シュドアイステイオアシュドアイゴー①

「なんの歌なの、それ」


 おんぶされたままの旅は続く。驚くべきことに、マドーシさんは乗せ始めから今に至るまで一切バテる様子もなく歩き続けている。ぼくは魔法に詳しくないし、身体能力を補助したり強化したりする魔法魔術を使う人をあまり見たことがないけど、それでも朝から夕暮れまで人一人をかついだままでいられるのは驚異的だ。ぼくのいたずらというハンディも負っているのに。ぼくは密かに感心した。


 献身に気づいたぼくは心を改めて、もしくはいじめるのに少々飽きて、口笛を吹きながら風景を眺めていた。最初マドーシさんは耳元で音を出されて鬱陶しそうにしていたが、しばらくすると黙って聞き入った。なんだか吹きミスできなくなって勝手に緊張してしまう。しばらくぼくの口笛テクニックで独演会を披露していると、マドーシさんから話しかけてきた。


「ええと、情けない男の歌ですよ。女に振り回されてどうすりゃ良いのかわからなくなって……好きなら好き、嫌いなら嫌いって言ってくれってお願いしてる歌です」


「なにそれ……変なの。神の歌じゃないの?」


「違いますよ」


 どこかで聞いたことがある。歌というのは原始の宗教的儀式だと。この世界では個人の心情を写し取った歌はないのかもしれない。


「へえ……わざわざ腑抜けを歌にするなんて馬鹿みたい。どうせだったら英雄の歌を歌いなさい」


「いやいや、そこに深みがあるというか、哀愁とか焦燥を感じるというか……わからないかなあ、この感覚」


「わからないわよ、そんなの」


 ロックンロールの心髄はマドーシさんには理解されなかった。大人しく口笛をやめる。


「なにやめてんのよ」


「え?」


「続けなさい。音は、良かったから」


 命令を受けてぼくは独演会を再開する。好きな音楽を褒められてぼくは少し嬉しかった。

 曲目を考えながら口笛を吹き続けてどれくらい経ったろう。四時半から六時の間の夕暮れ時間になったころ、


「そろそろ降りなさい」


 有無を言わさずぼくの足から手を離した。


「疲れました?」


「いや、そうじゃない……ちょっと付いて来なさい」


 そう言ってマドーシさんは道を外れてまばらに木が生えた林に足を踏み入れた。


「どこ行くんすか? 街までもうそろそろでしょ」


 訊くも答えは返ってこない。まあ今日は結構いじめちゃったし、少しはこの我儘女の言うことも聞いてやるか……仏心が出てしまった。

 奥に踏み入るとだんだん木の量も多くなり、年輪も太くなる。頭上には陰りを帯びてきた空。ぼくは遭難した時のことを思い出した。


「どこ行くんですか。そろそろ出ましょうよ」


「……ここでいいか」


 ようやく振り返ったマドーシさんはぼくに近づいてくる。ずんずん、そしてぼくとの距離は近づき過ぎなくらいになった。それでも歩みを止めないのでぼくはキスするか逃げるか少し悩んで待ち受けることにした。マドーシさんはそんなぼくの胸を押しのけて、ぼくの背中は木にぶつかった。


「え……? どうしたんですか」


 もしかしたら良いことあるかも。

 そう思ったぼくはマドーシさんの表情を窺ったけどそこに感情はなかった。


「万歳しなさい」


 ガキの頃のお着替え以来の台詞を言われて、少し照れながら両手を掲げる。その両手を右手で一括りにされ木に押し付けられた。


「なんですか……ぼくを犯すつもりですか!」


 黙ったまま押し付けられたまま数秒。マドーシさんはそっと離れた。


「あんたはそこでしばらく大人しくしてなさい。なにもしなければ、戻った時に解放してあげる」


「え?」


 手を動かそうとしてみる。まるで動かないことが当然であるかのように全く動かなかった。


「……なにしてんすか」


「あんたの存在は邪魔なのよ……勇者の側にいてもだめ、わたしの側でもだめ、南の街になんて一番行かせられない。ここで殺してしまうのが一番良い」


「え……? 殺すんですか」


 マドーシさんはぼくの目を見ずに目を伏せた。


「……センシが確証のないうちはやめろと言ったから今のところは生かしといたげる。でもわたしの許し無しに抜け出したら……」


 黙ってしまう。言わずもがなと言ったところか。


「わかったら大人しくしてなさい。三時間ぐらいで返ってこれるはずだから」


「返ってこなかったら? このままとか嫌ですよ」


「失礼な奴……三時間経ったら解けるようにしてあるわ」振り返らずに立ち去ってしまう。


「ちょっと待ってくださいよ!」


「なによ! もう言うことなんかないわ」


「こんな虫だらけのところで宙吊りとか嫌ですよ! 虫刺され対策してくださいよ、無敵の魔導師の魔法とか魔術とかで!」


 しぶしぶぼくの体に触れて、今度こそマドーシさんは去って行った。なにかしらの魔法をかけてくれたんだろう。


「……何なんだ。意味わかんねえ」


『そうか。我輩にはあの魔導師女の苦悩もわからいでもないがな』


 話し相手が一人いなくなってしまったので皮肉屋悪魔に声をかける。


「マジで? 教えてよ」


『言ってしまうのは簡単だが、今の方が面白い。お互いわからない同士、疑い続けるが良い』


『流石悪魔だぜ』


 喋りたがりのアクマにしては珍しい、今日は口が重い。

 ぼくはマドーシさんとの出会いとこれまでを思い出す。一方的に嫌われて、謝られて、また嫌われて……もう会わないと思っていたらなぜか旅に同行するよう言われた。


「結局ぼくをどうしたいんだろ。やっぱ知ってんのかな、ぼくの正体」


 さりげなくアクマに問いかけるも反応しない。頑なな奴だ。

 知ってるにしては迂遠な言い回しだし、そうじゃないとしたらぼくに拘る理由がわからない。難しい考察になりそうだ。


「……めんど」


 そして難しいことをぼくは嫌いだ。アクマも教えてくれないんなら放っておいてしまえ。

 方針を決めたところでやはりぼくにはなにもすることがなかった。目の前には草、土、木。こんなところに、なにをできるでもなく三時間。旅に出たと思ったら、故郷の近所の草むらで拘束されている。


「ていうか、マジでぼくなにしてんだ……?」


 家出して遭難して助けられて勇者に出会って旅して魔族きて縛られて……急転直下とはこのことを指すのだろう。自分は流され体質だとは思っていたけど、ここ最近自分で何かを考えて行動したことがない気がする。当然ぼくは難しいことや考えても答えが出せそうにないことは他人任せにする男だからそれでも良いのだけれど……なんだか、自分の意思で何かしたってことがない気がする。


 やりたいように生きるのは難しい……結局ぼくは妥協と諦めが性根に染み付いてしまって、自分の意思による納得と誰かの意思の介入によって生まれる納得の違いを見極められないのかもしれない。しかし無理に他人に反抗するのもぼくの意思じゃないと思うのだ。妥協を受け入れて、諦めを静観して、それでも最後に残るなにかぼくの核心のようなものさえ守りきれればぼくは自分をずっと認められる……気がする。


「……まとまらねえ」


 気を抜くとすぐ粋がった高校生みたいな精神論ごっこをしようとしてしまうのはぼくの数少ない短所の一つだ。だからこそぼくはせんなきことを考えるのをやめようと、自分で戒めたというのに。


『終わったか。聞き苦しくて敵わんな』


 アクマにも馬鹿にされるもんだ。思えば、ぼくの恥ずかしいモラトリアムを誰かに吐露するのは久しぶりだ。それもこれほど直に聞かれるのは初めてだろう。


「……どだった。ぼくのうじうじは」


『気色悪い。汚らわしいとも思える。よく恥ずかしげもなく自分の脆弱かつ醜悪な精神を余所に晒せるな。感心する』


「お前が勝手に聞いただけなんだけど……」


 アクマの罵詈雑言を聞いて、少し気が晴れた。本当はぼくだって即断即決、誰にも惑わされずに在りたい。全てをはねのける心と全てを受け入れる心を合わせ持ちたい。

 でもそんなことはぼくにはできない。心は簡単に揺れる。ユーシャちゃんに会っただけでぼくは簡単に揺れ動いてしまった。自分で『ぼくは悪くない』と思わなきゃ、『罪』の字から始まるあの感覚に似た気持ちが生じるのを止められない。どこまでも弱すぎるぼく。


 でもアクマはそんなぼくを知っていてくれる。誰にも伝わらなかったぼくの弱さを。知ってて、しかもそれに何かを感じてくれる。好悪なんて関係ない。少しだけ、受け入れてくれた、ような気がした。


『ほう、年上が好きだというのは本当らしいな。どうやらまだ母親の乳が必要な年だったらしい。甘えたいなら売女でも買ってその胸に吸い付いてくると良い』


「下品な奴だよ……」


 少し笑った。こいつと一緒にいると楽しい。厳しいしつれないけど優しくてかわいい。ぼくの好みまっしぐらだ。ぼくの侘しさを少しだけ和らげてくれる。

 もしかしたら、かつてのぼくに必要だった存在って……アクマみたいに、ぼくの濁りを見つめてくれる存在がいたならあるいは……


『ただ精神を覗かれただけで理解者を得られると思ったか。気色悪い。貴様のような汚泥しきった心根の者に擦り寄られて安心感を感じられてしまう側の気持ちも考えてみろ』


「めんどくせえなあ……いちいちぼくの心に茶々入れてくんなよ」


 やっぱり心を見られるのは面倒だ。言葉にしていない感情には言葉にしないだけの理由がある、その壁を許し無しに超えてこられるのはストレスだ。

 だけどいつかそれにも慣れてしまうときがくるかもしれないと思った。少しだけ、アクマをほんとに好きになる予感がした。



***



「なげえ……」


 拘束されてからどれくらい経ったろう。両手を万歳したままの無防備な拘束状態はぼくにとってかなり新鮮で、今まで感じたことのない恥辱と恐怖を与えた。誰かに見られるかもと思うと恥ずかしいし、こんな間抜けな状態で襲われて犯されるなり殺されるなりしたら馬鹿すぎる。それは一つの恐怖だった。二つの感情がぼくに与えるどきどきが、名状しがたい興奮状態を作っていた。

 男女の倒錯した性的行為の一つに恥ずかしい格好をしたまま衆人環境、もしくは他人の目に触れる可能性のある場所に放置されることで性的興奮を得るという行為がある、らしい。今までなにが良いのか全くわからなかったけれど、ちょっとだけ理解できた気がした。


『なにを言っとるんだ貴様は……』


「こんなことでも言ってなきゃやってやれねえくらい暇なんだよ」


 散歩しながら三時間、というのはできても一所ひとところにしかも動けない状態でというのは些か辛いものがある。もはや一人カラオケも一人口笛ギターもベースもドラムも飽きた。知識人ごっこもモラトリアムごっこも飽き飽きだ。することがねえ……


「あのアマ……帰ってきたらマジで泣くほどいじめてやる……!」


『……そいつが帰ってこないから貴様はそうしているのだが。恐らく、もう三時間経ってるぞ』


「え」


 ぼくはしばらく動かす気も起こさなかった両腕を動かしてみる。少しの抵抗の後、あっさり腕が動いた。


「うわ……」


 長らく上げっぱなしだったせいか腕に力が入らない。よくわからないけど、血流とか大丈夫かな……医学知識なんてさっぱりのぼくだけど、ガキのころ頭を逆さにしたままだと血が下って死んじゃうとさんざ脅されたぼくだ。馬鹿なりに血流に対する意識は高い……


『死んでないならなんとでもなるだろう。さて、北の街に向かうか』


「北の街?」


『やっと自由になったろう。旅を再開するのだろう? 貴様の荷物も、どさくさに紛れて馬車に置いてきてしまったしな』


 なるほど。そう言われればそうだ。ぼくの目的は旅、旅の目的地は北の街。ぼくの荷物も北の街。長い散歩になるけどそっちに行くことも考えられるか。

 でも。


「あいつ帰ってきてねえけど……」


「さあ? 死んだんだろ。魔導師女を殺せるほどとなると魔族側も中々の者をこちらに寄越したらしいな」


「死んだ……ね」


 腕をぶらぶら振って感覚を取り戻しながら、暗くなって見づらい街道まで歩く。あの傲慢な魔法士が。今日の昼までずっと一緒だったあいつ。いたずらしたりセクハラしたりして、ぼくの口笛を少し気に入ってくれたあいつが。


「ううん……」


 別に大きな感傷は覚えないけど、なんとなく腑に落ちかねるものがある。感情の置き所というか……そう、見てないから実感できないのだ。確かに高い確率で魔族がいる街に潜入しに行った人族の魔法士が約束の時間までに帰ってこないのなら、死んだか捕まったかどうかだろう。それはそうだ。


「でも確かめてないしなあ」


『なんだ、人助けか。慈善の心に目覚めたか元勇者』


「どうなんだろ」


 自分がなにを考えているかよくわからない。シンプルに考えてみよう。


「……南に行って死んだか捕まったマドーシさん見て満足するか。北に一日歩いてマドーシさんの訃報を二人に伝えて微妙な空気になるか」


 どっちもめんどくせえ……楽しい気分にはならない二者択一だった。

 道に出た。二つに分かれてる。ぼくは心底面倒な気持ちを抱えて南に歩を進めた。


『……そういう選択を取るとはな。貴様は惚れっぽいな』


「まあ、助けたいとは思ってるかも」


 恐らくマドーシさんは死んだか酷い目にあったろう、けどぼくが見たわけじゃない。想定外のことが起きたのは事実だろうし、ドンパチするつもりはないけどちょっと見ていくくらいの愛着はあの女に感じている。危険じゃなさそうだったら助けるなり遺品を持ってくるなりしてやるか。


「ま、どっちゃでも良かったけど。このまま北行って二人に報告したらなんかぼくが悪い奴みたいで嫌だしね」


『口ではどうとでも言える。我輩には貴様の心根が見えることを忘れたか』


 そういう言い方をされると自分で自分の心を疑ってしまう。あれ、もしかしてぼくって素直になれないだけで心からマドーシさんを心配して南に向かってるのか……? そういう一面もあるだろうけど、それが本懐ではないはず……


「……どっちゃでもいいや」


 行くことには決めたんだ。細かい感情の機微なんかどうでもいい。さっさとマドーシさんの死に様でも見て帰ろう。ぼくはあいつが最初に聞き入ってくれた曲を口笛で吹きながら月夜の街道を歩く。








 



 

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