第五章 罠と真実

 どこまでも続くと思っていた青空は、いつからかほの暗い色に変わっていた。最初は気のせいかなと思うくらいだったのが、今でははっきりと薄暗い。

 それがなにを意味するのか、それを聞くのが怖くてたまらない。

 ナツとの戦闘の後は夜も飛び続け、翌朝に木の実を取り飛びながら食べた。それが最後の食事だ。二度目の夜に短時間地面の上で眠り、鳥喰草の襲撃で暗いうちに飛び立ってそのままどこにも降りずに飛んでいる。

 もうどの島をみても緑がなく、鳥喰草の不気味な姿しか見えない。その様子に、さすがに背筋が寒くなる。

 ヴィンと繋いだ手だけが熱い。

 目の前をドゥードゥの白い翼がかすめた。


「ヒナ、もうすぐ果てに着く」

「そんな!」


 なにがそんななのかはわからない。もう着いてしまうことへの驚きや恐怖なのか、ヴィンと別れることになるショックなのか。わからないけれどただ声が出た。

 ヴィンと離れたいなんてどうしても思えない。


「お前に翼をやろう。翼がある方が飛ぶっていうイメージがしやすいみたいだからな」

「翼を……?」


 どういう事なのかよくわからないが、この際そんなことはどうでも良かった。このままでは楽園の行く末もわからないまま、雛乃は帰らなければならなくなる。

 ヴィンたちの生死も不明となるのだ。


「そうだね、それが良いよ」

「ちょ……」

「ヒナちゃんはとにかく、真っ直ぐに帰ることだけ考えて飛んで」

「ちょっと待って……」


 雛乃の気持ちは置いてけぼりで、どんどん話が進んで行ってしまう。

 まだ、帰りたいわけじゃない。ヴィンとこのまま別れたくはない。


「わたしまだ帰れないよ‼︎」

「なぜだ」

「だってこの先ヴィンたちはどうなっちゃうの⁉︎」

「心配はいらない、俺たちのことは俺たちがどうにかする。ヒナは帰って生きてくれ。それが俺の希望になる」

「そんなの勝手だわ‼︎」


 ヴィンの希望になれても、雛乃の希望は叶えられない。それがどんなに辛いことなのか、ヴィンにはわからないのだろうか。

 ぎゅっとにぎった手を、ヴィンはいつものようににぎり返して来ない。そのことに胸が締め付けられた。


「ヒナにはどうすることも出来ないだろう」

「そうだけど……なにも出来なくっても心配しちゃうよ……」


 それが、自分が好意を抱いている相手ならなおさらだ。ドゥードゥだってこうして協力してくれているし、ナツとナギだって死んでしまえばいいなんて思えない。彼らは楽園を守りたい一心で争わなくてもいい相手と争った。雛乃がいなかったらそんなことにはならなかったはずなのだ。


「それに、それにヴィン、大丈夫なの? 苦しくない?」


 ヴィンが虚を突かれたような顔をしてその場に止まった。ドゥードゥも飛ぶのをやめ、不思議そうな顔でヴィンを見る。

 昨晩、すぐそばで荒い息遣いが聞こえて雛乃は眠りから醒めた。気づかれないように薄目で見たヴィンの表情は歪んでいた。苦しそうだった。

 それでも起きて声をかけなかったのは、そこにただならぬものを感じたからだ。おそらく、雛乃だけでなくドゥードゥにさえ隠しておきたいなにかがあるように思えたのだ。

 気が付かないふりをして様子を見ていたが、しばらくすると治ったようで、穏やかな表情になっていた。飛び続けたせいで力を使いすぎただけかと思ったが、やはり無視出来ない。


「なにを言っている?」

「もしヴィンがなにかに苦しんでいるなら、助けになりたいの」

「そんな必要はない」


 にべもなく言い切ったヴィンの瞳が、剣呑な輝きを放った。それはいつも雛乃に向けてくれていた優しい色とは真逆のものだ。

 脳裏に雛乃を襲ったナギの顔が一瞬浮かび、両腕が粟立つ。


「でもヴィン」

「いい加減にしろ‼︎」


 突然声を荒げたヴィンに、びくりと身体が揺れた。ヴィンが雛乃を怒鳴ったことに驚いて、心臓がめちゃくちゃな鼓動を打ち、急激に上がった心拍に息が苦しくなる。

 無事に帰って欲しい。それは雛乃のためを思って言ってくれていることくらいわかる。だけど雛乃だって、そうヴィンが思ってくれているのと同じことを思っているだけなのに。


「まだわからないのか。お前がいると足手まといなんだ」

「––––––––ッ」


 否定は出来なかった。それは事実だ。雛乃を無事に帰すために貴重な力を持つ鳥の戦力を削いでいる。鳥喰草の駆除も雛乃がいない方が絶対に効率がいい。それに、ナツとナギの二人と争うことになったのも雛乃のせいだ。

 ヴィンにはずっとそんな風に思われていたのだろうか。足手まといだと。

 ヴィンと気持ちが通じ合ったと思っていたのは、それは雛乃の勘違いだったのだろうか。

 そうだ、ヴィンは挨拶だと言っていたではないか。それなのに舞い上がっていたなんて。


「そんな言い方しなくてもさ〜」

「はっきり言わないとわからないからだ」


 ヴィンの鋭く尖った紅玉の瞳が雛乃を刺す。その顔が小さく歪んだ。空いた手で胸を押さえ、なにかに耐えるように息を吐き出す。

 やはりヴィンの身体になにか起こっているのでは?


「ヴィン、だいじょ––––––––」

「触るな‼︎」


 怒気を孕んだ声とともに伸ばした手がふり払われる。それは明確な拒絶の意思。


「どう、して……」


 ヴィンにふり払われた手が遅れてじんとした痛みを伝えてくる。不安と混乱で早鐘を打つ胸が締め付けられて、息が吸えない。

 たとえ足手まといだと思っていたとしても、ヴィンはこんなことをする人だっただろうか。


「いいか、お前は俺の命を分けてやっと今無事でいられるくらい存在が希薄だった。ここに残ってその命も使い切ったら、また俺が命を分けるのか?」

「それは……」

「いつまでそうするんだ? 俺は足手まといなヒナを連れ歩いて鳥喰草を満足に排除出来ない上に、命を渡すことで力まで削がれていく。これでお前は満足なのか⁉︎」

「ちが……」


 違うと言いたくて喉がつかえた。ヴィンの言っていることは正しい。雛乃が楽園に残ることで、ヴィンは雛乃を生かそうとまた命を分けることになるのだ。

 ヴィンはやはり優しい心の持ち主だ。だからこそ楽園に残れば放っておけず、雛乃を助けてしまうのだろう。楽園が、鳥が、そして自分自身さえ危険な状態なのにもかかわらず。


「俺たちは楽園を救いたい。お前のわがままに付き合っている場合じゃないんだ。わかるだろう?」


 喉の奥がひりつく。自分の浅はかさに嫌気が差した。

 ヴィンが雛乃を問答無用で楽園の外に放り出さないのは彼なりの優しさだ。本当なら、雛乃なんて助けずに捨て置いていても良かったのだ。鳥喰草に喰われようと、雛乃は楽園の住人ではないのだから。

 もしくはナツやナギのように、力づくで排除しようとしてもおかしくはない。それをしないでいてくれている、その気持ちに甘えていたのだろう。


「ごめんなさい……」


 それでも、ヴィンともうすぐ別れるという選択が出来ない。

 繋いだ手を今離さなくてはならないなんて。


「無事に帰って生きろ」

「ヴィン……」

「それが俺の願いだ。頼む」


 ヴィンの腕が背にまわり、雛乃を抱きしめる。その熱に一気に胸の奥に渦巻いていた思いがあふれ出す。

 堰を切ったように瞼を乗り越えた涙が、ヴィンの肩を濡らしてすべり落ちた。雛乃の髪を優しくなでる手の熱。ほおとほおが触れ、耳にかかる吐息が全身を熱くした。

 その熱が急に背中に集中し、なにかが内側から背中を突き破ったような衝撃に襲われて息を飲む。恐怖でヴィンに縋り付くと、さらに雛乃を抱きしめる腕の力が強くなった。そして。


(え……なに……?)


 自分の背中になにかがついている。それが感覚で伝わってくる。

 その感覚自体は初めて感じるものだが、それがなにかを雛乃は見ずともわかってしまう。


「翼……⁉︎」


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