 そんな物は知ったことではないし、彼女の知る限り印刷技術を禁じる法律などない。彼女にしてみたら実にありがたい事である。


 だが、木工職人に依頼するのはいいが、それはそれでまた新しい問題が起きる。

 それは、金である。木版印刷は、その性質上、文字を逆に彫り込まなければならない。しかも、今まで木版印刷はほとんど知られていないため、職人たちも初めて行う事なのでやはりそんなにスムーズにはいかないだろう。


 初めて行うことであれば、何せとにかく金がかかる。長時間職人の時間を取ってしまうわけだし、失敗する可能性もある。

 何せ、文字を逆に彫り込んでそれを文章にしなければならないのだ。

 完成予定図はこちらで書いてその通り彫ってくれ、と注文するつもりだが、それでも失敗する可能性もある。


 そうなれば、さらに職人に金を払わなければならない。

 金、金、金。

 とにかく、今の彼女には金が必要なのである。


 しかし、問題は女性一人でどうやって金を稼ぐか、である。

 いくらこのノイトラール国は、天秤、バランスが重視されるため、女性の社会進出が進んでいるからといっても、そんな簡単に女性が大金を稼げる手段など早々ない。

(あることはあるが、それは辺境伯の三女としての立場が許さないしやる気もない)


「となれば……やっぱり冒険者になってダンジョンアタックしかないですか。

目指せ、一攫千金!ですね。頑張るぞ、おー。」


 そう言いながら、彼女は自室で握り拳を空中に突き上げながら呟いた。それがどれほど危険かは、彼女が一番よく知っているのである。

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