楽園の果て

 ヴィンと別れてからどれくらい飛んだだろうか。進めば進むほどに空は薄暗くなっていく。そして、島には鳥喰草すらいなくなり、今にも崩れそうな岩の塊と化していた。

 緑のある島はもうない。


「ヒナちゃん、見てごらんよ」


 雛乃の手を引きながら、ドゥードゥが前方を指差す。そこには薄暗い空。

 最初はなにがあるのかわからず、目をこらす。暗い空の色にまぎれて見えにくいが、雛乃には空間に亀裂が入っているように見えた。

 見間違いかと思ったが、やはりそう見える。


「もしかして、あれが……?」

「そう。ここは楽園の果てだよ」


 とうとう着いてしまったのだ。思わず後ろをふり返るが、ヴィンの姿があるはずもない。


「ずっと空は続いてるように見えるけれど、あそこから先へは行けないんだ」

「楽園の果て……」

「あの裂け目は楽園の果てに空いている。だから、あそこは楽園の外に繋がってるんじゃないかって思ってる。楽園のものとは違う気配がするしね」


 雛乃が見ても、その裂け目は空間に空いた穴に見える。穴の向こう側は真っ暗だが、そこにはどこまでも広がる空間があると雛乃の中のなにかが確信していた。

 あそこから出られれば帰れる。


「僕たち楽園の生き物は、あの裂け目を通ることも出来なかったんだ。ヒナちゃんが通れるなら、打開策はあると思うんだよ」


 話している間にも裂け目は近づいてくる。それは雛乃が縦に三人並んだよりも大きな穴。底知れない暗闇が向こう側には広がっている。

 薄暗いせいなのか、裂け目が影響しているのか肌寒い。


「この裂け目の裏側は、見られないの?」

「そうだね、ここから先は行けないからね」


 ドゥードゥがそれを証明するかのように、裂け目の横を通り抜けようとするが、その身体はやんわりとなにかに押し返されるように弾かれた。ヒナちゃんもやってごらんと雛乃を押し出してくれると、それが雛乃にもはっきりと感じられた。

 空はずっと続いているように見えるのに、進もうとするとふわっと押し返されて進めない。これが楽園の果て。

 雛乃が納得したのを見て、ドゥードゥが裂け目の前へと移動した。


「怖い?」

「ちょっと」


 真っ暗な闇。どこまでも果てのない空間に見える裂け目の向こう側。

 本当に出られるのか、出られるとして無事に帰れるのか、そもそも自分は今生きているのかわからないことだらけだ。

 それでも、あそこを通ることができるかは試さなくてはならない。どちらの結果になっても、それによって対処すべきことが変わるのだろう。

 力を持つ鳥たちに選択肢を与えるためにも、雛乃はやらなければならなかった。

 そっとその空間に手を伸ばす。雛乃の手は、なんの問題もなく裂け目の向こう側へ伸びた。楽園とその裂け目の向こう側は、繋がっている。手の色がうっすら黒く見えるのは、向こう側に出ているからだろう。


「良かった、通れるんだね」


 ドゥードゥの表情が一瞬和らぐ。それは、雛乃がここから出られることを喜んでいる顔だ。


「僕たち楽園の生き物は通れないんだ」


 ドゥードゥの長い腕が裂け目に向けて伸ばされる。その指先は、裂け目を越えられずに曲がった。肩をすくめたドゥードゥが、その場所に拳を振り下ろした。音こそなかったが、まるでそこに分厚い壁があるかのようにその拳が弾かれている。

 雛乃は楽園の生き物ではない。明らかな異物なのだとあからさまに見せつけられ胸が痛む。そう、残ったところでなにも出来ないし、ヴィンとの未来も作れるはずがないのだ。

 それに雛乃自身が楽園の脅威にならないとは限らない。脅威ではないとしても、ナツやナギのようによく思わない者も出てくるだろう。

 雛乃が帰る、楽園から出ることがきっと最善。


「これで、お別れなのね……」

「そうだね。ここから出たらもう僕は手を貸してやれない。だけど、きっとヴィンの翼が君を無事に届けてくれるよ」

「うん」


 無事に帰れるかはわからない。それをここで言ってもドゥードゥにはどうしようもないことだ。


「ヒナちゃんがここを通れるなら、一か八かだけど一つだけやれることがある。うまく行けば楽園を救えるよ。だから安心して」

「大丈夫だよね、楽園も、ヴィンもドゥードゥも、みんな……」

「そうだね、僕がなんとかする」


 力強く頷いてほほ笑んだドゥードゥに、雛乃も無理矢理笑みを作った。

 本当はヴィンに会いたい。あんなに苦しそうにしていたヴィン。大丈夫だと言っていたが、それを見ていないから不安だけしか残っていない。

 別れるなら笑顔が良かった。あれが最後だなんて思わなかったから、自分の気持ちを言葉で素直に表現することすら出来なかった。

 今ならどうしてあんなにナギに嫉妬したのかがわかる。ただ、素直に好意をヴィンに伝えていたナギが羨ましかっただけ。


(だけど、今さらだよね……)


 もうヴィンはここにはいない。そして雛乃は、ここから出ていく。もう二度と会えないのだ。


「ドゥードゥ、ありがとう」

「うん」

「ヴィンにも、そう伝えてくれる?」

「もちろんだよ」


 頷いたドゥードゥが、そっと雛乃の手を離す。背中の光の翼が音を立てて広がった。

 大丈夫、まるでヴィンがそう言っているかのようなあたたかさが背中から伝わってくる。

 行こう。ヴィンがそう望んだことだから。

 そっと翼を動かし、裂け目をくぐる。手の時と同じように、なんの抵抗もなく身体は裂け目を通り抜けた。


(––––––––‼︎)


 目の前に広がるのは、どこまでも続く闇。その闇の奥から、雛乃によく馴染んだ気配が明確に感じられた。

 そうだ、この気配をたどって飛べばきっと帰れる。

 ふり返ると、裂け目の向こうにドゥードゥの姿が見えた。彼はにっこりとほほ笑み、手をふった。それに頷き、背を向ける。


(さよならヴィン。どうか無事で……‼︎)


 光の翼が力強く羽ばたく。まばゆく輝くそれは、雛乃の身体を帰るべき方向へと運ぶ。迷いもなく。

 ここからは雛乃一人だ。それでもこの翼があれば大丈夫。

 ヴィンの願ったことを叶えよう。もうそれしか雛乃に出来ることはないのだから。


 ◆ ◇ ◆


「ナツとナギには悪いことしたな……今更許してくれないかもなぁ」


 ヒナを見送り、ドゥードゥは小さくため息をつく。

 あの二人がまさかヒナを亡き者にしようとするとは思わなかったが、力を持つ鳥としては当然の行動だったのも事実だ。

 ともあれ、ヒナは光の翼ごと楽園の外に出せた。あとは無事に帰り着くのを祈るしかない。

 そして、ヒナが外に出られたということは、楽園の生き物でないものは外に出せるということだ。

 ドゥードゥの頭の中に一つだけ可能性が浮かんでいた。無駄かもしれないが、やってみるしかないだろう。たとえそれが、愛した者との別れになるのだとしても。


(僕は、力を持つ鳥、だからね……)


 ここまで楽園を壊し、数多くの罪なき鳥たちに犠牲を出した一端は自分にある。知っていながら目を逸らしていたのだから。なんとかその結末だけは回避したいという、そんなとてつもないエゴが招いたこと。

 だからこそ、最期もまた自分の手で決着をつけたい。他の誰でもなく、楽園をここまで追い込んだこの穢れた手で。

 楽園が助かるか、鳥喰草が命を喰い尽くすか。


「最後の審判だ」


 ◆ ◇ ◆

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