教会でお世話になっています!


「エマ、こっちはいいから子どもたちの方に行ってもらえるかしら?」

「はい! わかりました!」


 トリルビィ教会の朝は早い。


 陽が昇る前に起きて、礼拝堂や生活棟周辺の掃除をし、朝食の準備をして、保護している身寄りのない子どもたちを起こしに行く。

 身支度をさせて朝食をみんなで摂った後は、片付けや洗濯。子どもはみんなで十人いるから、それなりに洗うものも多くて大変だ。


 しかも、この世界には洗濯機なんてものはないから全てが手動。川の水は冷たいし、濡れた洗濯物は重いし、なかなかハードな仕事になる。石鹸があるっていうのがせめてもの救いかな。


 ちなみにシャンプーもあるらしいんだけど、値が張るらしくてさすがに手は出せない。ここで使っている石鹸も手作りものだから、汚れの落ちもいいとは言えないものだ。でも、贅沢は言っていられない。わずかな寄付金で孤児や教会の運営をしなければならないのだから。

 さらに今は私という厄介者まで預かることになってしまったのだ。支払える物が労働力しかない今、キリキリ働くのみである。


 それに、髪はちょっとキシキシするけど気になるほどではないしね。肩にサラッと流れた髪を指でつまみ上げながら考える。


 黒髪ロングは昔からあまり変わらないスタイルで、一度も染めたことはない。……はずなんだけど、不思議なことに今はハイライトカラーを入れたみたいに、所々が銀色に輝いている。

 覚えていないだけで染めたのかな? とも思ったのだけど、明らかにキラキラと輝いているからそれも違うと思う。いつの間にか私のいた世界とは違うらしい世界、いわゆる異世界にいたことと併せて、謎な事象の一つだ。


「んーっ、あ、痛たた……」


 洗濯中、ずっと腰を曲げていたから身を反らせて伸びをする。うん、今日は晴天! 教会の生活棟と礼拝堂の間は風がよく通るから午前中には乾きそう。


 二つの建物を繋ぐ屋根付きの渡り廊下を横切り、生活棟の表玄関前に出ると、手作りの畑が広がっている。そして少し離れた位置にはリンゴの木が三本。

 畑で採れた野菜や果物を、教会に来てくれる商人さんに売ったり、物々交換をしたりするんだって。その利益と城からの援助、そして城下町で集めた寄付金でこの教会は支えられている。だから決して贅沢は出来ないけれど、静かで長閑なこの環境は悪くない。


 そよ風がサワサワと、どこまでも広がる草原の草花を撫でていく。遠くの方に森が見えるけれど、教会を中心にグルッと囲むように柵があるから行くことは出来ない。

 柵の外は危険があるかもしれないから、と子どもたちにわかりやすく伝える目印だという。私もシスターに、柵の外には行かないよう注意されているのだけど、熊でも出るのかな?


「エマお姉ちゃんだ! 今日はどんな話を聞かせてくれるのー?」

「それとも、今日は僕たちがお姉ちゃんに教える日?」


 畑を通り過ぎて広場に出ると、そこで遊び回っていた子どもたちが私の姿を見つけて一斉に駆け寄ってきた。無邪気で可愛いな。


「そうね。半分ずつはどう? 最初に私が話をするから、それが終わったら今度は交代。この世界のことを教えてくれる?」

「それ、いいね! 決まり!」


 ぴょこぴょこと可愛らしい狼の耳を動かしながら、七歳くらいの少女、メアリーが飛び跳ねて喜んだ。じゃあ早速あっちに行こうと手を引いてくれるのは、小さな丸いアライグマの耳を持つ十歳くらいの男の子、ダニエルだ。

 向かった先にいる子どもたちはみんな、色んなタイプの耳が頭の上についていたり、腕に羽毛が生えていたり、肌に鱗があったりする。というか、この世界に住んでいる者は全員、そういった特徴がある。なぜって? それは、彼らがみんな獣人だからだ。


 そう、獣人。最初は目を疑ったよ……。というか、何度も聞き返してシスターには迷惑をかけたと思う。この教会で保護してもらうことになってから一カ月くらい経つけど、まだ慣れない光景だ。

 でも、この世界の人たちにとっては私のような普通の人間の方がよっぽど珍しいんだって。いや、ふんわり真綿に包んで言い過ぎた。白状しよう。


 この世界に、人間は私だけ。つまり、唯一の人間が私なのだ。


 この事実もいまだに受け入れられずにいる。だって! おかしいでしょ? 私は日本で普通に高校生として生活していただけなのに、なんで突然こんなことになってるの!?

 あまりにも非現実的な事実と情報の多さに、三日ほど熱を出して寝込んでしまったんだよね。ずぶ濡れだったから風邪をひいたっていうのもありそうだけど。


 そうだよ。私、気付いたら水の中だったんだよね……。わけがわからない事柄の全てが、今もまだ謎のまま。


 それどころか、私はこれまでの記憶もところどころ失っているようだった。名前や年齢、誕生日、自分が高校生であることも覚えているのに、これまでどんな生活を送っていたのかとか、家族や友達の顔や名前などを一切思い出せないのだ。思い出そうとすると頭が痛くなって、気持ち悪くなって、立っていられなくなる。

 シスターには、無理に思い出そうとしなくていいから、と言ってもらえた。だから、お言葉に甘えてあまり考えないようにしてる。


「エマ! 今日はどんな話を聞かせてくれるの?」

「んー、そうだなぁ。じゃあ、雨がなんで降るか、みんなは知っている?」

「あめぇ? 天のかみさまの、おめぐみでしょ?」

「ふふ、それもあるかもしれないけれど、実は仕組みもあるんだよ」


 子どもたちに急かされて我に返る。今は授業の時間だったね。こっちに集中しよう。木陰に私が座ると、そこを中心に半円を描くように子どもたちも座る。みんなの顔を軽く見回してから、私の授業が始まった。


 結局、いくら考えても私がこの世界に来てしまった理由はわからない。下手に考えると、気持ち悪くなって倒れてしまうから。

 それなら、この現状を知ることから始めようって思った。泣いたって喚いたって、壁に頭突きしてもこの現状は変わらなかったんだもの。ただでさえお世話になっているシスターにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 シスターだけでなく、この教会にいる人たちはそんな私の事情を知ってもあまり詮索せず、受け入れてくれたのだから余計に。その優しさに、すごく感謝しているんだ!

 ……壁に頭突きの際は怖がらせて本当にごめんなさい。猛省しています……!


 そんな決意から、教会で保護している子どもたちに授業という名のお話をするのが日課となった。最初は数人に私の世界のことをちょっと話す程度だったんだけど、いつの間にかみんなが聞きたがってね。それならいっそ授業にしちゃおうってなったのだ。子どもの好奇心はすごい。


 その代わり、私は子どもたちからこの世界のことを聞いている。この世界では当たり前のことでも、私にはわからないことだったりするからね。

 子どもたちでわからない部分はシスターや、もう一人いる私と同年代の子に聞くようにしている。みんな優しくて、とても居心地がいい。そりゃあ現代から来た身としては不便も多いけど、その温かさにとても救われているんだ。


 こうして今日も、穏やかに時間が流れていく。だけどただそうして過ごしているわけにもいかない。


 私は知りたいんだ。なぜ自分がこの世界に来てしまったのか。


 それを知るにはもう一度あの人に会わないと。あの日、私を助けてくれたあの赤い髪の男の人だ。

 この一カ月、考えを整理したことでかなり気持ちも落ち着いた。今やるべきことも、ある程度見えてきた。


 だから今日こそ、シスターに彼について知っていることを聞いてみようと思う。子どもたちと話をしながら、私はこの後の予定を頭の中で巡らせていた。

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