空人ノ國

ソラノリル

第一部 蛍火ノ章

【序】

 鬱蒼うっそうと陽の光を閉ざす木々のひさしが切れ、つゆたたえ地をい土をうるおす下草も絶えた先、山のいただきに向かって、乾いた白い石の道が続いている。葉影のたてを失った山肌に、初夏の陽射しの矢は余すところなく突き刺さり、微風にそよぐ霧の紗が、荒れた土を涼やかに撫でていく。

 からん。幼い足につまずかれ、小石がひとつ、斜面を転がっていった。あやうく膝をつきかけた私を、かたわらを歩く人影が支える。風になびく長い黒髪。藤紋のしろばかま。おとななのに、背丈は童子の私とそう変わらない。男にしてはたおやかで、女にしてはまろみのない手が、ちいさな私の手を引いていく。

「これより聖域に入る」

 粗相のないように歩きなさい、と、おとなは前を見すえたまま、静かに言った。言葉に反して、声にとがめるような鋭さはない。こどもには過酷な山道であることを、おとなはよく分かっていた。このおとなもまた童子だった頃に、こうして手を引かれて上ったのだ。何も知らぬまま、知らされぬまま。真白の霧に閉ざされた山の頂へ。

 ぱきん。私のくつの下で、鋭く硬い、澄んだ音が響いた。しるべとなる白い石の上に、いつしか石とは異なるものが散らばりはじめていた。これは、何? まゆをひそめかけたとき、数歩、進んだところで、おとなは歩みを止めた。顔を上げた私は、すっと大きく目を見ひらく。

 立ち込める霧の中、四方を大岩に支えられ、高く屹立きつりつする太い柱。何かが、そこに、くくりつけられている。

(人形?)

 違う。

(あれは……)

 あとずさる私の足の下で、再び白い欠片が砕けた。背中を怖気が駆け上がる。奥歯を噛みしめ、悲鳴を呑み込む。行き場を失った呼吸が、狭まる喉の奥で、ひゅうと鳴く。

(ひと、の……)

 立ち尽くす私を残し、おとなは柱のもとに進んだ。いにしえの文様が刻まれた小刀をふところから取り出し、幾重にも巻かれた縄を断つ。

 がしゃん。

 いましめを解かれ岩肌を滑り落ちたそれは、たちまち砕けて散らばった。からからと、私の足もとに。

 白い、しろい、ひとの骨。

 ひらり。色褪せた緋袴が霧の中にひるがえる。崩れ落ちていく骨とは逆に、その身から解き放たれた衣は、風を受けて舞い上がり、何処いずこへと飛び去っていく。

「……《きよめの巫女》が世を去った」

 そびえる柱のかたわらで、おとなは静かに私を見下ろす。淡々と冷やかに。一切の感情を宿さない瞳で。

「新たな《しずめの巫女》を、ここへ」


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