神殺しの黄昏

昇瀬多聞

Α 永遠鎮魂弥撒曲 Requiem aeternam deo 194X,X,X(X)

永遠なる神々の終末が終に、そこに始まる。

                  リヒャルト・ワーグナー『神々の黄昏』


 白昼にも拘らず提灯を煌々と照らしたボロをまとった狂人が群衆の中で独り佇む。瞳は炯炯して眼窩に落ち窪み、両眼は飛び出さんがばかりであった。頭は蓬髪で唇は真ッ赤に腫れ上がり、口角には泡を噴き、頬は痩せ扱けていた。狂人は死に至る病にかかった狂人は焦点の定まらぬ瞳で群衆を見回すと、蒼天に向けて吠えた。

「我が貴様らに言おう! 我らが神を殺したんだ!貴様も我も! 我々はみんな神の殺人者! しかし、何故だろう? 何故我々は大海を呑み干せた? 地平線を消し去るほどの水平線を我々に与えたのは誰か? 地球はどちらに回っている?我々は

何処へ行く? 全ての太陽と別れていくのか?我々は猛然と闊歩しているのか? 前か、後ろか、横か、それとも全てか? はたまた上か下か? 我々は無限の闇を彷徨うように、泣き続けるか? 寂寞とした風が頬を撫でつけるのか?凍える明けない夜より暗い夜が顔を出すのか? 白昼を提灯を灯すのではないか? 神を屠る墓守の騒ぎが聞こえてこないか? 神の腐臭が漂ってこないか? 神は腐る! 神は死んだ! 神は死んでいる! 我々が神を殺したんだ! 最たる殺人者である我々は、何を慰みにすればいい? 世界が崇める神聖で、強靭なモノを我々狂人の凶刃で血吹雪をたてて死んだんだ!我が浴びたこの血は誰が拭いとる? 我々はこの体を洗えばいい? どんな贖罪の儀式を、弥撒曲を添えなければならないのか? それは甚だ不遜なことではないか? そのためには我々が神になるべきではなかろか」

 狂人は、烱々していた瞳の輝きを鈍らせた。

「いや、我々は神になれない。神になるには、我々はつまらなく矮小だ! 虚無を彷徨うには我々は子どもだ! 我々は神に会わす顔がない。神を殺すという取り返しのつかない罪を犯したんだ!」

 そこまで言うと狂人は突然哂い出した。狂人の哂い声は蒼天に届かんばかり。狂人の慟哭ほど可笑しきものがこの世にあるであろうか。狂人は、あはは、と涙を流して哂った。

 狂人を囲んでいた群衆は狂人の哂いを暫し怪訝そうに見詰めていたが、一人、また一人と狂人の哄嘲に合わせて哂い始めた。


――あはは、あはは、あはは、あはは――


              (ニーチェ『悦ばしき知識』第三書二五番 翻案)


このことは誰がおこなひしや たが成しゝや たが太初より世々の人をよびいだしゝや われヱホバなり 我ははじめなり終なり

                          イザヤ書第四一章四節

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