2-16

「へぇ、清藤さんって弟がいるんだ」


 少し離れた場所から聞こえるコオロギの鳴き声に混じって、砂利を踏みしめて歩く二つの足音が、夏にしてはさらりとした空気の中に染み込む。先程まで平坦だった道はいつの間にかややきつめの上り坂に変わり、少し気を抜けば息が上がってしまいそうだった。これぞ、帰宅部クオリティ。


「うん、いるよー! 今小学校三年生だから、年は結構離れてるんだけどねー」


 かたや次期バド部主将である清藤さんは涼し気な顔でそう答える。


「小学生かぁ、若いなあ。元気いっぱいなんだろうね」


 小学校という響きが随分と遠い存在のような気がして、そんなおっさんみたいな感想を口にする。いつでもどこでもどこまでも走り回っていたあの頃であれば、きっとこんな坂道など余裕で登れただろう。


「関君おっさんくさーい! でもそうだね、たしかに元気いっぱいというか……最近すっごく生意気になってねー。宿題もせずにゲームばっかりしてるから、宿題終わってからゲームしなさいってちょっと注意したら、『うるさいオニババ』って! ひどくない? 私、まだピチピチの現役JKだよ⁉」


 出た、ピチピチ現役JK。清藤さんの中で流行りのワードなのだろうか。それにしても、清藤さんに対して『オニババ』とは……身内じゃなければ処刑台に連行されていたかもしれない。


「あはは……フォートナイトとか、小学生の間ですごい流行ってるみたいだね」


 変に地雷を踏みたくなかったため、話題をゲームの方にフォーカスする。


「そうそう、正にその、ふぉーとないと? ってやつ! 学校の友だちとオンラインで一緒にやってるみたいで、ゲームしてない時もずーっとその話ばっかりしてるよ。何がそんなに面白いのか、お姉ちゃんには全然わからないよ……」

「弟さん、だいぶハマってるみたいだね。清藤さんもやってみると意外にハマるかもしれないよ?」

「あ。関君もふぉーとないと、やってたりする……? ご、ごめんね! 全然わからないとか言っちゃって」


 清藤さんの持つ懐中電灯がぶんぶんと大袈裟に虚空を彷徨う。慌てた様子の清藤さんはシンプルにとても可愛くて、自然と笑みが溢れてしまう。


「いや、俺はかじった程度でしかやってないから全然気にしないで。操作がなかなか難しくて……がっつりやり込むというよりは、友達とかと一緒にワイワイやるくらいがちょうどいいような気がするよ。上手い人は本当に上手くてとてもじゃないけど真似できないようなプレイするしね」


 中学の頃までは寝る間も惜しんでゲームをやり込んでいたりもしたが、高校にあがって以降は暇な時間に嗜む程度になった。昔ほど、一つのことに熱中できなくなっている自分がいた。帰宅部だから大抵暇だろって? 失礼な、そんなことは決してない。……本当だよ?


「そうなんだ! へぇー……関君もやってるなら、私もちょっとやってみようかな……」

「お、是非是非。弟さん上手そうだし、色々教えてもらうといいよ」


 ゲームって、最初の取っ掛かりが肝心な気がする。ハマるかハマらないかは最初のプレイで面白いと思えるかどうかで、それはつまりそのゲームのルールをすんなりと把握できるかにかかっている。その点で、身近な人からアドバイスを受けることができるというのは非常に大きなアドバンテージとなる。


「むー……関君が教えてくれるんじゃないのー?」

「え? お、俺が……? い、いやー、俺全然上手くないから、清藤さんに教えるなんてそんな。絶対に清藤さんの弟よりも下手くそだし」


 元々あまりやり込んでいなかったし、最近はなんやかんや忙しくてゲーム自体を全然していなかった。今の俺は、基本である櫓を建築できるかさえ怪しい。……それに、なんとなく。俺が清藤さんにゲームを教えている光景を、どうにも思い浮かべることができなかった。それはとても幸せで、誰もが羨む光景に違いないというのに。もしも……相手が千波さんだったら、その光景をスムーズに思い浮かべることができただろうか。


「もう……上手いとか下手とかじゃなくて……関君に教えてほしいだけなのに……」


 ぼそりと、清藤さんが呟く。コオロギの鳴き声をバックに、俺まで届くか、届かないか微妙なラインの声で。


「えっ……?」

「な、なんでもないっ! ……あ、向こうの方に開けた場所があるよ! 行ってみよ!」


 そう言って清藤さんは走り出す。懐中電灯で照らしたその先には、展望台のような場所が見えた。


「ちょ、清藤さん待って! 走ると危ないって!」


 俺は慌てて追いかける。上り坂に散々いじめられた俺の両足はいつもの数倍は重く、精一杯アクセルを踏んだけれど清藤さんとの距離は縮まることはなかった。


「関くーん! すごいよ! 早くこっちおいでよー!」


 一足先に展望台に到着した清藤さんが、こちらに向かって手を振りながらそう叫ぶ。帰宅部と運動部の格差をまざまざと見せつけられる結果となってしまった。


「清藤さん、体力すごいね……。俺、もうバテバテだよ」


 一足も二足も遅れる形でようやく展望台に到着する。すっかりと上がってしまった息を必死に整えながら、少し距離をおいて清藤さんの隣に並ぶ。


「あはは。私、毎日走ってるしね。……って、そんなことり、ほら! こっち、見てみて?」


 そう言われて、清藤さんが指を指した方に視線をやる。その先には――


「おぉ……これは確かに、すごい……」


 目の前に広がる景色に、思わず息を呑む。空には数多の星が所狭しに散りばめられ、その下にはまるでその星が地上まで降ってきたんじゃないかと錯覚してしまうくらいに、街の灯りが光り輝いていた。


「ね、すごいよね。私達が住んでいる街、こんなに綺麗だったんだ……」


 キラキラと光り輝く絶景を、キラキラと瞳を輝かせて見つめる清藤さんを目にして、ふとお決まりのあのセリフが頭に浮かんだ。正直に言うと、俺は映画やドラマでそのセリフを聞く度にそんなわけない夜景のほうが普通に綺麗だろ、と小馬鹿にしていた。だけど今なら、胸を張って言える。どんなに綺麗に光り輝く夜景があろうとも、それを嬉しそうに見つめる女性の横顔に勝るものはない、と。


「百万ドルの夜景って、こんな感じなのかな?」


 不意に清藤さんがこちらを向いて、そんな事を口にした。目があった途端、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。


「ど、どうなんだろ? あれは確か神戸の夜景の事を指した言葉だから……単純に人口比で考えると、これは十万ドルくらいなのかな」


 顔の熱が取れない。自分でも、分けわからないことを口走っている自覚はあるけれど、そうでもしなければ恥ずかしさやらなんやらで爆発してしまいそうだった。

 清藤さんはそんな俺の分けの解らない答えにほんの少し無言になり、次の瞬間、急に吹き出した。


「あはは、なにそれ。十万ドルの夜景って、すごいのかすごくないのか、なんかよくわからないね?」

「……あ。でも、百万ドルの夜景の百万ドルって、今の為替レートとか物価とか人口を考慮すると四千八百万ドルくらいになるらしいから……この夜景は、四百八十万ドルくらいかもしれない」

「四百八十万ドル! それだと結構すごそうだね⁉」


 そう言って、清藤さんは楽しそうに笑う。その笑顔はとても魅力的で、気がつけば俺もつられて笑顔になっていた。

 木製のフェンスにもたれながら、他愛もない会話が続く。夜景を眺めながらクラスメートの女子とこうして会話する非日常感が、意味もなく心臓の鼓動を少しだけ早くさせた。



「……そろそろ、行こうか。次のペアが来るかもしれないし」


 会話が途切れたタイミングでそう切り出す。何もやましいことはないし、自意識過剰であることは理解しているけれど、俺と清藤さんを包み込む謎のいい感じのムードを、他の人に見られるのは少し気まずいような気がした。

 木製フェンスにもたれていた体をゆっくりと起こす。その様子を隣でじっと見ていた清藤さんが、不意に口を開く。


「――関君さ、」


 名前を呼ばれる。俺の目の前に立った清藤さんの表情は、どこか真剣で。


「ん?」



「……今、好きな人は、いる?」



「なっ……」


 唐突な質問に、動揺がそのまま体の外へと漏れ出す。何だよ急に、と冗談ぽくツッコミを入れたかったけれど、清藤さんの真剣な表情がそれを拒んだ。ここで適当なこと言って曖昧に終わらせるのは簡単かもしれない。だけど俺は、そうしたくなかった。それは清藤さんのためなのか、俺自信のためなのか、よく解らなかった。

 だから俺は、現時点で自分が持ち合わせるその問の答えを、誤魔化すことなく絞り出すようにして答える。



「……わからない・・・・・



 ――それが、今の俺に出せる最上級の正解。


 これ以上の答えは深い暗闇の中に埋もれたままで、今の俺に見つけ出すことはできなかった。


「そっか」


 その答えを聞いた清藤さんは、少しの沈黙を挟んで短く相槌を打った。そして、慌てて取り繕ったような笑みを浮かべて――



「またいつか、この場所に二人で来られると良いね」



 ――どこか寂しそうに、そう口にした。

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