第3話 東の国の姫

昨晩の嵐が嘘のように、気持ちの良い五月晴れが広がる。

飛行場には涼やかな風が吹き、湿り気を含んだ魔素が陽光を受けてキラキラと光っていた。


駐機場を見渡すガラス張りの壁があるゲートエリアは人でごった返していた。

飛行機の搭乗時間を示す大型のモニターには「和国船」の文字しかない。


ーーーアテンションプリーズ。お待たせ致しました。十四時三十三分定刻、和国東京飛行場発。グレイトブリテッシュ空港行き、和国船桜丸が到着いたします。


アナウンスに促されて人波が動く。ゲートデスクの前には行列ができた。

黒竜のマークが入った白の制服を着たスタッフが入場券を確認してはチケットに穴を開けている。


空港会社のサポートスタッフに誘導されて、パイプのような通路を潜る乗客たち。駐機場に降りるための透明な乗り物に乗客がどんどん箱詰めされていく。

一台につき百人くらいが乗れる魔道式カートはすぐに満員になった。


整備員に誘導されて四つの透明の箱がのんびりと動く。

カートがゴトンと音を立てて止まった時、時刻はすでに十四時三十分を回っていた。

第一発見者はチェックのワンピースを着た幼児だった。

最前列で首を長くしていた子供は青空を指差して歓喜の声を上げる。


「パパ見て!グミみたいな形してるよ!」


海を越えて空を泳いできた桃色の飛行船は近づいてくるにつれて、想像以上であることがわかった。アパートくらいの大きさがあったのだ。


人々の注目を一心に集めたまま、桃色の飛行船はふんわりと着地した。

機体の胴体に描かれた文字は「和国船・桜丸」。

乗っているのは和国の要人だ。


一般客によってフラッシュがたかれる中、出迎えるグレイト=ブリテン側は移動プレートを用意していた。

どこからともなく滑るように現れた板が機体の側にぴたりとつけられる。

黒の魔石で塗装されたそれはTENGEN社製のセンターオブジプレートだ。


二十人乗りくらいの大きさに見えた。今乗っているのは二人。二人にはかなり身長差があった。二人とも顔を隠すようにしてフードをかぶっている。


ちなみに、センターオブジプレートとはグレイト=ブリテン王室専用のプレートだ。一般国民には滅多にお目にかかれない代物であり、「グオオオオ!」という竜の咆哮のようなエンジン音は全グレイト=ブリテン男子の憧れだったりする。


センターオブジプレート上では花火のように光が上がっていた。

どうやら惜しげもなく魔力が使われている様子。


「万が一姫さんが落ちねえようにバインドと…シールドも貼っとくか」


背の低い方の魔法使いの右手からは黒波が溢れ出ている。

左手は摘んだり捻ったりの動作を繰り返していた。魔力で織物でもするように黒の魔力の糸が紡がれていく。

あっという間にプレートと機体を魔力が繋いだ。鎖が巻きついたような固定の仕方ーーーバインドの魔法だ。


もう一人の背の高い方の魔法使いの動きは対照的だ。

方々に向かって無造作に腕を振る動作。

バランスボールくらいありそうな真っ赤な球を二十ばかり投げ終わると、集中するように目を閉じた。

どうやら大規模魔法を使うようだ。

彼が最後に手を合わせると、いくつも魔力の柱が伸びて、傘を逆さまにしたみたいな真っ赤な魔力のドームが完成した。


「…デニス、お前はネズミ一匹入れない気かよ」


黒魔法を怒涛の勢いで放ちながら、自分より頭二つ分ほど大きい男を呆れ顔で見た。

デニスと呼ばれた魔法使いは褒められて満更でもなさそうだ。白い歯を見せている。


赤くなった空を見て「もう夕方?」と目を丸くしている子供。

それだけではない。

大人たちも煌びやかな魔法の数々に心を奪われていた。


「赤の魔法使いの魔力量どれだけだよ!」

「黒魔法だ!初めて見た!」

「王族は黒竜様の魔法を使えるって本当だったんだ…」

「あんな綺麗な黒魔法を使えるのなんて陛下かエゲート殿下くらいじゃねえか」


黒の魔法使いは最後にコツコツとノックするみたいに黒魔法の壁を叩いた。

にんまりと笑った顔から自分の魔法の出来にご満悦の様子が窺える。


柔らかい表情で相方を見守っていたデニスがすいと前方を見た。


「来ますね」

「だな」


黒の魔法使いがぱさりとフードを取った。デニスもそれに続く。


フードに隠されていた二人の素顔が明かされーーーそのうちの一人がパーシヴァル=エゲート王子であることがわかった瞬間、集まった観客から割れるような歓声が上がった。


ギャアアアアアアアアア!


歓声を受けた張本人は飛行船の入り口を見つめたまま、そよ風でも吹いたように涼しい顔だ。

彼は王族だった。注目され、騒がれることに慣れているのである。

パーシヴァルの横のデニスはギョッとした様子で後ろを振り返りーーー集まった観客の熱狂具合に苦笑いしている。


「デニス、出てくるぞ」


応えるようにデニスが跪いた。

パーシヴァルは心臓に手を置く。


桃色の飛行船は機械音を発しながらその口を開けた。


乳白色のカーペットが敷かれた船内は落ち着いた色合いでまとめられていた。

白と紺色を基調としており華美な装飾は一切ない。

無機質な酸素マスクだけが不調和だ。まあ必要なんだが。


品定めでもするように眺めていたパーシヴァルはこちらを凝視している少女に気がつく。

護衛の兵士に囲まれているところをみると彼女が姫君のようだ。

パーシヴァルよりも少し歳下の年齢に見える。十五歳前後だろうか。


少女はぎこちなく笑った。そしてやや慌てた様子で立ち上がる。


ーーー緊張してんな。


パーシヴァルは氷のようだと称される無表情で少女を見返した。

特に彼女には興味が持てなかったようだ。


少女は護衛に囲まれたまま静かに近づいてきた。

飛行船から出る際にはパーシヴァルが手を貸した。

おっかなびっくりセンターオブジプレートに乗る少女。

彼女に続いて桐箱がいくつも出てきた。

女人によって運ばれる木箱がぐらついている。見かねたデニスが運ぶのを手伝っていた。


パーシヴァルはすぐさま少女の手を離すと両手に四つの桐箱を抱えていたデニスに椅子を要求した。


「パーシヴァル様、柔らかいのと硬いのどっちにします?」

「埋もれたい気分」

「はいはいっと…あ、この箱ここにおきますね〜」


デニスは心得ているとばかりに鞄から卵型の柔らかそうなクッションを取り出す。

ぽよん、と優しい音を立てて置かれたクッション。

ダイブするようにして黄色のクッションに収まったパーシヴァル。

満足そうに身体を弾ませていた彼に向けてデニスが光るものを投げた。

飛んで行ったのは移動プレートの動力魔石。

放物線を描いて飛んできた石を顔の前で難なく受け止めたパーシヴァルだが、先ほどとは一転して面倒くさそうな顔になった。この後の仕事を思い出したらしい。


「パーシヴァル様、運び終わりました〜俺ここに残って飛行船移動させますので」

「ん、また後でな」


言葉通りデニスはプレートから飛び降りた。

三階建てくらいの高さから消えていったデニスに和国の面々は驚愕の表情。どうやら彼らに身体強化の文化は根付いていないようだ。


動き出したプレートの上で立ったまま雛のように身を寄せ合っていた和国の

人々だが、飛行場を出たあたりで少女が何かの指示を出した。

すぐさま敷かれたのは井草のラグ。

少女はそのラグの上に移動すると、パーシヴァルに向かって平伏した。


パーシヴァルは頬杖をついたまま少女を見下ろす。

グレイト=ブリテンは始祖竜である黒竜に守護される国。

五大竜王国の地位は高い。東の辺境から来た彼女は皇族だが…パーシヴァルよりは下になるのだ。


少女がつらつらと挨拶を述べるのをそれらしい顔で聞きながら、パーシヴァルは初対面の異国の少女を観察した。


ーーー魔力の大きさは普通。見た目もパッとしない。


気分は面接官だった。

グレイト=ブリテンには他国から山ほど留学生やら国賓やらがやって来る。

世界で初めて黒竜の加護を継承したこの国から少しでも利益を得ようと皆が必死なのだ。


加えて国王夫妻は二人して少し天然ボケしているときた。

魔法使いとしては世界最強夫婦で間違いないのだが…外交面ではよくとんでもない条件を呑んできそうになる。


「一番はじめに加護をいただいた我々には世界への義務がある」


国王陛下の実際の発言である。ノブレスオブリージュ…地位、魔力、美貌。全てを持っている国王陛下はこの言葉がとてもよく似合った。

ーーーパーシヴァルは悔しいので兄を褒めたりはしないのだが。


お人好しの二人が甘すぎる判断を下す前に、グレイト=ブリテンでの他国の要人の処遇を決めているのがパーシヴァルだった。


パーシヴァル自身、成人しても美少女のような外見なので「品定め」の役目にはある意味ちょうど良かったりもする。

ほら、例えば今のようにーーー


「グレイト=ブリテンもうちが田舎の国だと思って舐めやがって。護衛も寄越さずこんな弱そうな王子一人が出迎え?」


兵士の一人が言った。

パーシヴァルにわざと聞かせるような大きな声。


パーシヴァルがこの一団の評価をさらに下方修正しようかと思ったときーーー緊張気味に口を引き結んでいた姫がピシャリと言った。


「お黙り。ーーエゲート殿下をどなたと心得る。…お前はもう帰りなさい。この世界で五本の指に入る魔法使いに向かって『弱そうな』などと言う護衛は必要ありません」


姫のこの言葉を聞いてーーーパーシヴァルは内心驚いた。


実はパーシヴァル、エゲート性をわざと名乗っていないのだ。

この東の国の姫は今までのやり取りで、パーシヴァルの存在を見抜いたらしい。


パーシヴァルは退屈そうだった表情を少し綻ばせた。

そして高速で移動するプレートから本気で兵士を落とそうとしている姫を呼ぶ。


ーーー案外、大人しいと言うわけでもなさそうだな。ここから落としたら怪我じゃ済まされないと思うんだが?


名前を呼ばれた姫は叱られる前の子供のような顔で寄ってきた。


その反応を見てパーシヴァルは姫の評価を上方修正することに決めた。

相手の実力を正しく判断できるのは魔法使いには必須の技能だからーーーというのが建前。

栗色の髪や主人の命令に忠実そうなところが、昨年映画で観た豆柴みたいで気に入ったのが本音。


目の前でラグの上にちょこんと座る姫。

ーーーお座りみたいだった。パーシヴァルの目には姫が豆柴にしか見えなくなってきた。


「豆柴は俺のこと知ってたの?」


姫は困惑顔になった。

そりゃあそうだ。急に犬扱いされても戸惑うだろう。

しかしパーシヴァルが表面上は真面目な顔をしていたので、姫の方も居住まいを正した。


「世界中の魔法使いでパーシヴァル=エゲート様を知らない者などいませんわ。黒に近い紫色の髪に真紅の瞳ーーーそれだけではありません。飛行船を出た瞬間、プレートにかけられた魔法を見てすぐにわかりました。むしろ、どうしてこんな簡単なこともわからない者を側近に選んでしまったのか…」


本気で自分の審議眼を後悔しているらしい姫は疲れたようにため息を吐いた。ちなみに、先ほどプレートから落とされかけた兵士は隅っこの方で震えている。どうやら姫の仕打ちが相当堪えた様子だ。


姫の言葉にパーシヴァルは「ふうん」とだけ返事をした。

残念ながらパーシヴァルの興味は別の場所に移ってしまったようなのだ。


サクサクサクサク。

防音魔法の貼られたプレートの上で。

パーシヴァルのクッキーを食べる咀嚼音だけがよく響いた。


袋に入れられたクッキーがどんどんなくなっていくのを姫が呆然と見ている。

クッキーを食べ終えてしまったパーシヴァルはぺろりと人差し指を舐めた。

満足げに腹をさすった後で再び姫へと向き直る。


つむぎ姫は何しにこの国にきたの?」


どうやら会話が続くらしい。

再び姫は姿勢を正した。名前を知られていることが意外に思う。

まあ、先ほど名乗ったばかりなのだが。


「わたくしはグレイト=ブリテンへ魔法を学びに来ました」


姫の言葉にパーシヴァルが首を傾げる。


「そういえば学園に入学するんだっけ?ーーーでもみんな隣の国に行ってなかった?魔法大国といえばプロイセンでしょ」


グレイト=ブリテンの隣には赤竜が守護するプロイセンという大国がある。

パーシヴァルの言葉通り世界一魔法使いが多い国で留学生の数も圧倒的に多いのだ。


パーシヴァルの指摘を姫は肯定しつつも、曖昧な笑みを浮かべた。

プロイセンが一番の魔法大国という常識は徐々に崩れつつあるのだ。


「確かにプロイセンも考えました。しかし、あの国は今内情が荒れていると聞きましてーーーわたくし残念ながら自分の身を守れるほど強くないので比較的治安の良いこちらの国を選びました」


姫の正直すぎる言葉に側近の一人が眉を潜めた。

もう少しグレイト=ブリテンを立てた方がいいと思ったようだ。「治安がいいから」ではあんまりだろうと。

しかし、パーシヴァルは特に気にしていないようで「お前弱そうだもんなあ」と納得した様子。


「紬姫は適性的に赤魔法が強そうだし、プロイセンに推薦出してもいいかと思ったんだけどそういう理由ならうちのままでいいな。ーーーただ、安全とはいえねえよ?隣よりはマシだけど。いまだに刺客は来るしスパイもわさわさいるし」


パーシヴァルのあまりにぶっちゃけた言葉に姫の側近の一人が「なんと!」と怒りの声を上げた。

そして姫が制するのにも応じずにパーシヴァルへと詰め寄る。


「わかっていながらどうして対処しないのですか?姫は代わりの効かないお方。何かあってからでは困るのです!」


パーシヴァルに詰め寄ったのは初老の女性だった。

彼女は側近を取りまとめる立場だった。側近長とでもいえばいいか。


パーシヴァルは真顔で彼女を見返しーーー毒のある笑みを浮かべた。


「今のグレイト=ブリテン上層部をどうこうできるようなのはいないから泳がせてるだけ。どうせ潰しても新しいのが湧くだけだし」


楽しげに毒を吐くパーシヴァルはゾッとするほどに美しくーーー側近の女性は思わず一歩後退りした。

そんな彼女を今度こそ姫が制する。


「ばあや、やめなさい。ーーーエゲート殿下、大変失礼いたしました。押しかけたのはこちら側、自分の身は自分で守れるようにしますのでーーー」


姫の謝罪にパーシヴァルはーーーなぜか首を振った。


「だめだ」というパーシヴァルの言葉に姫とその側近たちが固まる。

みるみる青ざめていく東の国の面々を眺めるパーシヴァルの目が楽しげに煌めく。


パーシヴァルは綺麗すぎる笑みのまま言い放つ。


「お前は弱すぎるから自分の身は守れないね。ーーーこっちでとびっきりの護衛兼世話人を用意するからうまく使って」


パーシヴァルの言葉と同時にプレートが減速し始めた。

会話に夢中になっている間にいつの間にかグレイト=ブリテン王宮の敷地内へと入っていたようだ。

進行方向とちょうど反対。白亜の王宮が城下を見下ろしている。


減速したプレートはゆっくりと離宮がいくつも並ぶ区域へ入って行った。

神様がその日の気分で建てたような形も材質も違うカラフルな屋根が軒を連ね、絵本の世界に迷い込んだよう。


紬がちょっとしたショーのような気分を味わっていると、他の離宮に比べれば大人しめなデザインのーーーイスラーム風の丸い屋根のついた白い離宮の前でパーシヴァルはプレートを停めた。


若草色の髪をした柔和な雰囲気の青年が紬たちを出迎えた。

レイモンドと名乗った彼。パーシヴァルの側近らしい。


朗らかに笑う彼にーーー紬はずっと気になっていた質問をぶつけてみた。


「レイモンド様、空港の周りの空はなんで赤いのですか?」


レイモンドは怪訝な顔をした。少し離れたところでパーシヴァルが肩を震わせている。


いかにも純朴そうな少女とーーー事情を知っていそうな主人。

レイモンドはパーシヴァルに責めるような視線を向けるが、


「この後来るやつに聞けよ」


パーシヴァルが含み笑いしたことでレイモンドは事情を察したらしい。


「ああ、デニスがやりすぎたんですね」


と呟いたレイモンドにパーシヴァルがにんまりと笑った。

二人は楽しそうなのだが紬は全くついていけなかった。


ーーーどういうこと?…デニスってさっき飛び降りてた赤髪の人よね。


思案する紬。デニスという人は空を赤くできるらしい。

彼女にとって異国の地は驚きに満ちていた。

追い討ちをかけるようにパーシヴァルから告げられたのはーーー


「これが豆柴に貸し出す離宮ね。一年間はここ好きに使って。」


紬だけでなく側近たちも硬直した。

離宮は貸し出せるものだったか?そんな疑問が彼らの脳内を浮かぶ。


紬がおずおずとパーシヴァルの赤い瞳を見返す。


「離宮をいただかなくても我々は少人数ですし、どこか王宮の一室でも貸していただければ…」


紬に同意するように側近たちは首を縦に振る。

しかし、パーシヴァルは困惑顔だ。


「ありゃ、気に入らなかった?センスには結構自信あるんだけど」


「ここは豆柴のために作ったから内装が特別で他の国に回せないんだよなあ」などと呟くパーシヴァルに紬たちは戸惑いを隠せない様子。

離宮を料理感覚で作るグレイト=ブリテンの文化についていけないのだろう。


ーーー建築魔法というものがグレイト=ブリテンでは発展していると聞いたけど想像していた以上だわ。


呆然とする面々の前で、さらにレイモンドが物資を取り出している。

離宮の鍵や防衛の魔法陣、人数分のプレート…あまりの好待遇に今度は姫に代わって側近長の女性が恐る恐る尋ねる。

側近長は知っていた。ここに置かれたプレート一つで豪邸が建つのだ。


「レイモンド様…これほどの待遇を受けましてもうちの国では返せるものがありませんが」


彼女の言葉にレイモンドは苦笑した。それもそのはずーーー


「気になさらなくて結構ですよ。外国から来た客人への対応は皆こうですので」


レイモンドはあっさりと言い放った。

「皆…こう?」と信じられないように呟いた女性にレイモンドは得意げに頷く。


レイモンドが準備を終えたのを見届けるとーーーパーシヴァルは最後に言った。


「後で迎えをよこすから、それまでは離宮で休んでくれ」


そして呆然とする東の国の者たちを置いて二人は行ってしまった。



小さくなっていくパーシヴァルとレイモンドの背中を見送った面々はーーー残された離宮と自分たちの年収全て払っても効かなそうな物資の数々を見た。


皆の気持ちを代弁するようにーーー紬はこぼしたのだった。


「竜大国…国力が違うわ」


姫は思った。これほど発展した国にこれた自分は幸運だと。


「グレイト=ブリテンを選んでよかったわ。ーーー兄様のために私は頑張る」


紬姫の決意を聞いた側近たちがハッとしたような顔になった。

そして姫を見て嬉しそうに笑った。


彼らが広すぎる離宮内部へのショックから立ち直った後ーーー空間魔法の効果で、見た目以上に中は広かった。しかも初めて触れた和国の文化にテンションが上がったパーシヴァルが手塩をかけたことにより、高級旅館のような空間が出来上がっていた。


畳の上に用意されていたフカフカの座布団に座ってご満悦の姫を見てーーー側近長のフィメルが心配そうに言った。


「紬様…出発前も言いましたが、自国に許嫁がいるのをくれぐれもお忘れなきように」


彼女は心配だった。異国の地、見慣れない素晴らしい物の数々…高揚した気分は人を普段より迂闊にさせる。


ーーー例えばこの環境で、とびっきりの男が姫に親切にしてきたら…?


側近長であり乳母でもある彼女の言葉にーーー「ばあやは心配症ね」と紬がおかしそうに笑った。


「何度も聞いたわ。わたくしが色恋で浮かれて自国の損になるようなことをすると思って?ーーー母様に頂いた魔力の器をしっかりと次代の天皇家に継承するためにはるばる海を越えて魔力の扱い方を学びに来たんだもの」


何度も自分に言い聞かせてきたのだろう。姫の言葉に淀みはない。

側近長が安堵の胸を撫で下ろす。


ーーー姫さまは先ほどのエゲート殿下を見ても顔色ひとつ変えなかった。この国は色男が多いと聞くがきっと大丈夫。



リンリロランラン♪



玄関の魔法陣が来客を知らせる。

間違いなく、パーシヴァルが言っていた世話人が来たのだろう。


姫と側近たちは談笑しながら玄関へと向かう。


護衛の手によって開かれた扉。

目の前の人物を見て、姫が息を呑んだのを側近長はしっかりと見ていた。


初対面ではないはずなのだが…姫は初めてデニスの顔を正面から見たようだ。


「こんな綺麗な顔してたっけ?」とでもいうように惚ける姫を見て側近長がそっと眉間に手を当てた。


彼はひざまづいていた。騎士団の特徴的な白地に青のラインが入った制服を身につけ、帯剣している。

短く切られた髪には赤の魔素がじゃれついている。空気中の魔素に好かれるのは彼の赤の魔力が高い証拠だ。

髪と同じく真っ赤な瞳は優しげに細められていた。


紬が自分を視界に捕らえたのを確認した後でーーーデニスは少し首をたれた。

胸で十字が切られる。

この姿勢はこの国での目上に対する正式な礼である。


彼はデニス=ブライヤーズと名乗った。

しかし、真剣な顔で彼の口上に頷く姫とは対照的に側近長と護衛長はそっと顔を見合わせた。


若すぎる。それが彼らの感想だった。


あのエゲート殿下のことだから、ベテランの騎士を遣わせてくれると思ったのに…この年齢であればついこの間まで学生だったのではなかろうか?


新米騎士に姫を守れるのだろうか…そんな側近たちの不安はーーーデニスの放った一言で驚愕へと塗り替えられる。


「ーーーグレイト=ブリテン第435代騎士団長を務めております」


「ーーーはい?」


デニスの言葉は姫にとっても衝撃的だったようだ。

姫が聞き返すのと同時に側近長が口を覆っていた。自分が放った言葉かと思ったらしい。


驚きに染まった東の国の面々の反応を見てもデニスは特に表情を変えなかった。

彼らの不安を見越したかのように先手を打つのも忘れていない。


「若輩者に大事な姫様の側人が務まるか心配かもしれませんが、騎士団の中では一番強いので、姫にはかすり傷一つつけません」


ご安心くださいと微笑んだデニスに、なぜだか姫の方が恐縮している。


「グレイト=ブリテンの騎士団長様に向かってそのような畏れ多いことは言いませんわ。ーーーこちらこそよろしくお願いいたします」


頭を下げようとする姫をデニスが制す。

また失敗したと萎れた姫に、デニスがほんのりと笑っている。


「パーシヴァル様の言う通りとても謙虚なお方だ。出歩く時は連絡をください。毎日というわけにはいきませんが時間の許す限りお供いたしますので」


デニスは颯爽と去っていった。明日も来るらしい。

瞬く間に小さくなっていくプレートを見送りながらーーー護衛たちがワッと湧きたった。

グレイト=ブリテン騎士団は世界でも有名なエリート魔法使い集団だ。

そのトップがあれほど若いとは誰も予想していなかったらしい。(デニスが就任した時は結構話題になったのだが、どうやら噂も彼らの国までは届かなかったようだ。)


「今の見たよな?あの身のこなし、只者じゃねえぞ」

「何歳だ?二十歳くらいに見えたぞ?」

「一戦闘ってみたいな…!」


興奮冷めやらぬ様子の護衛たちの前で、デニスの消えた方を見つめたまま微動だにしない姫にーーー側近長が少し尖った声で言った。


「姫さま…ばあやが言ったこと忘れてはいけませんよ?」


側近長の言葉に姫はびくりと肩を揺らして「なんのこと?」と微笑んだ。

他の使用人たちは不思議そうに側近長を見ている。姫の感情はわかりにくい。皇族としては正しい姿だ。ーーー長年彼女を見守ってきた側近長には通用しないが。


ーーーエゲート殿下、最高の人材をよこしてくれたことには感謝しますが…もうちょっと不細工な人にしていただきたかった!!



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