12月11日【観測所】


 火口の淵に沿ってにぎやかな行軍を再開し、しばらく経ったころ、ようやく建物が見えてきました。あれがヒトリガの言う「観測所」なのでしょう。建物の壁は、まるで煤けたように黒く汚れていて、どこかきょうだいたちの姿に似ています。

「ごめんください」

 呼びかけながら、実浦くんは観測所のドアを叩きます。ドア・ノッカーやベルのたぐいがあれば良かったのですが、どこにも見当たりませんでしたので、実浦くんは硬いドアを自分のこぶしでノックします。

「ごめんください、こんにちは」

 何度目か呼びかけたとき、音もなしに、ドアがすうっと開きました。あまりにも前触れなく開いたため、ドアが消えてしまったのではないかと勘違いしそうになるほどでした。


「どなたさまかね」

 出てきたのは、白いひげのおじいさんでした。骨と皮ばかりに痩せていて、目だけが恒星のようにぎらぎら光っています。ぎらぎらの目が、実浦くんを睨みました。

「突然、すみません」

 実浦くんは、思わずちょっと縮こまって話します。

「ここは光を観測する場所でしょうか」

 おじいさんがしかめっ面になったので、実浦くんは、もう今すぐ回れ右をして帰りたくなったのですが、後ろでは子供たちが期待に胸を膨らませて待っていますので、ぐっと我慢します。

「望遠鏡はありますか?」

「ある。とびきり性能の良いものがある」

「ぼくたち、光を探したくって、望遠鏡を覗きたくって来たんです。どうか少しで構いませんので、ぼくたちに望遠鏡を使わせてくれませんか」

「だめだ」

 おじいさんは、小石を放り投げるように言いました。その短い言葉は、実浦くんの頭をガツンと打ちました。


「なぜだめなの、いじわるね」

 実浦くんの代わりに、抗議したのは火灯し妖精です。小さな体を怒りに膨らませて、橙色に光る人差し指を、おじいさんの鼻先に突きつけます。

 おじいさんは少し怯んだように唇をぐっと結びましたが、すぐにまた「だめだ」と言いました。

「なぜよ。望遠鏡はあるんでしょう。なぜだめなの」

「だめだと言ったらだめだ。帰りなさい、今すぐに」

「いじわるだわ。とってもいじわる」

 小さな火灯し妖精と痩せっぽちのおじいさんが、互いに睨み合って、今にも喧嘩を始めてしまいそうでしたので、実浦くんは慌てて間に入りました。

「どうか、お願いします。子供たちが、彼らのきょうだいを見つけるのに、どうしても必要なんです」

「なに、子供たち」

 おじいさんは驚いたようにそう言って、鶴のように長い首を伸ばしました。どうやらおじいさんには、実浦くんの後ろにいるたくさんの子供たちが、見えていなかったようです。


 幼子らの、その星々のような瞳が、こわごわとおじいさんを見上げます。おじいさんは「きゃっ」だか「ひゃっ」だか分からない声を上げて、まるでとんでもなく残酷な光景を見たとでも言うように、両手で自分の肩を抱きました。

「子供じゃないか、煤けた子供がこんなにいる。それも全員が、ひどく疲れて不安そうな顔をしている。大変だ、なぜもっと早くに言わんのだ」

 実浦くんと火灯し妖精は、呆気にとられて、思わずお互い顔を見合わせました。おじいさんはちょっとしたパニックになっているようで、「ああどうしよう」とか「とにかく上がってもらわねば」とか早口で呟きます。

 そして、さっきまでの仏頂面はどこへやら、さも自分は最初から歓迎していたんだぞと言わんばかりに「さあさあ、そんなところに突っ立ってないで、さっさとお上がんなさい」と実浦くんたちを急き立てました。

「上がって良いんですか」

「もちろん良いとも。それともわしに、煤けた子供たちを追い出すだなんて、そんな残酷なことをしろと言うのかね」

「望遠鏡を、使わせてもらっても良いですか」

 おじいさんはそれには答えずに、子羊たちの群れを追い立てるようにして、全員を観測所の中へ迎え入れました。



 建物の中は、外装と同様にやっぱり黒く汚れていて、無機質な山小屋のようでした。大きな暖炉がありますが、火が焚かれた痕跡はありません。炎の代わりに、カンラン石の塊が積んであって、それがオリーブ色の光と熱とを放出しています。

「暖炉のそばへおかけ。ソファは大きいから、みんな座れるよ。外は寒かったかい。ここまで歩いてきたのかい」

 怖そうなおじいさんが親密に話しかけてくるので、子供たちは少し混乱していましたが、「寒くなかったです」「歩いてきたんです」とぼそぼそ返事をしました。

 おじいさんは実浦くんたち「煤けていないもの」にも「まあ、座んなさい」とぶっきらぼうに言って、硬い木の椅子を勧めます。座ってみますと、それは案外座り心地の良いものでした。おじいさんは、奥の部屋へ引っ込んで行ってしまいました。


「良い人なのか、いじわるな人なのか、分かんないわ」

 火灯し妖精が首をかしげます。実浦くんにも判別のつけがたい、難しい問題です。

『誰もが時々は良い人で、時々は嫌な人になるからね』

 そう言ったのはヒトリガでした。実浦くんはそれで納得したふりをして、それでもやっぱり、あのおじいさんが良い人なのか嫌な人なのか、気になって仕方がないのでした。



 やがておじいさんは、大きな銀のお盆を携えて戻ってきました。驚くべきことに、お盆には子供たち全員ぶんの数、マグカップが乗っています。それも、甘い香りのする熱いホットチョコレートが、惜しみなくなみなみと注がれたマグカップです。子供たちが、わあっと歓声を上げて飛び上がったのも、無理からぬことでした。

「さあ、順番に取りにおいで。急がなくとも、みんなのぶん用意してある。さあさあ」

 子供たちはもう、おじいさんを怖がることをやめたようでした。「ありがとう」と口々にお礼を言って、熱いホットチョコレートを飲み初めます。よほど甘くて美味しいのでしょう。子供たちの、煤の上からも分かるほど上気させた頬から、ほろほろっと笑顔がこぼれます。


「やっぱり、良い人なのかしら」

 いぶかしがるように、火灯し妖精が呟きます。それがもしかしたら、聞こえていたのかもしれません。おじいさんはぎらっと実浦くんたちを睨みますと、わざと両目を吊り上げ「あんたたちのぶんはないよ」と、いかにもいじわるく言ったのでした。

「やっぱり、嫌な人かもしれないわ」

 火灯し妖精が、つんと口を尖らせます。

「複雑な人なんですねえ」と、灯り捕りがのんびり言いました。

「でも、あのホットチョコレート、美味しそうですね」

「美味しそうだわ」

『おいしそうだねえ』

 実浦くんも、思わず「美味しそうだなあ」と呟きました。

 人のものを欲しがるのは、あまりお行儀の良いこととは言えないと、実浦くんはもちろん充分に承知しています。けれど部屋にはチョコレートの香りが満ちていて、あのとろりとした甘い液体を、羨ましがるなという方が無理な話なのです。


 煤けていないものたちの、その情けない呟きを聞いたのでしょう。おじいさんは結局、しぶしぶといった様子で、実浦くんたちにもマグカップを用意してくれました。

 中身は残念ながらホットチョコレートではなく、温めた牛乳です。それでも、どうやらお砂糖が溶かしてあるようで、ほんのり甘く感じます。

「やっぱり、良い人なのかしら」

 火灯し妖精は、小さなエスプレッソカップからホットミルクを飲みながら、悩ましげに呟きました。

 そこへ、「ああやれやれ」と奥の部屋から、自分用のマグカップを持って、おじいさんが戻って来ました。そのマグカップの中には、濃いホットチョコレートがなみなみと注がれていましたので、火灯し妖精は「やっぱり、嫌な人かもしれないわ」と、悔しそうに言ったのでした。


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