第17話 柳原亜紀とは・・・

ヤマメが焼けると、おにぎりを頬張りながら、早速みんなは咀嚼そしゃくする。美咲もママの膝の上でムシャクシャとほっぺたに、ご飯粒を付けながら頬張っていた。亜紀は美咲のほっぺたのご飯を食べていた。だがなんと言っても、釣りたてのヤマメの塩焼きに、みんな舌鼓を打っていた。

「でかいのんよりこれ位が美味いんじゃないかしら」

 殆どが十七、八センチのばかりなのを十匹ほど釣り上げていた。いつもは三十センチ以上のを狙うらしい。

「流石は亜紀さんは舌が肥えてますね河原での塩焼きはこれ位が良いんですよあたしは持って帰って調理して酒の肴にしますからでかいのがいいですがねぇ」

「何も無い塩だけの調味料でこんなに美味しく頂けるんですから所長の趣味も大したもんだがもっとでかいのも釣って見てみたいなあ」

「川にいるヤマメはそんなに大きくはならないんです、亜紀さんにも話しましたがこいつは川を下ってサクラマスになって戻って来ますからねそいつはでかいですが秋にならないと無理ですね」

「でも此処に居た方が楽なのにね、ママどうして?」

「そうねどうしてだろうね? 荒木さんどうして?」

「そりゃあ川の上流は餌が限定されるけど海は無限で住む世界も違いますし運動量も食べる物も桁違いですから立派に大きく成長します、でも南に行くほど川に残る奴が多いんですよ」

「どうして」

「北へ行くほど餌になる虫が少ないからです」

「じゃあどうしてみんな川を下れば立派にもっと大きく成れるのに」

「それは美咲ちゃんの読んだ本には載ってないのかなあー」

 もう三匹目を咀嚼する美咲はウンと頷いて、荒木にどうしてって謂う顔で見た。

 荒木はしょうがねぇなあと笑った。

「ここに居ればお山の大将何だよでも海は敵が多くて常に喰われる危険と背中合わせだから生きて行くのが大変何だよ。出来れば此処に残りたいが椅子取りゲームに負けた連中は海へ行くしか生きる道が無いんだよ。テレビで野生動物の生態を見たことあるかい」

「好きでよく見るっ」

「じゃあある日、仲の良い親子が突然に狂ったように母親が子供に突っ掛かって引き離すのを見てるだろう」

「ウン、次の子供を育てなきゃあーならないからでしょう」

「学校でも教えないのに良く勉強してるな、そうだ卵から孵化した魚の世界にはそんな非情な子別れの世界や引き籠もりはない、そこで生存競争に負ければ餓死を意味するから好むと好まざるに拘わらず彼らは流れに身を任すしか生きるすべを持ち合わせていないそれがサクラマスの偽ざる気持ちやろうなあ」

「美咲もまた都会へ出て人混みに揉まれればもっと立派になれるかも知れないね」

「どうして此処でも立派になれるよう、だって都会では知らない物が此処には一杯あるもんっ」

「でもお母さんは此処の生活に飽きたかも知れないね」

 そう言って仁科は亜紀の様子を見た。

「どうかしら、ねぇ美咲」

 ママの行く所なら何処でもついて行く、と頷く美咲に良い子ね、と頭を撫でたが仁科の視線にはその答えを出さなかった。 

母親の亜紀しか判らない美咲の心情に、仁科は何処まで鵜呑みしていいか解らず、ただ傍観した。此の親子は同じ物を見ても感動する物が違う。今は手の中にある物で幸せを掴もうとしている、とすれば静観するしかないか。


 相変わらず澤木は事務所階下の喫茶店で、加奈を相手に打ち合わせをしていた。不定期な此の臨時職員を澤木は重宝していた。枝葉を調査の対象から省いて、選り分けて幹になる依頼を主に受けていた。失踪で所在を突き止めても原因は追求しない。浮気も同様で人の心の襞に踏み込まないのをモットーとしていた。早く言えばそんな実入りの少ない物に関わっておれない。だが加奈本人は推理が好きだが、あくまでも身辺調査に徹するつもりなんだ、と言い聞かせてここ暫く早坂をマークさせていた。

 それが急に依頼者から、休戦協定が結ばれて早坂とは仲良く遣ってくれ、と仁科から言われた。それで加奈には此処までの調査報告をさせた。

 早坂が冴えない男だと解っていたが、加奈が言うには相当らしい。何度叩いても埃も出ん様な男を、何で調べるのか疑問だった。そのうちにあの男の意外性に気付きだした。物事に対してかなりの凝り性だった。しかも地道にコツコツとやって行くタイプだから、一定の成果が現れるのに時間を要した。そんな早坂を上辺で決めつけて判断するのは良くない、と彼女が調査報告と付随して澤木に説教をした。

 良かろうその線で早坂と交渉をやるか。此の結論は加奈の報告に依ってもたらされた処が大きいかった。加奈にしてみれば矢っ張り此の人は、探偵には向いてないとハッキリ知らされた。


 早速澤木は、早坂を呼び出して事務所下の喫茶店で会合した。彼を調査した加奈は厨房に引っ込めて、マスターの奥さんが注文の珈琲を出して引き下がった。

「仁科亮介さんの息子さんからの依頼停止、これは要望で無く命令で来てるだろうそこでだ早坂、お前は柳原を捜さなくて良くなっただろう。それでこれからはお父さんの要望を汲んで共同で仕事をしょう。そこで仁科さんが知りたがってるのは柳原さんの過去だが何処まで調べてるんだ」

 虫のいい男だと早坂はいつも澤木を捉えていた。それは今日も変わらなかった。口の重い早坂を眺めるうちに、疑念を取り除く必要に迫られた。言葉を探すうちに先に早坂が言った。 

「俺が長年苦労して蓄積した情報を同業者ならそう簡単には披露できる訳がないだろう」

「息子さんの亮治さんから訊いてないのか」

「聞いてる」

「じゃあ話が早い」

「ちょっと待て、先ずはそっちの話から聞こう」

 まずは娘の美咲について、柳原亜紀の娘の美咲だが、戸籍では父親の欄が空欄になって、非嫡出子になっていた。

「早い話が私生児だった」

「まあ、ああ謂う夜の飲み屋の女にはよくある話だ」

「柳原亜紀はそんな女ではないぜ!」

 遠目から見てるだけで、一度も話した事が無い相手に何が解る、と澤木は早坂を批判した。

「あの世界では上手く騙せるのが美人の条件だからなあ」

「それはあの女には当てはまらない。まあその話は後にして娘さんのことだが」

 ーー実家は奈良に居る祖母に三年間預けられた。それでそのばあさんが亡くなってから手元で育てた。でも肝心の誰が父親なんだと云う処が抜けていれば報告出来ない。尚、亜紀自身も両親が離婚して母親に育てられた。

「そこで他に親戚を調べたら伯父と叔母が居ると解った。だがその二人は姪の相手の男を何処まで知っているか先ずは今はその男を捜している処だ」

「伯父が少しは知ってました。でもそっから先は有料になりますよそれは同業者としては当然の請求権利でしょう」

「解った。で、幾らだ」

「もう既に結希さんに伝えました」

「抜け目がねぇなあそっちから聞けってことか。しかしよう、依頼主が一本化したから分担して時々情報交換をした方が費用と時間の無駄が省けて良いんじゃねぇのう まああんたは彼女を余り知らないが俺は何度か喋ったから人柄はあんたと違って承知している。彼女の過去がどう有ろうと彼女に禍が掛かるなら仁科さんは振り払いたい。その心情を汲んで此の依頼を全うするようにしょうじゃあねぇか」

「解ったがあの柳原亜紀は一体なにモン何ですか?」

「普通の人だよ。ただ彼女は鬱憤したお客さんが心の安らぎ求めて店へやって来ると聞き手に徹してくれる、裏表がない人なんだよ」

「それはお客さんが有ってのことだろう。店以外で個人的に付き合えばどう反応するか解りっこないだろう」

「判らん男だなあ。だから裏表がないと云っただろう。おい、早坂、お前は人を見る目がないのに良く探偵が務まるなあ」

「そこが相手から甘く見られてポロッと真実を聞き取れるんだから、情報量に偽りなしだ。油断させて隙を突く、正攻法では袖にされてもこれが俺の攻略法だ」

「そんな遠回しな方法で良く探偵が務まるなあ」

 澤木は小馬鹿にしたように早坂をあなどった。 

 何とでも云え、探偵業に二の足を踏み、身辺調査に徹する澤木には、裏技の妙など解るまいと澤木を尻目にした。


     

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