こんなつもりじゃ、なかったのに

 昼休み、寛治は屋上にやってきた。


 普段はちらほら人を見かける校舎の屋上だが、今日は誰もいない。もうすぐ雨が降り出しそうなのだから当然か。


「おせぇなぁ」


 屋上の入り口に目線をやるが物音ひとつしない。人目を嫌った場所選定に、なんとなく嫌な予感がする。落下防止用の金網に背中を預けると、ぎぃと音が鳴った。


 寛治は今日、奏平の父親を殺す予定だ。


 そんな日に奏平に呼び出されたことも、この胸のざわめきに関係しているように思う。


「すまん。ちょっと遅れた」


 五分後、ようやく屋上に奏平がやってきた。


「いいよ別に。そんなに待ってないから」

「じゃあもうちょっとトイレにこもってりゃよかったわ」

「それはふざけんな」

「冗談だって」


 笑ながら奏平がこちらに歩いてきて、同じように金網に背中を預けた。


「ってかもう昼飯食った?」

「は?」


 まさかそんなことのために呼び出したんじゃないよな。


「すぐ来たんだから食ってるわけねぇだろ」

「だったらこの後、一緒に購買行かね?」


 寛治は「ああ」と頷いたものの、実を言うとお腹は全くすいていなかった。朝からなにも食べていないのに、胃が体からなくなってしまったみたいに空腹感がやってこないのだ。


 それから、無言が続いた。


 奏平はずっと俯いている。


 遠くから聞こえてくる救急車のサイレンが、静寂をより際立たせた。


「……話ってなんだよ?」


 先にしびれを切らしたのは寛治だった。奏平が隣にいるだけなのに、いつもはこんなことないのに、心がそわそわして落ち着かない。もしかしてボーイズラブに目覚めちゃったかな?


「そうだよな。俺が呼んだんだよな」


 奏平は右足をぶらぶらとさせ、上履きを足先で弄んでいる。


「告白なら他を当たってくれ」

「ちげーよ。ちょっと話がまとまらなくてな」


 奏平は眉尻を下げて笑ってから、灰色の空を見上げた。彼の丸い瞳は空の灰色よりもくすんで見える。


「なぁ、寛治」

「ん?」

「悩みがあるなら、なんでも言えよ」


 その優しい声に虚を突かれて、一瞬にして頭が真っ白になる。「悩み、なんて」それから先の言葉をいつまでも返せずにいると、奏平が小さく笑った。


「ここのところずっと顔色悪いからさ、心配してたんだよ」

「……まじで?」

「まじまじのまじ」

「まじまじのまじ、かぁ」


 相槌を打ちながら考える。奏平は昔から勘が鋭いから、即興の嘘で誤魔化してもばれるかもしれない。だけど今回は、それでも笑って誤魔化しておこう。なんでもないよ、と一度脳内でイメージトレーニングをしてから、寛治はゆっくりと口を開く。


「異世界でのこと。奏平はどう思ってる?」


 言った寛治自身が一番驚いていた。


 こんなこと言うつもりじゃなかったのに。


「どうって、またいきなりだな」


 奏平は苦笑いを浮かべ、


「でも端的にまとめるなら辛かった、かな。殺される感覚なんか、二度と味わいたくないくらい最悪だったし」

「別にあっちの世界に愛着があったわけじゃない。俺は純粋に、与えられた暗殺対象を悪だと思った。奏平もそうだろ?」

「まあ、俺は殺せなかったけど、そうは思ったよ。あいつは確実に悪だった」

「だろ?」


 寛治は喜んで同意したのに、奏平は口元を歪めた。


「けどきっと、俺はそんな善悪の正しさで動いてなかったのかもしれない。なんていうか、ただ……うん。善悪では、なかった気がするんだ」


 顔の前で右手を握りしめる奏平。


 その悲壮漂う顔を見ながら、寛治はただひたすらになにかに怯えていた。


「でもさ、今こうやって開き直れたようなことを言えるのも、俺たちの中の誰かが、俺の救えなかった世界を救ってくれたからなんだよな。俺は勇気と覚悟が足りなくて世界を救えなかった。その罪悪感から解放されたのは、その誰かのおかげなんだ」


 奏平は肩を落として、申しわけなさそうに微笑んだ。


「たしかに、その誰かには感謝した方がいいよな」


 対して寛治は、体が震えないよう抑え込むので精いっぱいだった。


 もしかすると、奏平は気がついているのかもしれない。


 悪人を殺して回ったのが遠城寺寛治だと。


「した方がじゃなくてしなくちゃいけないんだよ。俺は、俺たちの願いを叶えるために自分を犠牲にしてくれた誰かに、ありがとうって伝えたいんだ」


 秘密にされてるからそれも叶わないんだけどな、と奏平はズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「ほんと、誰なんだろうなぁ」


 寛治は苦笑し、奏平に顔を見られないよう俯いた。


 たぶんだけど、奏平は気がついている。じゃなければこんな話はしない。嫌な役割を押しつけたと思って、伝え方は下手すぎだけど、こうして励ましてくれているのだ。


 本当に奏平は優しい。母親が死んだ後、独りぼっちで神凌小学校に転校してきた寛治に、初めて声をかけてくれたのは奏平だった。そのおかげで寛治はみんなと仲よくなれて、本当の意味で自分を犠牲にしてでも守りたいものを作ることができた。


 寛治は本当にみんなに感謝している。だからこそ、そんなに心配しなくて大丈夫だよと言ってやりたかった。自分がやったことは人殺しではなく正義なんだから、奏平が罪の意識を感じる必要はない。奏平の父親を粛清すれば、りんからも、双葉ちゃんからも、奏平からもきっと感謝される。三人が笑いながら「ありがとう」と言ってくれる姿を想像するだけで、頭の中がとろけそうなほど興奮する。


「なあ、奏平」


 もう奏平が苦しむ必要はないよ。待ってて。


 そう言って励ましてやろうと、寛治は思って話し始めた。


 しかし。


「俺たちは、異世界にとって、本当に正義の味方だったのかなぁ」


 口からは謎の言葉が飛び出していた。違うんだと訂正する前に、奏平が真剣に答え始めてしまう。


「正義の味方、なんて言い方は子供っぽいけど、そうだったんじゃない? 悪を倒そうとしていたわけだし」

「本当にあれは悪だったのか?」


 まただ。


 別の誰かに体が乗っ取られているみたいだ。


 自分の口を制御できない。


「え? それは、そんなの、そうに決まってるだろ」

「でもさ、こっちの世界に悪がいたとして、それをあっちの世界でやったように排除したら、それはただの犯罪者になるってことじゃん」


 なにを言っているんだ。


 なわけあるか。


 だって奏平の父親は確実に悪なのだから。


「寛治?」


 奏平は困惑の表情を浮かべている。


 なおも寛治の口は勝手に動き続ける。


「異世界を支配しようとしたやつにだって、正義というものがあったのかもしれない。俺たちの正義と違うやつ。俺たちはそれを悪だと糾弾したけど、実際は悪なんてものは存在しないのかのもしれない」


 後ろの金網をぎゅっと握りしめる。


 どうしてこんな言葉が出てくるんだ!


 みんなに褒められ、嬉しそうに謙遜する母さんのことをなぜ思い出す!


 カリーム・ベルドラが息子を溺愛していたことをなぜ思い出す!


「あいつらは、あっちの世界の住人を苦しめていた。確実に害があったよ」


 つぶやくように言った奏平に、寛治はさらに質問をぶつける。


「害があるなら、正義の名のもとに成敗してもいいのか?」

「あっちの世界が救われたのは紛れもない事実だ。ってか少なくとも日本は民主主義だし、独裁で国民を苦しめる悪なんていないんだから関係ないよ」

「そうだといいけど、仮に、もしそういう悪が俺たちのすぐ近くにいたら?」


 冷たいとも、ましてや暖かいとも感じない声だったと思った。


 寛治は、こんな惨めな声が自分の声だと信じられなかった。


「なに言ってんだよ。現実にそんなこと、悪が近くにいるなんてあるわけないから」


 奏平の声に必死さが混じり始める。


「そんな見えないものまで気にしてたら、生きていけないよ」


 声に動揺が混じってるのは、身近な悪を想像できたからじゃないのか?


「俺は正義のヒーローでいたいんだよ」


 弱々しい声で寛治は宣言した。


 これ以上、奏平と話したらなにかが揺らいでしまう。


「悪い奏平。もう帰るわ」


 返事も待たずに歩き始める。「あ、え……」奏平の言葉が背中にぶつかるが、無視して歩き続け――


「寛治!」


 奏平の叫び声が聞こえ、足が止まった。


「俺は! 寛治に感謝してるんだ!」


 体が震えだす。


 目の奥が熱くなる。


「だって寛治なんだろ? みんなが救えなかった世界を救ったの」


 頷くことはないし、振り返ることだってしない。


「だから俺は、いや、俺だけじゃなくてみんなも感謝してる。絶対嘘ついてるの寛治だよなって四人で話したことあるから。みんなもありがとうって伝えたいって言ってた。ありがとう寛治。みんなのためにありがとう」


 その言葉に心が打ち震える。


 みんな気がついていたのか。


 それなのに気がついていないふりをしてくれていたなんて、本当に優しいなぁ。


 肺いっぱいに息を吸い込んで、それをゆっくりと吐き出してから、誰にも届かない声で寛治は呟く。


「ありがとう、なんて言うなよ」


 体内ががらんどうになっていくようだ。でも、どこかすっきりとした気分でもある。なぜか感じている失意やら怒りやらを体の奥深くに沈めるため、寛治は笑顔を作ってから振り返った。


「俺はみんなの、正義のヒーローなんだぜ!」

「ああ! 本当にありがとう!」


 だから、感謝しないでくれよ。


 笑顔の奏平に背を向けて、寛治はそそくさと立ち去る。屋上から校舎内に入ってからひっそりと呟いた。


「俺は正義のヒーローだ」


 階段を下りながら呟き続ける。


「俺は正義のヒーローだ」


 奏平も、みんなも、異世界の悪を成敗したことを喜んでいた。感謝してくれた。家族を殺された人が、「殺人犯のことを殺してやりたい」「絶対に死刑にして欲しい」と懇願する映像をニュースで見たこともある。出演していたコメンテーターも涙しながらそれに同調していたし、ネット民も掲示板で殺人犯のことをものすごく汚い言葉で糾弾しまくっていた。


 つまり、この世界に住む誰も彼もが、悪が消滅することを心の底から望んでいる。


 そう考えると、体がものすごく軽くなった。

  

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