第23話

 目を開いてキョロキョロと見回すと、どうやら寮の瑠華の部屋だ。

 ……何故か昨日眠ったベッドがあるところではなく、階段の上の広い寝室。

 その広いベッドの上に寝かされていた。


「目、覚めたか。瑠華、具合どうだ? 信頼できる奴に診てもらったけど、特に問題ないって」


 剛が今持ってきたらしいマグカップからは湯気が立ち昇っている。

 瑠華が気がつく時間が分かっていたらしく、瑠華の大好きなロイヤルミルクティーの作り立てを準備してくれたらしい。


「熱すぎないとは思うけど、気をつけろよ」


 瑠華が猫舌なのも覚えていてくれたのが、本当に嬉しくて、だが申し訳なくて、おずおずと受け取った彼女を見る剛の視線は優しい。

 奥に忸怩たる思いを綺麗に隠して、剛はベッド横の椅子に座る。


「……美味しい」


 零れた言葉。

 アカシアの蜂蜜たっぷりなのが分かって、瑠華の大好きな飲み方を全部覚えてくれていて、だから本当に居た堪れなくて――――涙があふれそうになるのを必死に堪える。

 ――――泣くのは違う。

 絶対にダメだ。

 独りになってから上手く感情を制御出来なかった事などないのに。

 ないというのに、コントロールが全然出来ない。

 独りになってから、生理的なものではない涙を流した事も、零した事もなかったのに。

 ――――泣く資格も無い。

 胸が詰まって言葉も出ない。


(……お礼を、言わなくては)


 そう思うのに、嗚咽を漏らさないようにするので精一杯。

 本当に信頼出来る人は、皆みんな居なくなって、だから――――


「独りで今まで良く頑張ったな」


 決壊しそうになる涙を堪える。

 身体の震えだけは止められない。

 頭を撫でる手は優しい。

 このまま撫でて欲しいと思うのは本当に……本当に久しぶりだ。

 触れられて振り払いたいと思わない存在はいつから居なくなっていたのだろう。


(やっぱり剛兄様はお兄ちゃんだ)


 そう素直に思う。

 自分にとっての兄だと思える存在。


 ――――それを貶められた事を思い出す。


 途端に涙も震えも波が引くように消えていく。


 剛がでミスをするはずがない。

 教育を受けていた。

 ――――ならば……嵌められたに違いない。


 冷静に思考を回す。

 思い入れがあるからこそ、思い込んでいる場合もあるだろう。

 剛といえど人間だ。

 間違う場合もあるのは分かっている。

 だが……白鴉は普段人前で叱責するタイプではなかったはず。

 しかもあれだけの人を――――『超越者トランセンダー』も多数集まった場所で。

 ではやはり敢えて…という事になる。


 模範として?

 ……否、あれは見せしめだ。


(私の前で? 剛兄様だと気がつくか試した……? 、よくも!!!)


 今度は怒りで身体が震える。


(許さない。私から大切な存在を奪うのも。傷つける事も)


 これまで周りに居た連中が、瑠華に隠していたのだ。

 しかも記憶に靄がかかって判別出来ないようにまでしてという悪辣さ。


(私が探しているか、知っておきながら!!!)


 その為に、子供が命も身体や精神、心さえ削って過酷な戦場に立っていたというのに、この仕打ちだ。

 を、紫苑の所在を、無事なのかを訊ねても――――


 ふと、冷水がかけられたように心が冷える。


(感情のままに動き過ぎた……!)


 瑠華に掛けた力が消えた事に気が付かれただろう。

 それに瑠華自身や剛、凱、何より紫苑に監視が付いていない訳もない。


「瑠華、大丈夫だから。俺も分かった。記憶に靄かけられたのも……監視が付いてたのもな」


 弾かれたように剛を見る。

 苦笑した剛は、深く頭を下げた。


「ごめんな。俺、紫苑と瑠華とを探してたんだけど、それを利用されたらしい」


 自分を責める剛に、瑠華は強く首を振る。


「剛兄様は悪くない! 悪いのは――――」


「瑠華は悪くない。そこは間違ったら駄目だ」


 彼女の言葉を遮り、どこまでも慰る優しい表情でポンポンと頭を撫でる剛は、ゆっくり手を瑠華から離す。


「でも! 剛兄様は……」


 言葉を続けられない。

 剛の立場がどうなっているのか不安でしかないのだ。


「大丈夫。あれで揺らぐ仕事はしてない。それで離れていく奴はそれまでだって」


 あくまで軽く明るい調子で言うけれど、それでも心配は尽きない。

 瑠華という駒を使うためにわざと貶めた可能性が捨てきれないのだ。

 ――――白鴉に直接人前で叱責されたのは……かなり痛い。


 グルグルと良くない考えばかりが浮かぶ。


(いざとなったら――――)


 人類にマイナスになったとしても、最終手段を取る事もやむなしと結論付けようとした時だ。


「瑠華が手を汚す必要はない。俺が殺る」


 短い物騒な言葉を冷徹極まりない声音で告げるのは……紫苑だ。

 いつの間に上がってきたのか、まるで気配を感じさせない。

 これほど目立つ容姿の存在も珍しいだろうに、完璧に誰にも気がつかせないで背後を取るのが常の彼だ。

 存在を消すのが抜群に上手い。

 のではなくというのが実に紫苑らしかった。


「物騒だな……とはいえオレも協力は惜しまないけど」


 良い笑顔の凱までもが親指を立てているのだから、全員が剛への仕打ちに腸が煮えくり返っていた。

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