世界を売った男②

 それから儀式の日までの三日、特に変わりない日々を送った。

 アクマちゃんはぼくの回答をお気に召さなかったようでそれ以来へそを曲げてしまった。

 詳しくぼくの思いを懇切丁寧に教えてやっても良かったけど、その未来を想像した時のぼくの心の内の倦怠感けんたいかんを存分に感じ取ったらしく、『貴様の本懐など興味ない』と、己からわざわざ質問してきたことを忘れたかごとく矛盾したことを言ってきた。ぼくはしばらく見守ることにした。


 周りの人たちも変わらない。日頃から一人でトレーニングをしていたぼくは放任主義的に育てられてきた。寄親も、ぼくが家に居さえすれば特に文句は言わない。


 そしてやってきたる儀式の日。

 若干の緊張とともに、ぼくは寄親が用意した馬車に乗り、連れられて聖堂に向かった。


 街はイルミネーションってぐらい着飾って、そこかしこから歓声が聞こえる。神だけじゃなく、街全体が祝福してくれているようだ。

 一週間前のぼくならこんな時、窓から顔を乗り出して大衆の声に応えるべく快活な笑顔と手をふりふりしてたろうなあ。なんて考えながらまどろみに落ちていた。寝るには良い日和だ。


 歓声に見送られながら、聖堂に足を踏み入れる。途端、空気の冷たさに気づく。音ももう、遥か遠くからするようだ。神域ってやつか。寝ぼけ頭で考える。


 聖堂の奥では何度か会ったことある司祭さんがいつも通りの柔和な顔で出迎えてくれた。


「よくぞ、よくぞ、よくぞ……ここまで来てくれました。半年前に会った時とは別人のようです。これが祝福を授かる真の勇者の面構えというものなんでしょうかねえ……いえいえ、私もなにせ初めてのことですから緊張して——」


 と、いった賛辞をあと五分ほど貰った。なんて言えばいいかわからなかったのでとりあえず「しゃす」とか「ちす」とか言って控え室に逃げてきた。


「なあ、あんな感じで良かったんかな? ていうか、ほんとなんもしてねえけど大丈夫?」


『なにもせずとも良い。その軽薄な口を叩く方がよっぽど事態を悪くする。黙って先のことを考えていろ。儀式が終わればこの街に居場所は無いぞ』


 言われたので誰に話しかけられても集中力を高めてるフリをしてやり過ごす。

 一見異様だけど、聖堂を包む厳かな雰囲気も手伝って誤魔化し切れた。


 一時間くらい経った頃、トントンと扉がノックされた。


「時間です」


 いよいよ儀式が始まる。聖堂は聖職者と一部の関係者のみで、静まりかえっていた。その中には寄親とその家族の姿もあった。

 今日ここで、ぼくは神から祝福を賜る……。


 一体どうなるんだろう。

 他人事かのような高揚感でぼくは祭壇まで足を進める。


 司祭さんは一文字に結んだ真剣な顔でぼくを待ち受けていた。器から清らかな水を手につけ、自分の額につけぼくの額にもつける。

 

 そして呪文のように長い長い文言を小声でぶつぶつと呟く。

 ぼくは般若心経を唱えるお坊さんを思い出してちょっと懐かしい気持ちになった。


 それから五分。ずっと立っているのも辛いので椅子を持ってきてもらおうかと人を呼びかけた時、司祭さんの顔色が目に見えて変わった。


 何度見直しても何故間違っているのかわからない。数学のテストを受けた後みたいな微妙な面持ちで、呪文を唱えながらぼくと祭壇の上の本をきょろきょろと見比べている。その様子を見た他の司祭さんたちが集まり、小声でなにやら話し始める。


 どうしてりゃいいんだろう……

 手持ち無沙汰な気持ちを抱えつつ、持ってきてもらった椅子に腰掛け談義の終わりを待つ。


 更に十分後、


「——お待たせいたしました。大変申し訳ございませんが、こちらの準備に不手際があったようで、祝福の下賜かしは中止とさせていただきたく——」


 司祭さんが額の汗を袖で拭いつつ言った。

 集まっていた一同困惑で、説明を求める声も上がったが頭を下げるばかりで不承不承解散を余儀なくされた。

 

 さてよくわからんけどぼくも流れに乗るか。席を立って入り口に向かうぼくを司祭さんが呼び止めた。


「ぼくの精神に一時的に干渉したい?」


 懺悔室のような暗室にぼくと司祭さん二人きり。申し訳なさそうにそんなことを切り出された。


「……お気持ちはもちろんわかります。ですが、今回の下賜の失敗の原因を測りかねている次第でして……原因を調べるためにも祝福を受ける受け皿である勇者様のお心をどうか調べさせていただきたく……」


「何の為に? 祝福にぼくの心が何か関係してるんすか」


「いやそういう訳ではないのですが……」気まずそうに目を逸らされた。


なのだ。『祝福』とは』


 心内でアクマが話しかけてきた。


『そもそも祝福とは、神から力を下賜かしされるものではない。逆だ。持って生まれた力の一部を解放していく作業に過ぎん』


「え!」


 声が出た。目が合う。とりあえず頭を下げた。


『そうだったの?』


『ああ。貴様が今まで魔法で火の玉遊びしかできなかったのは、生まれた時にオドの活用を邪魔する呪いをかけられたからだ。そうでなければもっとマシな魔法士になってたろう』


 呪い。聞いたことがない。魔法とは違うのか。


『違う。が、貴様が使えないという点では同じだ』


『でも何でそんなことを』


『赤子では扱い切れないほど厖大ぼうだいだからだ。そのうち、自分か周りを殺してしまう。まあ周りの人間は替えが効くが、貴様に死なれては困ったんだろう』


『ふうん。で、それとぼくの精神が何で関係してんの?』


『埒外の力を持った奴を野放しにしたくないのが世の常だ。祝福は、力の解放とともに貴様の精神の支配権を徐々に奪うことも目的にしている』


 アクマは滔々とうとうと語る。


『支配、と言っても簡単に操り人形になる訳じゃあない。人形にしてしまっては逆に使い難くなるからな。ただ、心の方向性を変えていくことによって、大衆が求める英雄像に近い存在に変えていくのだ』


『方向性』


『例えば、今まで苦手だったことがちょっとづつそうでなくなったり、な。野心に溢れた人間が徐々に慈善的になったり、義憤にかられたり。周囲に違和感を覚えさせないように少しづつな』


『へえ、なるほど』


 クレバーで面白いやり方だと思った。


『それでぼくの心に干渉したいんだ。で、どする? なんか言い訳とか言って逃げた方が良い?』


『追いかけ回されるのは苦手なんだろう? なら今その心を見せてやればいい。使い物にならないことがすぐにわかるだろう』


「しょうがないですねえ。じゃ、どうぞ」


 両手を広げて迎え入れる。露骨に安堵した様子の司祭さん。すぐに、心に踏み入られた違和感を覚えた。頭痛がする、吐き気もだ。


「……これは」


 司祭さんは息を呑んだ。


「……あり得ない。既に主以外にその心を。何者だ……! 勇者様をかどわかしたのは!」


「悪魔ですよ悪魔。なんか三日ぐらい前に会って、契約しちゃいました。じゃ、ぼくの勇者だの何だのは無かったってことで……」


「そんなことがあってたまるか! くそ、悪魔だと……? そんな子供の噂のようなものが、心に居着くなんて——」


 へえ、悪魔って司祭さんみたいないかにもな知識人も知らないんだ。


『悪魔は人の内にしか存在しないからな。観測のしようもない。それこそ、人の精神に干渉するすべを持つ者以外は』


「勇者様! 聞いてください、貴方は騙されている! 悪魔は貴方を堕落させるために何やら吹き込んだかもしれませんが全て虚構です!」


「かもね。でも司祭さんだってぼくに対して全て誠実だった訳でもないでしょ。祝福の下賜の本懐を、ぼくはアクマに教えてもらうまで知らなかった」


「祝福は世界のために必ず必要なことなのです! かつての悲劇を繰り返さないため、我々人族が神から許しを得るためにも!」


 この開き直りの早さをぼくは本気で羨ましいと思った。


「ぼくは世界のために生きてる訳じゃない」


 席を立った。


「これ以上言い合う意味ないでしょう。悪魔との契約は一生物で、解けないらしいです。今までお世話になりました」


 呆気にとられる司祭さんを置いてぼくは聖堂を去った。


『これで貴様が悪魔憑きであることが教会に知れるだろう。神に祝福されない勇者など、ただの力持ちに過ぎん。もはや用無し、どこへでも行けとなる訳だ』


「……もしかしてぼくって、神に心を委ねるか悪魔に心を委ねるか選んだだけ?」


 神の『祝福』と悪魔の『契約』。本質としてはどっちも同じようなものなんじゃ。


『さて、どうだろうな』


 アクマはくふふと冷笑を見せた。声の高さのせいで恐ろしさを感じない。何だか気が抜けた。


『その安心感は、果たして貴様本来の心なのだろうかな……』


「別にどっちでもいいよ。自分本来の心なんて、誰も持ってないと思うし」


 自分が今自分でものを考えているという意識。それが肝要なのだ。自分の心の由来なんて、誰も証明はできないのだから。


『……ちっ』

 

 かわいい舌打ちが聞こえた。



***



「じゃ、出てくか」


 夕暮れの自室。事前にまとめてあった荷物を持ってぼくは屋敷を発つ。


 なんてことない麻のズボンとシャツに、茶色の外套フード付き。何だかワケありの旅人そのものって感じでワクワクする。

 背嚢はいのうには毛布とか鍋とか。野営もするだろうし、その用意だ。

 弓と槍だけ持って、邪魔になるから他の武器は置いていくことにした。槍も、目的にしている街に着いたら売って金にしてしまおう。


『何というか、あまりにもあっさりしているな』


 聖堂以来黙っていたアクマが話しかけてきた。


『貴様には何か感慨はないのか? ここは十七年間暮らしてきた家で、街なのだろう?』


『あれ、感じてるだろ? 荷物まとめてる時、柄にもなく郷愁きょうしゅうを噛み締めてたんだけどなあ』


『いや、あれが郷愁……? あれは何というか……郷愁というには軽々し過ぎた。大人になって、子供の頃好きだったおもちゃを捨てるような、そんな気持ちだろう』


『悪魔に人間の気持ちを説かれるとはね』


 少し面白くて笑った。


『ま、ぼくも昨日今日生まれた訳じゃないし別れは慣れてるしさ』


『ふむ……』


 納得いかな気に唸るアクマ。こいつはどうも、ぼくに一般的と言えばいいのか、そんな振る舞いを求めてくるきらいがあるな。何でなんだろう。


 さて、長話は終わりだ。寄親に今日の聖堂でのことを聞かれるのもうざいし、さっさと出てしまおう。改めて荷物を確認し、窓から下を確認して飛び降りた。


 庭をそそくさと歩いて家の石壁に手をかけたとき、


「何やってんだ!」

 

 後ろから声をかけられた。


 


 

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