ザ パッセンジャー②

 それから少し歩くと決して大きくないが山道に出た。意外と人跡まで近かったらしい。愛馬に同乗することを提案され特に考えずに頷いてしまった。二秒後に気づいたが、時既に遅し。ぼくは全身を二メートル越えの男性に抱きすくめられる形で馬上からの風景を楽しまなければならなくなっていた。アクマは『あははは!』とこの世の全てを何も知らない子供のように笑った。綺麗な声だとぼくは思った。


 現実逃避の手段を考えることは可及の問題となった。ぼくの無い頭脳は二つの案、『子供の頃の精神状態に戻って父に連れられて旅に出る息子の気持ちになりストレスを軽減する』案と『女の子の気持ちになって逞しい男の腕の中でときめくことでストレスを軽減する』案を捻出ねんしゅつした。


「すごおい! お馬さんってこんなに高いんだね」


「……どうした兄ちゃん、馬に乗るのは初めてか? やけに元気じゃねえか」


 悪くはなかったけど、子供のエネルギーをぼくの萎びた身体で再現するのは疲れてしまう。遭難明けには辛い選択だった。


「……すみませんセンシ様。ぼく、疲れちゃったみたい……目を閉じて、体を預けてもいいですか……?」


「おお、しゃあねえな。そうか、遭難してたんだもんな……しばらく眠ってな。落とさないようにしっかり見てるから」


「ありがとうございます……ぼくのこと、離さないで……」


 控えめに、しかしぎゅっと確かにセンシさんの腕に手を添えるぼく。こっちで行こう。


『どうして貴様はこう……万人がそっちじゃないだろうと思う方へ向かうのだ』


 おぼろげな意識で、アクマのため息が聞こえた気がした。おやすみなさいませ。



***



 結局ぼくは起こされるまで起きなかった。長い遭難生活でかなり疲れが溜まっていたらしい。馬上で揺れる中での睡眠は電車の中で眠るのに少し似ていて、ちょっと懐かしいと感じた。


 水場で馬とぼくたちの休憩を何度か挟み、夕暮れまであと少しという昼下がり、ようやっとたどり着いた小さな村にぼくたちは降り立った。

 どこかの街の郊外にある小さな村だ。見渡すと、そう貧しそうには見えないけど、若い男が少なかった。

 センシさんが交渉の末、ボロの空き家を使わせてもらえることになった。


「俺は酒が飲める所を探すが、どうする? 来るか?」


「もちろんですよ!」


 意気揚々と酒場を探す。そう大きな場所はないだろうが、どこか村人が集まって話し合う場所ぐらいはあるだろう。


『やけに元気だな』


『当たり前だ! 女だ女、やっと女がいる場所まで来たんだぼくは』


 この一ヶ月真に飢えていたのはそれだった。勇者時代のぼくは何をトチ狂っていたのか性的衝動の昂りを感じないほど修行に明け暮れていたし、なんと一人で慰めることもしていなかった。十七歳の若造が、だ! もはやぼくの衝動はどんな形で放出されるか、恐怖をも感じる。液体か、固体か……恐ろしい。


『こんな寂れた村に若い娘がいるか?』


『若くなくて良い。年上の方が好きだし』


『……独身の女がいるだろうか』


『なあ、そういう複雑なことはとりあえず色々終わってから考えることにしようぜ。そっちの方が頭も回るだろうし』


 センシさんに連れられ、村人に酒を飲める場所を聞く。最初は余所者を若干警戒した話し口だったが、センシさんの親しみやすい雰囲気に流され他の家々より少し大きな平屋に通された。


 大きなテーブルが何個か並べられた屋内に、何人かの集まりが二つ三つある。ぼくらは割に若い男二人と同じテーブルについたが、ぼくは目を皿にして女を探していた。


 …………居ない。


『それはそうだろう。こんなむさ苦しい男の溜まり場に若い娘を差し出すようなことを普通の親はせん。女房も家で子守があるだろう』


 正論で返されてしまった。ぼくは女性の社会参画を心から支持した。


 しょうがない。最後の手段だ。厨房の奥に見え隠れする、この居酒屋の亭主の奥さんらしき人に話しかけてみよう。


『貴様にはあれが女に見えるのか……』


『失礼な奴だな! 見損なったぞ!』


『悪魔に何を言っている』


 席を立って厨房に向かって歩を進めた時、


「わ!」


 何かにぶつかった。

 見ると、ぼくの腰ほどくらいの背たけの子供だった。


「ごめんね、立てる?」


 腰をかがめて目線を合わせる。男の子だ。


「大丈夫です」


 そう言って厨房の方へ入っていった。この家の子なのかな。


「…………」


 やめよ。萎えたし。


殊勝しゅしょうなことだな。子供くらいいるだろう、人の妻なら』


『うるせえな……萎えたもんはしょうがねえんだよ』


 くず肉の野菜炒めを食べながら、ちびちびと水の入った杯をするあおぐ。

 根暗で協調性がないぼくは、楽しそうに騒ぐセンシさんと男たちの会話に入れずに居た。愛想笑いをして輪に入ったふりをするのも面倒だし、ぼおっと店内を眺める。


 さっきの男の子が忙しそうに駆け回っている。どうも今日はセンシさんかぼくのカリスマが人を呼んだのか、結構人が多い。センシさんがお金も置いていってくれているのだろう、酒や料理もいっぱいだ。小さな体には、辛い労働だと思った。


 ……ううむ。あまり美味しくない。子供の頃、お父さんに怒られた後に食べた晩御飯を思い出す。なんとなく後ろめたい気持ちで食べるものは味がしないことを、ぼくは久しぶりに思い出した。


「ちょっと、きみ」


 丁度ぼくらのテーブルに配膳しにきた男の子を呼び止めた。


「お料理運ぶの大変でしょ。手伝うよ」


「え……えっと……」


「大丈夫、ぼくが好きでやりたくなったんだ。『いっしゅくいっぱんのおん』を返したいだけさ」


 戸惑う男の子の手を取って、ぼくは厨房へと向かいさっきまでどうやって床へ連れ込もうか考えていたおかみさんに事情を話す。二つ返事で受け入れてくれた。好青年だと思われたらしい。道は近づいた気がした。


 その夜、店が落ち着くまでぼくは配膳や時には調理を手伝った。おかみさんだけじゃなく、居酒屋に集まった村人にも喜ばれた。そいつらのためにやった訳じゃないしうざかったが、わざわざ『別にお前たちのためにやった訳じゃない。ぼくがしたいからそうしただけだ!』とか言うのもなんだか好きな子に素直になれない奴みたいで恥ずかしいのでやめておいた。


「やるじゃねえか! 一躍大人気だな!」


 ニヤついた笑みを浮かべ、千鳥足で今夜の宿に向かうセンシさんと隣のぼく。

 いつからだろ、ぼくは人に褒められることがあまり嬉しくなくなった。大抵の場合、ぼくが自分自身よくやったなあと思うことじゃなく、どうでもいいことで褒められるからだ。どうでもいい話を聞かされるのは誰だって辛い。だからと言って、自分の良いところを説明しても、大抵冷めた目で見られたり理解されなかったり……


「いやあ、喜んでもらえてよかったっすよ」


 心の中にある塵芥ちりあくたのような喜びの感情を何百何千倍にも拡大してなんとか言葉をひり出す。


『馬鹿で不器用で消極的。はぐれ者の典型的な性格だな、貴様は』


 空き家のぼろの寝台に寝転がっていると、アクマが話しかけてきた。


「そだなー、でも好きなんだよなあ。こんな自分が」


『そうらしいな……貴様は時折自身を卑下ひげするようなことを言うが、劣等感の気配は感じない。強烈な自己愛が自我を保護している。だからこそ、誰になんと言われようと何も罵られようとビクともしない』


「精神科の先生みたいだ……」


 行ったことないけど。


『つまり自分が一番好きだから、他の誰かの行動に左右されないのか』


「ぼくのことをわかってくれるのはお前だけだよ、アクマせんせ」


 ぼくのテキトー思考を論理づけるなんて無駄なことを。昨日口にした信念を今日平気で覆すようなことを言う男だ、ぼくは。


『そんな貴様が何故か、自分より年下の子供に対しては簡単に影響されてしまう』


 アクマは勿体つけながら語る。探偵の犯人暴きのようだ。


『今日のこともそうだし、以前から我輩に幼児性を見出す際に普段とは明らかに違う穏やかな精神状態になる。貴様、年上の方が好きだと言っていたではないか』


「あほかお前は……」


 確かにぼくは子供に甘い。なんだったら優しいという言葉を使っても良いかもしれない。前世からずっとそうだった。


「でもなあ……別に理由とかないし」


『貴様のような人格破綻の社会不適合者がなんの理由もなく好意を抱く訳ないだろう』


「子供を大事にすることに理由が必要な世界とか嫌だよ」


『子供を大事にすることに理由が求められる人間性なのだ、貴様は』


 こいつ、ぼくが罵倒されて何も感じない訳じゃないことをぼくの次に知ってるくせに……言いたい放題だ。


「心の中よく見てみろよ、よくわかるだろ。なあんにも考えてないよ。ただ、子供には優しくするもんだって風潮の世界でずっと生きてきたからその名残だよ」


『むむ……なんにせよ、子供それが鍵になるはずなのだ……』


 よくわからんことを呻くアクマ。無視して眠ることにする。


 どうして子供に優しくするのか。考えたこともなかった。なかったけど、きっと答えは綺麗なものじゃないんだろうな。ぼくの美徳のほとんど全ては、ぼくの弱さに起因するものなのだから。





 

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