Episode3

17 後悔

 結果を先に記すと、桜城高校は失格であった。


「桜城高校・cherryblossomは、時間内までにステージに登壇しなかったため失格となりました」


 どんよりした空気感のなか結果発表が始まり、


「それでは、結果を発表します!」


 ドラムロールが鳴って、プロジェクタースクリーンにランキングが映し出された。


「今年の京都府代表は、鳳翔女学院高等部に決定しました!」


 カンナと千沙都は飛び上がって喜んだが、貴子と江梨加は複雑な顔をした。


 宥は、隣のノンタン先生の顔を覗いた。


 ノンタン先生は瞑目したまま、何も言葉を発しようとはしなかった。





 表彰式で優勝盾を受け取り、全国大会への初出場が決まっても、貴子は少し固い笑顔しか出来なかった。


「貴子、何かあった?」


 カンナが心配そうに問うたが、


「うぅん、こういうの慣れてへんから」


 そう返すにとどまった。


 どうにか表彰も無事に終わり、帰り支度をしていたところへ、先ほどの櫛引慧子が来た。


「みなさん優勝おめでとうございます」


「こちらこそありがとうございます…でも桜城さん、何で今日は来られなかったんでしょうか?」


 詳しくは貴子すら分からないのである。


 一瞬だけ櫛引慧子は言いづらそうな顔をしたが、


「実はこちらへの移動中、スクールバスが事故に遭いまして」


 意を決したように述べた。


 桜城高校の校舎は岩倉にある。


 岩倉からコンサートホールのある上賀茂の府立植物園までは宝ヶ池のトンネルを通ればすぐで、今回もそのルートを使っていたらしい。





 ところが、である。


 トンネルの手前の合流のあたりで逆送車と衝突し、スクールバスは横転。


「メンバーとマネージャー、顧問の先生が搬送されたとまでは聞いてるのですが、それ以上は何の音沙汰もなくて…」


 それでもギリギリまで櫛引慧子は待ち、最後は諦める決断をせざるを得ず、最終的には生徒会の代表として代理で事務処理をした…とのことであった。


「そんな…」


「私たちもメンバーも、鳳翔女学院のみなさんと対戦することを楽しみにしていました。特に白川桃花さんは、初めて妹さんと同じステージに立てることを、嬉しそうに新聞部に語ってたと聞いてます」


 桜花は桃花の名前が出ると即座に反応した。


「姉は…無事なんですか?」


「それが全くわからなくて…どこの病院に搬送されたかも、まだ連絡がなくて」


 桜花はこれ以上、櫛引慧子を責める気にはなれなかった。


「桜花…取り敢えず希望だけは持とう」


 江梨加は桜花の肩を抱くと、足早にスクールバスのある駐車場へと歩いた。





 夜になって宥のカフェで打ち上げかたがた集まっていると、桜花のスマートフォンが鳴った。


「はい…白川桜花は私です」


 しばらく相槌を打っていたが、唇を噛んだままだんまりとしたあと、桜花は静かに通話を切った。


 無言でカバンを取ると、


「…今日はこれで失礼します」


 お辞儀をして傘を手にカフェを出た。


 あとを追うように江梨加が出ると、寮とは逆の今出川通のほうへ歩いていくのが見える。


「…桜花!」


「江梨加ちゃん…今はひとりにして」


 江梨加は傘も持たず飛び出した。





 桜花は立ち止まると、傘をさしたまま佇んだ。


「…江梨加ちゃん、風邪引くよ」


「えぇねん、うちのことなんか今はどうでもえぇねん…」


 江梨加は背後から桜花を抱き締めると、


「お姉ちゃん…あかんかったみたい」


 この一言で、江梨加はすべてを察したのか、


「桜花…アンタがいちばん、しんどいはずやねんで?!」


 振り向くこともない桜花の頬を、一筋の涙がハラハラと伝い落ちてゆく。


「…私、お姉ちゃんのこと…何にも分かってへんかったんやなって」


 口調は平素の桜花であったが、声が涙で湿っている。


「江梨加ちゃん…私」


「桜花…辞めるとか抜かしたら許さへんで!」


 遮るように江梨加は叫んだ。


 雨の中の二人を、宥はただ眺めるしか出来なかった。





 京都予選が終わって程なく、桜花は和歌山へ1週間ばかり帰ったのであるが、それは荼毘に付された桃花の骨壷を手にした状態での帰還である。


 人というものはこんなに呆気なく消えてしまうものなのか──というような思いで長距離バスに乗ると、姉に対するコンプレックスが実は愛情の裏返しで、もしかすると無意識に敢えて同じ道を選んだのかも分からなかった。


 しかし。


 それは予想以上に茨の道で、それも相手は期待のボーカルでもあった。


 それだけに桜花はボーカルではなく経験のあったドラムを選び、歌うことを避けてきたのは、桜花なりの矜持であったのかも知れない。


 葬儀と仮納骨だけ済ませ、京都駅に着くと迎えに来ていたのは、前に帰省したときと同じカンナであった。


「桜花、おかえり」


 カンナはいきなり桜花の手を繋いだ。


「あなたは独りじゃない」


 口下手で不器用なところのあるカンナらしい、どこか血の通った表現方法であったが、それが桜花には嬉しかったのか、


「カンナ先輩、ありがとう」


 いまだ頬には涙の跡が残りながらも、手を握り返しスマイルを浮かべた。





 それでも。


 戻ってきた桜花には変化したところがあった。


 一つは靴下で、それまでどちらかというと可愛らしい小さなバラの花がついた淡いピンクの靴下を愛用していたのが、黒の靴下を穿くようになったのである。


 もう一つは髪飾りで、こちらも小さな野バラの装花がついた桜色の髪飾りであったのが、黒いタッセルのついたシンプルなものに変わったので、


「…桜花ちゃん、趣味変えた?」


 などと、美織に訊かれる始末であった。


 他方で注目のボーカルが事故で遭難し落命したことは、少なからずスクバンの世界では知れ渡ったようで、


 ──波乱の京都予選。


 と呼ばれ、ネット記事に虚実混交で書かれることもザラであった。


 ただし。


 もともとエゴサーチをしない桜花にとって、それはまるで知らないことでもあった──というのが、せめてもの救いであった。





 とにかくも。


 全国大会までまだ1ヶ月ほどあり、その間に桜花の気持ちが立て直せるかというあたりが宥やノンタン先生の気がかりなところで、貴子もカンナも、江梨加も、1年生組の美織や薫子、千沙都も、桜花の刺激にならないようにするのがいっぱいいっぱいであったところは否めない。


 が。


 当の桜花は、それをあまり好まなかった。


「前みたいにさ、しょーもないことして、アホなこと言うてゲラゲラ笑ってたりするほうが私はえぇ」


 本当につらいのは桜花自身なのだ──宥は理解できるだけに、辞退を考えることもあった。


 そうした週末。


 ノンタン先生は桜花を呼び出すと、屋上まで連れ出した。


「あのね…私も実は、すごく近い人を亡くしてるの」


 そうして語り始めたのは、クラスメートでベーシストであった實藤さねとう花という仲間の話であった。


「その子は自ら命を絶ってしまって、だからケースは少し違うんだけど、でも何で気づいてあげられなかったのかとか、それは今だにあって」


 だから人間って後悔しながら生きて、やがて寿命が来る生き物なんだって思う──ノンタン先生のフラットな、まるで悟ったような口ぶりに桜花は、


 ──どうやってそんな達観ができるんやろか。


 そう思わなくもなかったが、しかしそれは逆さに言えば、


「だからね桜花ちゃん、あなたはお姉ちゃんの分までなんて思わないで、あなたらしくあればいいと私は思う」


 というノンタン先生の言葉は、のちのちまで突き刺さって響くものであった。


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