武士の日


 ~ 六月四日(金) 武士の日 ~

 ※TPO

  時と場所と場合に応じた方法や服装




 賢者の選択。


 金髪を切ってしまった女性。

 時計を売ってしまった男性。


 あの二人は、お互いのやさしさに包まれた一日を過ごした後。


 明くる朝。

 手にしたプレゼントを改めて見つめて。


 きっと呆然としたことだろう。



 心あたたまる物語。

 その幕の向こう側で。


 誰の目にも触れることなく描かれる悲劇。



 物事は。

 タイミング次第で。



 絶望を生み出すこともある。



 おお。

 神よ。



 彼女は、必死に頑張って来たんだ。

 辛い思いばかりしてきたんだ。


 もう、これ以上。

 こいつを苦しめるのはやめてくれ。



 どうして。

 ほんとにどうして。


 これを最後に持って来た。




 ……朝のホームルーム。

 俺たちのクラスは、大人が決めた不条理に対する怒りで満たされていた。


「しょうがないだろう。理事長が、あの三年前の感動をお前たちに見出したと言って聞かんのだ」


 しょうがない。


 お前たち大人が。

 些細な話だと思っているから使う言葉。


 でも、他人の身になって考えよ。

 そう教えるお前らは。


 まるで俺たちの身になろうとしやしねえ。


「二年前までは、みんな必死に取り組んでくれたんだが。今年はお前たちしか真面目に練習していないんだ」

「冗談じゃねえ。だったら俺は走らんぞ?」

「そんな子供じみた反論は認めん。必死に走って、見事に勝ち取れ」

「いらねえよ、そんな勝利」

「勝利ではない。単位だ」

「きたねえ!」


 俺たち、当事者の中で。

 得意の仮面にも顔色が透けて見えるほど動揺しているのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 唇まで真っ青にしたまま。

 呆然と虚空を見つめているんだが。


 それもそのはず。

 理事長とやらの希望により。



 俺たち三チームが。

 同時に走ることになったんだ。



「エキシビジョンみたいなものなのか? 点数で戦う体育祭なのに?」

「理事長が満足されたら、高得点が入ることだろう」

「いや、点とかいらねえし」

「内申点の話だ」

「だからきたねえって言ってんだよ!」


 たまにこいつ。

 教師にあるまじきこと言いやがる。


 見てわからねえのか。

 秋乃の頬、こんなに真っ白になってるのに。


「……なぜそこまで嫌がる」

「他人の気持ちも汲めないてめえに分かるよう説明してやるとだな……」

「まさか健全なスポーツで賭け事のようなことをしているのか?」

「ようし! みんな、一生懸命に頑張るぞ!」


 こら、みんなしてそんな薄笑いすんな。

 気持ちは分かるけど、バレちまうだろ?


 俺の機転によりバレずに済んだが。

 問題は解決できてない。


 クラスの誰もが知ってる賭けの内容。


 佐倉さんが負けたら。

 秋乃とアイドルのパートナー辞めるってこと。


 甲斐と俺が最初にゴールライン越えなかったら。

 俺が秋乃と友達辞めるってこと。


 つまり、同時に走れば。

 秋乃は、どちらかを呑まなければならなくなる。



「あ、あたし……」

「無理して喋んな。あと、そんなに強く唇噛むな」


 悔しさからか。

 秋乃は、歯型が付くほど真っ白な唇をかみしめて。


 そんな口の端から流れる血が。

 まるで本物みたいだからほんとやめて。



 さて。

 事情が事情だ。


 あの石頭はともかく。

 理事長の命令に逆らう訳にいかねえってのが前提なら。


 先生に介入してもらって。

 約束を反故にしてみようかな?


「なあ、先生。仮の話なんだが」

「なんだ?」

「健全なスポーツに賭け事持ち込むのはご法度だよな」

「さっきも言ったろう。当然だ」


 よし。

 上手いこと誘導できた。


「そういう事ならしょうがねえ。甲斐、佐倉さん、例の話だが……」

「ただし。金品や物品の受け渡しがないような約束なら構わんぞ?」

「俺はねこみみ派だ」


 くそうこのやろう!

 なんてタイミングで手の平返す!


 おかげでいらんカミングアウトすることになっちまったじゃねえか!


「……何の話だ?」

「先生には関係ねえ!」

「保坂ちゃん。今んとこは、猫派ってだけでよかったんじゃないのん?」

「ほんとだよ慌てちまったぜみんな今の話は聞かなかったことにしてくれ!」

「まあ、考えたってしょうがないよ。舞浜ちゃんも、そんな真っ白な顔してないで」

「う、うん……」

「でも、せめて約束は守ってね?」

「や、約束を!?」


 きけ子は。

 自分との約束のことを言いたかったんだろう。


 一生懸命に取り組んでもらいたい。

 きけ子の希望は、終始それひとつ。



 でも。

 こいつは、最後の最後に勘違いした。



「あ、あたしたちが勝ったりしたら、大変……! き、棄権します!」

「え……?」

「走らない……! あたし、絶対走らない!」



 ……人間。

 誰だって咄嗟に最適な対応なんかできやしない。


 後になって思えば。

 俺がこの時に正しく説明していれば。



 親父を警察に呼び出すなんてことにならなかったはずなんだ。



「舞浜ちゃん……。今の、本気で言ったの?」

「ほ、本気……!」

「じゃあ、あたしとの約束は何だったの!? スポーツ舐めんな!」

「ひっ……!?」


 きけ子は。

 真のスポーツウーマン。


 普段は、さっぱりといつもにこやかなくせに。

 誰かと戦って蹴落として頂上を目指す。

 そんな世界に誇りと敬意を持っている。



 だから。

 こんな、見たこともないほどの怒りの表情をするのも。


 当然なことなんだ。



「必死にやるって言ったのに! ウソつき!」

「ちょ……。落ち着け、夏木」

「これが落ち着いていられるか! あたしは最後の最後まで信じようとしてたのよ!? パートナーだって解散したくなかったけど、それで本気になってくれるならって……!」


 呆然としたままの秋乃に対して。

 怒れるきけ子の方がぼろぼろと涙を流し始める。


 もう、こうなったら。

 俺の声なんか届くはずもねえ。


「こうなったら……! 最後の手段よ! 舞浜ちゃん!」

「は……、い……」

「勝負よ! もし秋乃ちゃんがあたしより先にテープを切れなかったら、一生、口きいてあげない!」



 …………なんてこった。



 一つをとれば。

 二つが崩れる三つ巴。



 これを聞いた秋乃が。

 どれほど悲しい表情を浮かべていても動揺しないように。


 俺はしっかり覚悟を決めてから。

 振り返ったんだが。



 ……やめろ。

 俺はこう見えて泣き上戸なんだぜ。



 堰を切ったように涙を流す俺を見つめる秋乃は。



 ただ。


 優しく微笑みを浮かべていた。



 自分を守る最後の砦。

 すべてを諦めて、心を捨てたその証拠。



「早退します」



 そんな秋乃は、一言だけ告げて。

 廊下へ出て行ってしまった。



 ……嗚呼。

 神よ。


 スポーツの神よ。


 一番頑張ったのは誰か。

 それが分からんのか?


 一番苦しんだのは誰か。

 それが分からんのか?



 なぜ、これほどの仕打ちが出来る。

 俺は、涙をどう止めればいい。



「……保坂も、一緒に帰れ」



 先生の一言に。

 クラスの皆は、まったく騒ぎもせずに同意する。


 そんな判断を聞いた俺は。

 嬉しさと悲しさをない交ぜにした心地で教室を飛び出した。



 だって。

 放っておくことなんかできない。


 でも。

 そばにいたって何もできやしない。



 しかも。



 ……今日で二度目。


 落ち武者のかっこして泣いてる秋乃の隣を歩いてたりしたら。


「ちょっと君たち! 高校生だな、何の真似だ?」


 呼び止めて来たお巡りさんに対して。

 こう返事するしかねえじゃねえか。


「……俺が無理やりこのかっこさせたら泣き出したんだ」

「ちょっと詳しく話を聞こうか」



 ――さて。


 俺は確か、学年一位の成績だったよな?



 なのに、いつまでたっても。


 この難問の。

 答えが見つからない。


「わからねえ……」

「お兄ちゃん!? 分からないなんてこと無いよね!? どうして秋乃ちゃんにこんなかっこさせたの!」



 ……でも。

 意地でも答えを見つけ出してやるから。


 待ってろよ。

 秋乃。



「おにいちゃん! 何とか言いなさい!」

「……秋乃の頭から突き出た矢。角度がずれててすげえむず痒い」

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