1-4

「あの……消しゴム、落ちてるよ」

「あっ……。えっと……あの……」


 俺の記憶の中にある、千波さんとの唯一の会話。確か、数学の授業が終わった後の休み時間だったと思う。消しゴムを受け取った千波さんは伏し目がちに何か言いたげだったけれど、確率の計算問題で頭がパンクしかけていた俺は、その言葉を聞き届けることなく購買まで飲み物を買いに行ったのを覚えている。


 高校一年の時に同じクラスだった彼女は、よく言えば大人しくて真面目、悪く言えば根暗で地味な少女だった。休み時間はいつも一人で本を読んでいて、他のクラスメイトとの交流もあまりなかったのではないかと思う。かくいう自分も、自ら積極的に交友関係を広げるタイプでもなかったので、結局千波さんとの会話は一年間でそれきりだった。なんだ、お前も根暗なんじゃんと思うかもしれないが、それは大きな誤解だ。クラスでBBQのイベントが開かれれば参加するし、その後のカラオケ大会にだって一応顔を出す。積極的に関わりを持とうとしないだけで、関わりを持つこと自体は嫌いではない。千波さんは……どうだっただろう、BBQに参加していたか、あまり覚えていない。


「――くん、関くん!」

「えっ、あっ……はいっ!」

「私の話、ちゃんと聞いてました?」

「ご、ごめん……ちょっと、考え事してた、かも」

「もう、ちゃんと聞いてください!」


 そう言って千波さんは、両手で自転車を押しながらぷくーっと頬を膨らます。打算的だろうがなんだろうが、その姿は文句なしに可愛い少女そのものだった。去年までの立ち位置から逆転してしまっていることに戸惑いを覚えつつ、でもあまり悪い気はしなかった。あの頃根暗で地味の彼女の面影は、コンタクトを付けてるので、と言ってすぐに外した眼鏡とともに、どこか遠くの彼方に消え去っていた。


 時間も遅いので、帰りながらお話しましょうか、と両手をがっちりと握られたまま半ば強引に誘われ、少し薄暗くなりつつある見慣れた通学路を、なぜか二人で歩いていた。少し憧れていた女の子とのツーショット登下校がこんな形で実現するとは全く予想しておらず、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、判断に迷っていた。押して歩くたびにギーギーと静かに軋む自転車の音が、帰り道に響き渡っているような気がして、少し恥ずかしくなった。その音を少しでもかき消したくて、とりあえずの疑問を千波さんにぶつける。


「あの余命宣告メッセージ、千波さんがくれたで間違いないんだよね?」

「ええ、私が関くんの靴箱に入れました」

「一ヶ月後に、あなたは、その……死にます、って?」

「ええ、その通りです。一ヶ月後に、関くんは死んでしまいます」

「……」


 おうふ。思わず言葉に詰まってしまう。


「……そっか。その、あのメッセージって、実は暗号だったりはしない?」


 言葉をひねり出す。答えは解りきっているというのに、0%の〝可能性〟にかけて。


「……暗号? 違います、そのままの意味ですよ」


 千波さんは首をかしげて、何を言っているだこの人は的な目で俺を見る。

 でーすーよーねー。


「じゃ、じゃあ、あのメッセージカードの裏にあった〝たぬき〟はどういう意味? メッセージから〝た〟を抜けとか、そういう意味じゃなく?」

「たぬき……あっ、〝ポン太郎〟のことですか? 私、このキャラクターが昔から大好きで!」


 大好きで! と微笑む千波さんの笑顔がまぶしい。……うん。眼鏡ケースに貼られていたシールを見て、なんとなくそうなんじゃないかと思ってた。そして、あの時拾った消しゴムにも、今思えばこいつが居たような気がする。……それにしても、ネーミングに悪意がないか?


「私、この数ヶ月で色々と変わろうって頑張っていたんですけど、ポン太郎だけはどうしても捨てられず……変に誤解させちゃいましたか? その、ごめんなさい。確かに、小学生向けのなぞなぞに、そういうなぞなぞありますよね。私の配慮不足でした」

「あ、いや、全然大丈夫。千波さんは何も悪くないよ」


 謝られると余計に恥ずかしくなるからやめてください。むしろ小学生レベルの知能でこちらこそごめんなさい……。


「ふふ。……やっぱり、関くんは優しいですね」


 千波さんは優しくそう呟く。何がやっぱりなのかは少し気になるところだが、それ以上の問題が残ったままだ。


「と、いうことは……えーと、どういう、ことなんだろう……」


 歯切れが悪くなる。ということはつまり、余命宣告メッセージに対して、早くから除外していた可能性を考慮にいれなければならない。それは、俺にとってだった。


「私……人の死が、見えるんです」

「……」

「見えると言っても、夢の中のお話なんですけどね。予知夢? って言うんでしょうか」


 にわかには信じがたいことを、千波さんはまるで何処かから借りてきた台詞のようにすらすらと言ってのける。ほんの少しの沈黙が生まれて、俺はそれをかき消すためにそれっぽい台詞を口にする。


「夢……その夢の中に、俺が出てきた?」

「ええ。同じ学校の生徒さんが出てきたのは初めての事でしたので、鮮明に覚えています」

「仮に、その夢が予知夢だとして……信憑性は、どのくらいあるの?」


 聞いて良いものなのかわからなかったが、聞かなければ話が進まないような気がした。千波さんは、少し間を置いて、ゆっくりと答える。


「今まで、同じような夢を四回見ました。父方の祖父、小学校の担任教師、近所に住んでいたおばあちゃん、母と通っていたパン屋のオーナー。……全員、夢を見てから三ヶ月以内に亡くなりました」


 そう答えた後、何かを思い出してしまったのか、千波さんの表情がわかりやすく曇る。


「百発百中ってわけね……」


 二人の間に、重たい空気が流れる。原因は、間違いなく俺なのだけれど。


「じゃ、じゃあさ! 千波さんがさっき言ってた、運命を変えるって話! あれはどういう意味?」


 そんな空気を吹き飛ばすべく、わざとらしく明るい口調で千波さんに尋ねる。すると千波さんは、


「よくぞ聞いてくれました!」


 みたいな顔で、というより、まんまその台詞を口にして立ち止まる。


「一ヶ月後に死ぬ、という関くんの運命を、私が変えてみせるのです!」


 ドヤッという効果音が聞こえてきそうなくらい、堂々と答えてくれた。その勢いに押されてしまいそうになる。


「へ、へえ……そうなんだ。でも、運命ってそんなに簡単に変えられるもの? 仮に変えられたとしても、その……何か不都合は生じない?」


 負けじと、素朴な疑問を口にする。たとえば、別の誰かが代わりに死ぬとか、一旦は助かってもその一週間後に死ぬとか。よく、映画とかであるやつ。


「変えられますし、不都合は生じませんよ。猫型のロボットが出てくるお話で、勉強しませんでしたか?」

「ね、猫型ロボット?」


 あの、青狸のことだろうか。


「問題です。福岡から東京に移動する交通手段として、飛行機、新幹線、バスの3つがあります。あなたは、東京に移動するために、飛行機のチケットを購入しました。しかしその後、飛行機はエンジントラブルで墜落する予定であることがわかりました。……さて、あなたは何に乗って東京に移動しますか?」


 ……この問題で飛行機を選ぶ人間がいるとしたら、そいつは自殺志願者に他ならないだろと心の中で突っ込みを入れつつ、千波さんが望んでいるであろう答えをとりあえず口にする。


「……新幹線か、バス?」

「ピンポーン! 正解です! 移動手段を変えることで、特に不都合なく当初の目的地である東京に辿り着けますよね」


 ぱふぱふ。そんな効果音が聞こえた気がした。


「まぁ、実際はそんなに単純な話でもないのですけど。でも、選ぶはずのなかった選択肢を選び続けることで、運命なんて簡単に変えることができることは、確かです!」


 そう言って千波さんは俺に微笑みかける。青狸のお話を交えた千波さんの解説は、突っ込みどころが多々あるような気がしたが、その笑みはそれらすべてを打ち消すだけの威力を持っていた。すべて、理解し納得したわけではないけれど……


「とりあえず……俺はどうすればいいのかな?」


 千波さんに問いかける。

 すると千波さんは、今日一番なんじゃないかってくらいの笑顔でこう提案した。


「とりあえず――私とデート、しませんか?」


 生暖かい風が吹く。遠くから聞こえる踏切の音に混じって、チリンチリンと鳴る風鈴の音を聴きながら――今年もまた、夏がやってきたのを感じた。

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