私は臆病者なのです


 落ち着いて話を聞いてみると、国の王太子であるアンドリュー様がいらっしゃるのは別に突然のことではなかった。私が気付いていないだけで、実はあれから何度かここに足を運んでくださっていたというのだ。

 私の様子を聞いては、また出直すと戻っていく。それが繰り返されていたみたい。知らなかった……。


「あの方はとてもお優しいわ。現国王様とは、その、少し違ってね。貴女に無理はさせたくないからと、体調は問題なさそうかと、貴女のことをどこまでも気遣ってらしたわ」

「そう、なんですね……」


 世界がこんな状態でその対応は神だと思う。本当なら一刻も早く聖女と話を! ってなるはずだもの。私が本当にその聖女かどうかは置いておいて、だ。

 戸惑いを隠せず俯いていると、シスターが私の手を両手でそっと包み込む。それから私の右手の甲を指で撫でた。


「この印が、貴女が聖女である証だと思うの。こんなに綺麗な鍵の模様、自然に出来るものではないでしょう?」

「この模様は確かに、不思議ですけど……」


 教会で目を覚ましてから私の身に起きた変化の一つがこれだ。記憶を部分的になくし、髪の色が少し変化しただけではなく、右手の甲に見慣れない痣のような文様も刻まれていたんだよね。

 暗い紫色で、鍵のような形をした模様。これまでの私にはなかったものだと思う。記憶がない部分もあるから断言は出来ないけれど。


「エマ。貴女が聖女様だったとしたら、確かにかなりの重責が貴女にのしかかると思うわ。とても尊くて大切な役割だもの。そして世界の命運を握る、とても重要な立場。それが聖女様だから」


 言葉にされるとよりその重みがわかる。そんな役割、とてもじゃないけど務まらないよ……! 記憶もない、この世界のことも知らない、無力で弱い人間なのに。

 小さく震えていると、手を握るシスターの力が少し強められた。


「でも安心して。アンドリュー様がついてらっしゃるわ。それに、封印を解けば幻獣人様だって貴女の味方よ。必ずエマを守ってくださる。私だって、力になれることがあるのならなんだってするわ。だから……」


 途中で言葉を切ったシスターが気になって、目線だけ上にあげると、彼女はほんのわずかに涙ぐんでいた。そのことにグッと胸が詰まる。


「どうか私たちを、この世界を導いて……。私はともかく、未来ある子どもたちをどうか。無理を言っているのはわかるわ。貴女に頼むことがどれほど身勝手なことかも。でも、貴女に頼むしかないのよ……」


 無責任で自分勝手だと罵ってくれてもいい、とシスターは目を伏せる。そんなこと、出来るわけないじゃない。これだけお世話になっておいて、罵るだなんて。

 でも、そう簡単に受け入れることも出来ない。私は本当に弱いな。嘘でも、任せてくださいって言えばよかったのに。


「少し、考えさせてください……」


 そう言うだけで、精一杯だったのだから。




 次の日の私はポンコツぶりを遺憾なく発揮していた。ぼんやりしては手が止まり、せっかくゴミを集めたちりとりは蹴飛ばすし、洗ったばかりの洗濯物は何度も落とすしで、仕事を増やす天才になってしまったのだ。それを見兼ねたカラが洗濯物を干す手伝いを名乗り出てくれた。本当にごめん。


「昨日はシスターと話をしたんでしょう? ……聖女様のこと、聞いちゃったのね?」

「! 知っていたの?」


 一緒に洗ったタオルを干していると、カラがこちらに目を向けないまま聞いてきた。

 驚いたけど、知っていてもおかしくはないか。禍獣や幻獣人様、聖女様のことはこの国に住む人なら常識として知っていることだもんね。


「ビックリだよね? 突然そんなこと言われても困っちゃうよね? 私だったら目玉が飛び出ちゃうもん!」


 カラは明るく笑いながらこちらに顔を向けた。それから、ごめんね、と謝ってくる。なぜ、謝るの?


「それがわかっていて、心のどこかでエマに期待しちゃってるから。あたしも、ただのちっぽけな小娘なんだよ。無責任に、聖女様に頼ろうとしてる」


 カラは懺悔するように胸の前で手を組み、私に向かって語り掛ける。そよ風がカラの金髪を揺らしたけれど、猫耳と尻尾はそれに逆らうようにピンとしたままだ。


「以前までなら気にもしなかったと思う。聖女様ありがとう、幻獣人様ありがとうって感謝だけ告げて。でもさ、こんなに身近な友達が聖女様だって思ったら……なんだか、すごく申し訳ない気持ちになってさ」


 言葉を続けるごとに、その耳と尻尾の元気がなくなっていくのが見て取れた。


「エマが、危険な目に遭うかもしれないんだって思ったら、怖くなっちゃってさ。あはは、おかしいよね。自分は関係ないのに。これまではもっと無責任に、顔も知らない聖女様に感謝だけ告げて、勝手に祈っていたっていうのに」


 だんだんと涙声になっていくカラ。その気持ちはすごくよくわかるから、大丈夫だよって声をかけたくなる。きっと、これまで事情を知っていたけど我慢してくれていたんだって思うと、感謝の気持ちで溢れてくる。


「だから、ごめん。ごめんねぇぇぇエマ! それでも聖女様に祈らずにはいられないんだよぉ……!」


 ついにわぁっと泣き出してしまったカラの手を、私はギュッと握る。祈ることも、頼ることも、悪いことじゃないよ。

 きっと、みんな怖いんだ。いつ禍獣がやってくるかわからなくて、世界が終わってしまうかもしれない恐怖と常に戦っていたんだ。それでも、カラは教会にいる子どもたちに悟られないようにいつも明るく振舞っていたんだよね。


 でも、私には応えることが出来ない。昨日もそうだったけど、嘘でも大丈夫だよって言えなかった。期待を持たせることは、裏切りにもなり得るから。


 私はただ、せっかく親切にしてくれた人たちから侮蔑されるのが怖いだけなのだ。期待に応えられず、ガッカリされるのが怖いんだ。


 とんだ臆病者だよね。


「泣かないで、カラ」


 だからやっぱり、こんな気の利かない言葉しかかけられない。

 こんな私に、聖女なんて務まるわけがないんだ。

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