ヴァイキングの日


 ~ 六月八日(火) ヴァイキングの日 ~

 ※螻蟻潰堤ろうぎかいてい

  でかい事件も事故も。

  きっかけは極めてちっさい。




 俺が負けたら。

 秋乃と友達をやめることになる。


 でも、単純に俺が勝つだけじゃダメだ。


 何かを犠牲にしてまで。

 その関係を続けるなんて。


 秋乃には酷な話だ。



 ……解けないパズルじゃない。

 それは、お袋が俺に丸投げしたことから推測できる。


 解答があるなら、それを見つけ出すのみ。

 俺は必死に考えて。


 そして。


 一つの答えにたどり着いた。



「必死にやれてめえは!」

「あれ?」


 そのための条件、その一。

 もっとも簡単なものは。


 この二組より速く走ること。


 そう思っていたんだが……。


「もう一本! おかしいな、ガチで気合い入れてるんだが……」

「しっかりしろてめえ! 約束、忘れたわけじゃねえよな?」

「覚えてるよ。だから、必死にやってる」


 まいったな。

 雨のせいじゃねえと思うから。

 今日はよっぽど調子が悪いのかもしれん。


 速く走りだそうとすればするほど。

 さっきから、前に倒れるのは甲斐の方。


「なーにが必殺技思い付いたから余裕、だよ」

「甲斐だって完璧じゃねえかとか喜んでたろうが」

「ヘッドスライディング作戦の前に、スタートで転んでたら世話ねえだろうが!」

「分かった分かった」


 ……二つ目の条件のハードルは。

 山より高いってのに。


 一つ目の方でつまずいてどうする。


 さらに、三つ目の条件が。

 俺を不安にさせながら。

 泥まみれの顔を地面から引きはがす。


「ぷはっ! や、やっぱり、五十メートル越えた辺りで厳しい?」

「あっは! まだまだ! 明後日までに、必ず追いついてみせるさ!」


 スタートダッシュは上手く行っているものの。

 トップスピードで、王子くんを上回ってしまうせいで。

 さっきから、顔を泥まみれにさせているこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 佐倉さんには、自分たちが負けたらアイドルのパートナーを辞めると約束され。

 きけ子には、自分たちが先にテープを切ったら口きかないと言われ。


 しかも、俺たちより先にゴールラインを超えると。

 俺と友達をやめることになる。


 何をどうしたって。

 どれかを捨てなければならない。


 無理な話を押しつけられて、一度は逃げ出した秋乃だったが。


「もう一本!」

「あっは! まかしといてよ!」


 お袋と話した後。

 一体、どんな心境の変化があったのか。


 今はただ、王子くんを信じて。

 全力で走っては、前に倒れ続けていた。



 そして。

 そんな二人を横目に。


「夏木さん、ごめん! やっぱり少し、トップスピード落とす?」

「まだまだなのよん! そこの二人に負けてなんかいられない!」


 意外にも。

 練習を重ねる度、どんどんスタートダッシュの時に転ぶようになってきたきけ子と佐倉さんのペアが。


 秋乃たちより、だいぶ手前の辺りで転んで。

 スタートラインへ戻っていく。


「……おかしいな」


 この間は、完璧な走りを見せた二人だったのに。


 精度と速さをあげるどころか。

 練習を重ねる度に息が合わなくなって来るなんて。


「なんでだろ」

「てめえが鼻の下伸ばして女子の方ばっか見てるからだろうが!」

「…………は?」

「てめえが舞浜の長い足に見惚れてボケっとしてるからスタートが遅くなってるんだろうが!」

「おお、そうだった。真面目にやれって話だったっけ」

「そうだよ!」

「分かった分かった。だからひとまず、俺の盾になれ」

「そりゃどういう意味わぷっ!?」


 お前がそんなこと大声でしゃべったら。

 女子四人から、手近な武器投げつけられるに決まってんだろ。


「やめ、キッカ……! ぐはっ! ぐはっ! ぐはっ! お前だけマシンガンか!」

「そこどくのよん、優太!」

「どきたくても、足が結ばれて逃げられん!」


 案の定、泥を投げつけられて。

 あっという間に盾が真っ茶色。


 お前らはゴリラか。


 そう突っ込みたいところだったが。

 大人な俺は、さらなる炎上が約束された言葉をぐっとこらえて。


 盾で防ぎきれなかった、顔についた泥を。

 手でごっそりとこそぎ落とした。


「こら立哉! てめえのせいで俺まで泥まみれじゃねえか!」

「はっは、いい気味だ。そして、やっとわかったぜ」

「なにが?」


 泥攻撃。

 秋乃が二回投げる間に。


 きけ子が四回。


 秋乃の長い脚。

 きけ子の素早い腕。


 これが。

 スタートダッシュで、きけ子ばかりが前に転ぶ理由だったんだ。


「足を出すピッチが違う」

「は? 誰の?」

「秋乃と夏木」

「ストライドもピッチも、最初に確認したじゃねえか。舞浜とキッカ、校庭何周まわっても、大した差はねえ」

「ああ。夏木のバネ、すげえよ」

「だったら……」

「でもそれは、走り始めた後の話だ」


 俺は、スタートラインまで無理やり甲斐を引っ張って。

 せーのと掛け声をかけてやると。


「お!? スタートダッシュ上手くいった!」

「そん代わり、必死だったけどな」

「はあ!? じゃあ、いままで必死だったんじゃねえのかよ!」

「そうじゃねえ。……必死になったから、転びまくったんだ」

「意味分からん」


 俺と秋乃は。

 スタートで速く走ろうと思う度。


 最初の一歩から大きく踏み出そうとしていた。


 それに反して。


 多分、甲斐ときけ子は。

 早くスタートダッシュを決めようと思う程。


 ピッチを速くしていったんだ。



 だから。

 前に倒れるのは。


 いつも決まってきけ子だったってわけ。



「なんだか分からんが……、お前の技、あいつらにも教えた方がいいんじゃねえか?」

「いや、教える気はねえ。そもそも秋乃たちはスタート揃ってるし。夏木たちの方は……」

「菊花ちゃん! ちょっと調整するから、また観察させて!」

「もう、また? それなあに?」

「アイドルたるもの、動画見るだけで同じダンスくらいできるもんなのよ!」

「意味分かんないけど、それが佐倉ちゃんの全力なんだよね?」

「もちろん!」

「よっしゃ! じゃあ、一人ダッシュ十セット! 行っちゃうのよん!」


 こっちには。

 相手に完璧に合わせることができる最強のパートナーがいるから。



 ……そんな佐倉さんを心から信じて。

 雄々しく駆け出したきけ子。


 既にわだちと呼ぶにふさわしい。

 深く掘り下げられた特訓コースを。


 激しい泥飛沫を跳ね上げながら抜けていく。


 その姿、まるでフィヨルドヴィークを抜けて出撃するロングシップ。


「うおおおおおおりゃあああああああ!!!」

「はは……。まさに、ヴァイキング」


 嬉しい反面。

 感心する反面。


 すげえ困る。


 お前ら。

 秋乃たちより有利なんだから。


 もうちょっと手を抜いてくれ。


「……ヴァイキング?」

「ああ。そう見えたんだ」

「あ、あたしにも……、見えた」

「だろ?」

「駅前で」

「なんのこっちゃ」


 お袋と話してからというもの。

 なんとなく、いつも通りに戻った感じの秋乃が。


 俺の泥を、タオルで拭いながらひと休憩。


 そんな、飄々としたこいつと違って。

 頭からタオル被って、泥の上にへたり込んでる王子くん。


 この四人の中で。

 一番遅いの、王子くんだからな。


「しっかり休む時は休んでもらわねえと。……あと、しっかり食べねえと」

「……でも、お金ない」


 は?

 何の話だ?


「お金ってなんだ? 王子くんがちゃんと食べるためには協力するぞ?」


 明日のお昼とか。

 アスリート食ってやつを作ってやろう。


 俺は。

 そんなつもりで言ったんだが。


 どういう訳やら。

 秋乃は、飛び上がってはしゃぎ出したかと思うと。


 とんでもねえこと言い出した。


「に、西野さん! 立哉君が、あれ、御馳走してくれるって!」

「あっは! ほんと!? 俄然やる気出たよ、ボク!」

「大会終わった次の日とか……」

「いいねいいね!」

「ちょ……? 何の話だ?」

「「バイキング!」」


 ……え?


 あ! え?


 駅前に看板出てた、ケーキバイキングのこと!?


「うはははははははははははは!!! ちゃうわ! そうじゃなくて、夏木がヴァイキングの船みてえに勇ましく走ってたって話で……」

「な、夏木さんたちにもご馳走してくれるの!?」

「ちげえ!」

「なになに? 保坂ちゃんがケーキバイキング連れてってくれるのん?」

「うんうん! 太っ腹!」

「ちがああああああう!!!」



 ……そんな勘違いを。

 強引に真実に捻じ曲げたヴァイキング四人衆は。


 雨の降りしきる中。

 さっきより、明らかに激しく泥を巻き上げて。


 俺から身ぐるみ剥いだ、勝利の雄たけびを。

 校庭中に轟かせていた。



「…………立哉」

「てめえは自腹だ」

「いや、そういう話じゃなくてだな……」

「自腹だ」

「…………ちっ」



 でも。

 そんな打ち上げ会で。


 悲しい約束を実現させるわけにはいかない。



 ……だから。



 二つ目の条件。

 俺は、覚悟を決めた。




 一番つらい役回り。

 それを。




 一人の女の子に押し付ける。


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