シックスセンス





鈍色が降らせる水分を弾くビニール傘を介し、

一定の距離感を保ったまま、生産性のない会話を時々こぼす。


大した話題でもなかった。


タイムラインに呟かれていたら親指でスクロールしてしまうような、そんな内容。






それでも互いに雨音に掻き消される声を、何となくの空気で察する。

街が目ざめ、人通りが戻り始めた時刻に自然に別れ、そしてまた翌同時刻、現れる。

ヴァニラの仄かな香りと、梅雨空の匂いがブレンドされ、憎いほど記憶に彫り込まれる。


白い肌に忌々しく遺るタトゥーみたい。





 黎明を共有するなかに、戯れもなければ踏み込んだ会話もない。

 


こちらがぼうっと地面に染みをつくる雨粒の軌跡を見つめていても、

そちらは逆さまの空に視線を浮遊させていたりする。

ワイパーのない透明の傘から見えるそれは、邪念しかなくていいと貴方は言った。

 



 そして偶に紡がれる適当な言葉に、雑な返事を放り投げる。






 求めるのは熱じゃなく、凛。






「なあ」

「ん」

「夢見た」

「どんな?」

「青かった」

「…それだけ?」

「光が回ってて」

「ん、」

「消えた」





 その大きな瞳は鏡で、映るのは、自分。すぐ目の前にいるのに、ここにいない。


物理的な問題ではなく、手首を思わず掴んでしまわなければ

その感覚を無くしてしまいそう。



寧ろ、先日の、現代ではない世界から現れたブッタイだと説明されたものが

ジョークではなかったと、そう言われた方がよほど納得できる気がする。


未来から来たスパイだとでも言われた方がいい。




 慈愛を閉じ込めたくなるほど儚く脆い。




例えば、夜中積もっていたはずの雪が、翌朝、何も無かったかのように跡形もなく

消え去り、陽光と濡れた地面をみて唖然とするような、そんな違和感。




夜眠る時、貴方が現れる朝のことを想起するが、姿が浮かばない。


というのも、美しいブロンドヘアと甘やかな猫髭は思い出せる。

羽のような睫毛が斜め下へと伸びて、それから堕ちてしまうほどの泡沫の声。




こんなに有力な情報が浮かんではいるのに、パーツの一片一片でしかないのだ。

どんな姿だったか思い出せない。だから、じいっと見つめた。



 焼き付けたい。



夜、静寂が訪れたときの為に。だけどやっぱり苦しくなった。


瞳はシャッターを切ることができない。





×





湿度は保ちつつ、熱された空気が避けられぬ夏に近づく予感がする。

あと二十時間もすれば、六月が去ってゆく。

薫風が吹けば、急かされてるような気になって、心が忙しない。

だからといって結局、これという物珍しい何かは閃かない。





質量均一の髪が、初夏の風に晒されて揺れる。

癖も傷みもひとつない、艶のある美しきブロンド。

おそらくブリーチまで施しているだろうけど、枝毛ひとつ見つかりそうもない。


ひとつ瞬きをして、微熱のような笑みを浮かべた横顔に

手を伸ばしてしまいそうで、掌を握りしめた。


私欲とかそんなんじゃなく、純粋に、ここにいると証明して欲しい。

呼びかけたら負けな気がして、唇を噛み視線をコンクリートに落とす。








  ─── 刹那、予感、ピアスホール。



ぷつりと残るそれは、なんだか人為的に施した穴なのだと痛感して生々しい。

何も貫いていないそれにうごめく、ひどく感傷的な心情が邪魔をする。





「今日、してないの?」

「ん?」

「耳。輪っかの」

「ああ、付けてくんの忘れた」

「…痛くなかった?」

「ん?」

「穴、あけるの」

「生まれた時からあいてたよ」

「…え?」





答えに詰まり、地面に視線を放る。

湿る地面しか眺めるものがなく、蟻の縦列を目で追った。

存在には分類された価値があり、それは恐らく平等に分け与えられている。

しかし、必要のあるそれか、もしくは日常に於いて

なんの需要もない、それかという相違がある。

たまたま生まれつき穴があれば、痛みを感じることなく耳を彩れる。

…いいな、そんなの。








「なわけないじゃん」








 与えられた間の後で、そう言って、それはそれは可笑しそうに、笑う。





「飴には警戒するくせに、嘘は信じちゃうのな」





デジャブかよ、と苦しそうに腹を抱えて。

濡れ羽色の睫毛を揺らし、瞳の端にひと粒水分を溜めたまま。

一度止んでも、堪えきれないらしくコンマの間を置いて、また吹き出す。

その姿を思い切りこちらが睨もうとも、全く気にもとめない。



屈託のない笑み。

猫髭と表現すれば良いのだろうか、ハハ、と声を漏らして

目じりを下げれば頬に柔らかな皺が刻まれる。


笑っていて欲しい。なのに、その笑顔を見ると溢れる、切なさ。

刻む心臓がぎゅっと握り潰され、呼吸が浅くなる。

第六感を駆使しても、抉るような狂おしさがまとわりつく。





 劣情の災禍に貴方だけは晒したくない。





細める瞳から、反射的に視線を逸らしてしまう。

ヘッドランプの眩しさに目をつむってしまうように。

いっそ、思い切り睨みつけ、怒鳴り散らしてくれた方が余程ラクかもしれない。

怒りの刃がこちらへ向く苛烈は耐え難いものだと分かっていても、それでも。


そんなことを呆然と巡らせるこちらを横目に、

いつの間にか尽きて止まったらしい笑いを飲み込むべく水を一口含みつつ、云う。










「一瞬の痛みなんてどうってことない」








視線を遠く、遥か先の水面に思いを馳せるようにして、微笑をこぼしながら。


いつか見た、誰かのタバコの煙に似てる。


そこはかとなく漂う、それに。






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