第24話 春澤澄歌がいなくなった日①





机の上にはたくさんの青写真が置いてあった。春澤澄歌との一年間の写真だ。


天体観望やクリスマス、初詣にお花見、そして花火。


初めて出会った時から、夏の終わりの今日まで。

二人でたくさんのことをした。たくさんのところに行った。そして、たくさん写真を撮った。


「写真、増えてきたな。」


その一枚一枚を丁寧に見返しながら、対面に座る彼女に声をかける。僕と同じように写真を見ていたその人が顔を上げ柔らかく笑った。


「ええ、こんなにたくさん。」


春澤澄歌は柔らかい声でそう言った。彼女はよく笑うようになった。初めて会ったときの能面のようなその綺麗な顔も、今は色々な表情を浮かべている。



いつものように小屋で勉強をしていたある日のこと、珍しく先輩から休憩を切り出したかと思えば突然青写真を机にばら撒き始めたのだ。


理由を聞けば勉強には息抜きも必要だと言うありふれた答えが返ってきた。特に反論する気もなかったため、僕も彼女と一緒に写真を見返している。



彼女が僕の前で初めて撮った写真が出てきた。


僕のおかしな顔が写っていた。カメラを持ってきたのだと言う彼女を眺めていたとき、僕を撮ろうと突然振り向いた彼女に驚き変な顔をしてしまったときの写真だ。


「はは。」


僕はその写真を見て笑ってしまう。すると不思議そうな顔で先輩が僕を見てきた。


「どうしたの?」


「いや、この写真が面白くてさ。」


「あら、懐かしいわね。」


「……もうあんたと初めて会って一年が経つのか。あっという間に過ぎてった気がするよ。」


「私もそう思うわ、本当に早かった。」


僕は青写真を再度見る。確かに彼女との日々は早く過ぎていった。それでも、これだけたくさんのことをして、たくさんのことを話したのだと思うと素直に驚いてしまう。


彼女との日々は確かに実在したのだと。


そんな感傷に浸っていると、先輩が口を開いた。


「思い出というものは綺麗ね…これらの写真は色褪せて行くけれど、思い出は時を経つごとに輝きを増して行く。」


「記憶は美化するって言うからな。」


「…そうね。」


先輩が青写真を机の上に置いた。違う写真を見るのかと思ったら動く様子がない。どうしたのかと思い顔を上げてみると彼女は僕をまっすぐに見つめていた。


「え、何?」


「あなたも、私のことを思い出すときは綺麗な思い出としてくれるかしらね。」


「…………」


思い出になるということは、過去のものになるということだ。僕は少しだけ動揺してしまう。


僕は2年生で、春澤澄歌は3年生だ。


来年にはもう彼女は卒業してしまう。進路先はまだ決まっていないらしいが、僕たちの住むところに彼女の成績につり合う大学はないのできっと出て行くだろう。


春澤澄歌のいない生活は僕には想像できなかった。


「…あんたを、思い出にはしたくないな。」


「え?」


「卒業したら離れ離れになっちゃうけど、僕も勉強して先輩と同じ大学行きます。そしたらまた一緒にいれる。だからそんな…今生の別れみたいに言わないでくださいよ。」


僕がそう言うと、先輩は思ってもいなかったという風な顔をする。そして意地悪そうな顔を僕に向けた。


「ふふ、言うじゃない。だったらもっと勉強しなきゃね。」


「ゔ、わ、わかってます。」


この一年で人並み以上に勉強はしているつもりだが、彼女には遠く及ばない。それほどに春澤澄歌は博識な人なのである。


僕が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、先輩が少しだけ悲しそうな顔をした。


「先輩?」


「そうね…楽しみにしているわ。あなたが私に会いに来るの。」


「………」


「本当に楽しみにしている。」


「……えと」


突然改まった様子でそんなことを言う先輩に、僕は何を言っていいのかわからなくなった。少なくとも冗談を言って戯けるような空気ではないみたいだ。


「………」


「…ふふ、ははは!」


戸惑う僕がおかしかったのか、春澤先輩が大きな声で笑い出した。当然僕の困惑は増して行く。


「ま、まじでどうしたんすか?先輩。」


「いえ、なんでもないの。和季、今週の日曜日は暇?」


「え、暇ですけど。」


「なら二人で日帰り旅行に行きましょう。」


「りょ、旅行?」


旅行ということは遠出するのだろうか?この一年間たくさんのところに二人で出かけたがどれも近場だった。それに、勉強会のついでに少しだけ立ち寄ってみるという場合の方が多かったぐらいだ。


思えば、先輩と本格的に遊びに行くという機会は今までなかったかもしれない。


そこで僕は気づく。


「……ていうか先輩、受験勉強は大丈夫なんすか?」


「大丈夫じゃなきゃ誘わないわよ。正直、大学に関しては私のなかの一定以上のラインを超えていればどこでもいい、要は上へ上へと目指すつもりはないのよ。」


そういえば、前に見してもらった模試の結果での第一志望校の判定はAだった。油断は良くないと思うが、彼女がそんなことをするようには思えない。


まあ大丈夫か。


「それで、旅行って…どこに?」


「決めていないわ。」


「じゃあ決めなくちゃ…」


「いえ、場所は決めないの。」


「…は?」


彼女が何を言っているのかわからない。僕が怪訝な目をしていると先輩が青写真をまとめ始めた。


立ち上がり、写真を元に戻しながら彼女が言う。


「適当な電車に乗って適当な駅で降りて適当なところへ行くの。」


「そんなんで大丈夫なのか?」


「大丈夫。ぶらり旅ってやつよ。」


先輩の目を見ると、絶対に自分の意見は曲げないと言う強い意志があった。


そうだ。この人は簡単に人からの助言を聞くような利口の人間ではないのだ。結局僕は何が大丈夫なのかわからないまま首を縦に振った。そして…。






彼女がいなくなった日が始まったのだ。

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