追撃

 鳥喰草の大口が迫った。不気味にうねる蔓。

 もうダメだと目を閉じかけた雛乃がその口の中に入るよりも早く、その口は閉じた。雛乃はその閉じた口に勢いよく叩きつけられ、バウンドして鳥喰草の蔓の上でまた跳ね返され、次の瞬間に地面へと叩きつけられてしまった。

 重い衝撃が走り、まるでテレビ画面が消えるようにぶつんと視界が暗くなる。

 痛さは不思議と感じなかった。ただ、衝撃で身体を動かすことさえ出来ない。耳の奥から今まで聞いたこともないような耳鳴りが聞こえた。

 口の中いっぱいに血の味が広がる。


(あ、わたし、ダメだ……)


 致命傷を負ったのだと自分でわかった。せめてもの救いは痛いと感じないことだろうか。だが、呼吸は徐々に苦しくなってくる。

 もともと存在が希薄だったとヴィンが教えてくれた。そうだ、雛乃は白血病だった。どこにいたって希薄で、すぐに死んでしまうような存在だったのだ。

 でも、それでも。


(ヴィン……)


 大丈夫だったのだろうか。死ぬなら最期はヴィンに手を繋いでいて欲しかったのに。

 それなのに、結局こんなところで、一人でその時を迎えることになるなんて。

 周囲の状況はなにも見えない。目の前は真っ暗で、目が正常に働いていないことは明白だ。だからこそ余計にヴィンの手が恋しかった。

 どこが指先かもわからず、それでもそこに力を入れようともがく。もしかしたら、駆けつけてくれたヴィンが手を伸ばしてくれるかもしれない。そうであって欲しかった。


「ヴィン、あいたい……」


 途端に胸が熱くなり、身体が光に包まれた。冷えた身体に熱が送り込まれて行く。

 ヴィンとのキスが脳裏をよぎり、その熱が雛乃の身体を癒していくのがわかった。

 なにも見えなくてもその熱を間違うはずはない。ヴィンだと確信して名前を呼ぶものの、返事はない。目に光が戻り、周囲の音がどっと耳へ流れ込む。

 動かせるようになった身体を引き上げて周囲を見回すが、姿はない。


「ヴィンの命……?」


 最初に鳥喰草から助けてくれた時に、雛乃の胸に刺さった光の矢。あれはヴィンの命を分けてくれたものだと言っていた。

 その分けてくれた命が雛乃を癒してくれたのだろうか。

 立ち上がると、目の前に木かと思うほどの蔓が見えた。悲鳴を押し殺して上を仰ぐと、そこには大口が開いている。

 なにかを考えるより早く、雛乃の足が動いた。とにかく必死で遠ざかろうと走る。飛べれば上に逃げられるのに!

 その雛乃の行手に炎の玉が降ってきて燃え上がった。それに慌てて足を止め引き返そうとしてそこに鳥喰草の大口を見る。どうしようと迷う暇もなく、上から熱風が吹き炎が迫ってくるのが見えた。

 燃やされるなんていや、そう思うのに足が恐怖で動かない。


「ヴィン助けてぇ‼︎」


 悲鳴を上げた雛乃の頭上に大口までもが迫る。炎はその大口にぶつかり、激しく燃え上がった。

 ばたつく鳥喰草から逃れるように、再度足を動かす。鳥喰草の食い意地のおかげで命拾いしたようだ。

 だがそう思えたのも束の間。


「ヒナ!」


 鋭い声がして、黒い鳥が雛乃の前に降り立った。ナギだ。

 翼が一枚、だらりと垂れ下がっているのは、ヴィンにやられたからだろう。それだけ見れば痛々しい姿だ。艶のある黒髪も、今は乱れている。


「ナギ……」


 ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるナギ。その顔には表情がない。


「ナギ、どうして⁉︎ あなたはヴィンが好きじゃなかったの⁉︎」

「好きよ」

「じゃあ、どうして」

「あんたを消すためよ、ヒナ」


 冷酷に放たれたその言葉に、雛乃の背筋が凍りついた。

 狙いはヴィンではなく自分だったなんて。けれど、心当たりがない。いや、急に現れてヴィンにかまわれて、ナギにとっては面白くなかっただろう。でも、それだけでこんなことをするだろうか。


「ほんの少し一緒にいただけのあんたなんかに、ヴィンが取られるなんて……」


 そこではじめてナギの顔が歪んだ。憎悪のこもった瞳で雛乃を睨みつけてくる。しかし、雛乃にはその瞳が泣いているように感じられた。

 ナギは力を持つ鳥。そして、ヴィンと同じ時間を共有して来たのだ。雛乃なんかとは比べ物にならないくらいの、長い時間を。

 もし雛乃がナギの立場だったらと思うと、その憎悪はわかる気がした。だからと言って、ここでナギに消されてしまうのは困る。

 せっかく助かったのに。せっかく、またヴィンに会えるかもしれないと思ったのに。


「あんたなんか居なくなればいいのよ。あたしのヴィンを取らないでよ‼︎」

「だからってヴィンごと焼こうなんて馬鹿げてるわ‼︎」

「あたしにふり向いてくれないなら、力で教えるしかないわ」


 仄暗い狂気を孕んで、ナギはうっすらと口角を上げた。そのぞっとするような笑みは、彼女が本気であることを告げている。

 ナギに対抗する手段はなにもない。せめて、せめて逃げ出せないだろうか。


(なんとか隙を作って……)


 辺りを見回す。その視界に、木々の間を這ってくる鳥喰草の姿が見えた。ナギの後ろから、幾つもの大口がこちらへ向かって来ている。巨大な蛇にも見えるそのグロテスクさに全身が縮み上がった。

 鳥喰草の大口が一斉に開いた。その狙いは全てナギへと向いている。

 迷っている暇はない‼︎


「ナギ‼︎ 鳥喰草がッ」

「邪魔しないでよね」


 一言そう言ったナギが、腕を後ろへふった。同時に、時空間から出現でもしたかのごとく現れた無数の炎が飛び出した。

 ごうっと音を立てて飛んだ炎は、見てもいないのに正確に鳥喰草を捉え火柱を作る。

 ナギの黒髪が熱風でなびいた。その髪に映る赤い火の影が、ナギの狂気をも映す。


「あなたとはお別れよ、ヒナ。仲良くなれなくて残念だわ」


 ナギが腕を広げ、周囲に炎の玉を出現させる。それは、円状に雛乃を取り囲んだ。逃げ道を完全に塞がれてしまったのだ。

 炎の向こう側で揺らめくナギの表情はわからない。


「ナギ、やめて‼︎」

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