第47話 消えることはないらしい

「――状況を整理しよう」


 過ぎてしまった時間が戻らないように、付いてしまった既読が消えることもない。


 本来なら、好きな人に送ったメッセージに既読がつけばそわそわドキドキとするものなのだろう。だが、今は。


 ……晩ごはんどころじゃねえ。


 大急ぎでごはんを食べ終えた俺たちは、机の真ん中にぽつんと置かれた千歳のスマホを神妙な顔で囲んでいた。


「千歳が温めていたという、とっておきの渡へのお誘いメッセージは送られ、既読がついた。ここまではいいな?」


 七瀬は気まずそうに天井を見上げ。潮凪さんは困ったようにあははと乾いた笑いをこぼす。

 そして当の千歳は、机の上に頭を乗せて動かない。かける言葉もない。


「そ、それで。渡から届いた返事が?」

「……『千歳さんから連絡来るの、初めてだから驚いた!送る相手間違えてないよね?〇〇って、どこ?笑』」


 七瀬が抑揚のない声で画面の文字を読み上げる。俺は女の子のスマホを見ることに罪悪感を覚えつつも、画面をスワイプして千歳の送ったという文章を見る。


「……なになに? 『渡くん。急に連絡してごめんね? どうしても話したいことがあるから、明日の〇〇に〇〇まで来てもらえないかな? 私、待ってるから』」

「野太い声で読み上げるな!!!」


 微動だにしなかった千歳が、勢いよく顔を上げて叫んだ。怒ってるのか泣いているのか、照れているのかすらもはや分からない。


「お前よくこれでとっておきとか言えたな……しかも〇〇に〇〇ってなんだよ」

「そ、そこは覚悟が決まったら時刻と場所を入れようと思ってて……は、はは。終わりです。打ち間違いってレベルじゃねえですよ……」


 ついに口調まで変わってきた。相当追い込まれていることがよく分かる。


「――私に、案があります」


 七瀬は真剣な表情で手を挙げ、俺を見る。

 ……なんだかんだ言いながら、こいつも友達思いの良いやつじゃないか。

 俺は何も言わずに彼女へと頷き返す。


「〇〇に〇〇、ここに入れると面白い言葉をみんなで考えましょう。それを渡さんに送れば何事も無かったことに……」

「大喜利じゃねえか! そんなこと言ってる場合じゃ……潮凪さん? あれがこうなって、じゃないから。これ大喜利じゃないから」


 ……緊張感がなさすぎる。

 え? 慌ててるの俺だけなの? まじで?

 俺が動揺しつつ三人へ視線を向けると。


 潮凪さんの目はどこか遠くを見ており。

 七瀬はなぜか一人で大喜利を始め。

 千歳はこれは夢だと言いながら机に伏せている。


 ……違う。これは緊張感が無いんじゃない。

 あまりの想定外の出来事に、三人ともが現実から逃れようとしているだけだ!


「し、潮凪さん?」

「相馬くん。このメッセージの送り先の相手が本物の渡くんとは限らないよね?」


 彼女はとんとん、と机を指で叩いて言う。本物の渡ってなんですか潮凪さん。もしこれが偽物だとしたら千歳が可哀想すぎる。

 そして、やっぱり現実から目を背けようとしてたわ。


 俺は続けて七瀬を見る。

 彼女はううん、と悩んだ末に、ひらめいた! とでも言うかのようにカッと目を見開く。

 

「――渡くん。明日の午前中に午後まで来てもらえませんか? これで行きましょう」

「時空超えてるじゃねえか」


 七瀬に至っては現実どころか時の流れから目を背けようとしていた。そんなこと言ったら千歳が頭おかしいやつだと思われて終わりだぞ。


「うう……どうしたらいいんですかあ」


 千歳は半分涙目で机に頬をぺたりとくっつけている。

 なんとかしてやりたいが、ここから逆転の一手なんてものは……。


「送り間違えたって言おうにも、頭に『渡くん』ってついちゃってるしな……」

「別の渡くんに送ろうとしてたっていうのはどうですか?」

「仮に別の渡くんがうちの学校にいたとしても、かなり苦しい言い訳だな」

「ですよねえ……」


 七瀬と二人、ため息をつく。

 俺が千歳の携帯からメッセージを勝手に送ったということにしてくれてもいいが、なにがどうなったらそうなるのかと渡に聞かれるのが目に見えている。そして説明出来る気もしない。


「千歳は告白したがってたし、もうこのまま告白したらいいんじゃね……?」

「む、無理に決まってるでしょう!? 心の準備ってもんがあるんですよ!」


 だよね。分かってた。

 とりあえず予想通りの返答が来た所で。


「と、とりあえず適当な時間と場所を送って、今回はデートに誘ってみるくらいが一番良い落とし所なんじゃないかな……?」


 潮凪さんが優しくつぶやく。

 ……確かに、あんなメッセージを送っておいて間違いでしたというのは無理があるよな。


 だが千歳のことだ。

 そう素直に納得するだろうか。むしろ反抗するかのように告白したりしないだろうか。

 

 俺の心配をよそに、千歳は潮凪さんの言葉に少しだけ迷うように視線を泳がせると。


「むう。不本意ですが、今回ばかりは仕方ないですかね……」


 そう言って、照れ臭そうに机の上のスマホを手に取った。

 俺は安堵の息を吐く。潮凪さんと七瀬も、どこか安心したように小さく笑った。


 まあ、千歳の言う通り心の準備も出来ないままに告白するよりかは大分マシだろう。

 時間と場所、どこにしましょう!? なんて二人に相談している千歳を見ながら思う。


 ……しかし。

 千歳はきっといつかは、いや、そう遠くないうちに渡に告白をするのだろう。


 それならば、俺と七瀬が知っている渡についてのこと、あの日のことは話しておかなければならない気がした。

 直接否定はしたとはいえ、渡は七瀬のことが……。


「え、えーと。じゃあ月曜日の部活終わりに一年生の靴箱の所に……」


 二人のアドバイスを受けつつ、千歳が渡への返信の文章をついついと打ち込んでいく。


「そ、送信!」


 千歳はそう言ってメッセージを渡へと送る。

 そうして、座ったまま床に背中からぱたりと倒れ込んだ。


「……やば。めっちゃ頑張りました」


 ほんのりと赤く染まった頬で言った千歳の表情は、達成感に満ち溢れているように見えた。

 潮凪さんがうんうんと何度も頷く。


「とりあえず、よかったんじゃないか」

「先輩は何もしてませんけどね?」

「……間違いない」


 俺が真顔で言うと、千歳は寝転がったままこちらを見てにやりと笑う。


「あーあ。告白するつもりだったのになあ。ちょっとタイミング悪かったからあれですけど。先輩が邪魔するから」

「してないわ。自分で自爆しといて何言ってんだ」

「はあーあ。心臓飛び出るかと思いましたよほんと。まあ告白はするんですけどね? ね?」


 突然の出来事に興奮しているのか、千歳はいつもよりよく喋るし表情も豊かだ。なんだよ、いつもそんな風にしておけばいいのに。


 俺はふう、と息を吐いて立ち上がる。

 お騒がせな後輩にお茶でも出してやろうかと、冷蔵庫の方へ。


「――てか告白といえば。ナナちゃんも早く告白したらいいのにっ」


 いつの間にか、窓の外の景色はすっかり暗く染まっていた。一人でいる時よりも、時間が経つのがずっと早い。


 思えば今日は、潮凪さんとの……その、デートに始まり。七瀬と千歳に出会って、ドーナツ屋に行って、俺の家に来てみんなでごはんを食べて。めちゃくちゃ濃い一日だった。


 色々あったが、こんなふうに週末を過ごすのはいつぶりだろうか。可愛い潮凪さんと、可愛くない後輩二人とだけれど、一緒に机を囲んでごはんを食べれたのは…………。


 ………………ん?

 思考の隅をかすめたその言葉を。

 千歳の言葉を、反芻する。


 俺は何故かしんとしたリビングを振り返る。

 そこには。


 アホみたいに口をぽかんと開けた潮凪さんがいて。


 驚愕の表情を浮かべて千歳を見る七瀬がいて。


 そうして、寝転がっていた千歳が、ゆっくりとゆっくりと身体を起こす。俺の方には背を向けているので、その表情までは見えない。


「…………あれ」


 千歳はぽつりとぼやく。

 潮凪さんと七瀬は、固まったまま動かない。


「あー…………せ、先輩?」


 千歳は、がたがたと震えながらこちらを振り返る。真っ青な顔をして、助けを求めるようにこちらを見つめながら。


「い、今の。既読つきましたかね?」


 どうやら付いてしまった既読は。

 消えることはないらしい。

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