握手①

 初めてミサリィに会った翌日の朝八時ちょい前、寝ぼけ眼でTwisterを開くと、新着DMが11件も届いていた。


 [本日はご在宅でしょうか?]

 [ちょっとだけ、ご自宅まで遊びに行ってもよろしいですか?]

 [朝食に何か食べたい物はありますか? 今から持って行きます]

 [月曜日は午前中の授業がないんです]

 ……などなど。


 それらは全てミサリィからのものだった。

 カラフルな絵文字とともに送られてきた熱烈なメッセージの数々。

 僕はそれらに一通り目を通したあと、アプリを閉じた。


 何これ? ストーカー化の予兆なの? 自宅の住所知られちゃってるし。最寄り駅が同じだとわかった時点で、もっと警戒しておくべきだった。

 後悔の念がこもった溜め息をついていると、ピーンポーンと家のチャイムが鳴り、布団から跳ね起きた。

 特に宅配便は頼んでないはず。来客の予定もない。ということは……いや、まさか。部屋番号までは教えてないし。


 玄関のドアの覗き窓から外を見ると、そこにいたのはミサリィだった。

 何を考えているのか、朝八時に全身メイド服姿で立っている。

 コイツはヤバい。本格的にヤバいやつだ。

 僕がドアの反対側で思考停止状態になりながら猫背の体を硬直させていると、ミサリィはそのドアを右手のグーで叩いてきた。


「先生! 起きてますよね? 既読になってるのでわかってますよ!」


 心臓の鼓動が高鳴る。

 玄関のチェーンをかけてから鍵を開け、三十度ほどの角度でドアを開いてみると、小悪魔の不敵な笑みが垣間見えた。


「先生、おはようございます。朝食をお持ちいたしました」


 たしかにその手提げのバスケットの中には、ラップで包んだおにぎりとサンドイッチが三人前ずつほど入っていた。


「食欲がないので結構です」


 そう言うと僕はドアを閉め、鍵をかけた。

 胃がキリリと痛む。でも、こういうことは最初が肝心だ。これから毎日のようにルームサービスを届けられても困る。


「先生、お部屋に上げてください! こんな格好のまま外に立っていられません!」

「そんな格好で来たのが悪いんだろ! そもそも僕は朝食なんて頼んでないし、会いに来るときはアポ取ってからにしてくれ!!」


 何か小言をつぶやきながら、ミサリィの足音が遠ざかっていく。

 話のわかる奴で良かった。僕はドアに背中をもたせながら座りこんだ。



 たしかにミサリィは話のわかるやつではあったが、話をわかりたがらないやつでもあった。

 それから一週間、毎日二十件以上のDMや写真が届き、その度に僕はお断りのDMを返送した。

 僕みたいな底辺WEB小説家を相手にしてくれるなんて身に余る光栄だなぁと、初めの三日間は呑気に嬉しがったものだったが、あとの四日間は恐怖感の方が上回った。

 既読スルーをしてみてもミサリィはへこたれない。きっと彼女の心臓は、ヤマアラシの背中に生えている針のような剛毛で覆われているのだろう。


 バイト終わりの夜道が怖い。尾行されているのではないかと、しきりに後ろを振り返る。近所のコンビニに入る際は店内を見回して、最短ルートで買い物を終えて駆け足で出ていく。

 そんな生活が続いた八日目の朝、僕は大量に送られてきたDMを下に高速スクロールしたあと、苦渋の決断をして一通のDMを送った。


 [これ以上はDMを送ってこないでください。家にも来ないでください。本当に迷惑です。]


 正直、箱庭創の記念すべきファン第一号に向けて、こんな返答はしたくなかった。

 でも、どこかでアウトのラインを引かないと、彼女の行動はさらにエスカレートしていくことだろう。

 明確な意思表示をした結果、新着DMの嵐は嘘のように止み、既読スルーのまま半日が経った。さすがに彼女も懲りたかなと、その時は思っていた。


 ところがミサリィは、僕の拒絶をものともしなかったようだ。

 夕方に近所の喫茶店で一人、スマホが震えない生活は久しぶりだなぁと感慨に耽っていると、店のガラス窓がカンカンと鳴った。

 彼女のハンドサインを眺めながら溜め息混じりに頷くと、彼女は店内へと入ってきて、僕の向かい側の席に座った。


「今、執筆中でしたか?」

「いや、別に。日誌を書いてただけ」


 僕は、テーブルの上に置いていたポメラDM30を折り畳むと、鞄の中にしまった。

 向こうを見ると、肩周りに透け感のある白いワンピースの中で、豊満なバストが苦しそうに突っ張っていた。首元には黒いリボン。

 その清楚かつ扇情的なミサリィの服装には、やけに見覚えがあった。でも、いつ、どこで見たものかまでは思い出せない。小説を書くのに、いつもキャラの服装で困るくらいにはファッションに興味がない僕なのに。


「この服、覚えてますか? 過去に私が先生にリプライしたものなんですけど……」

「リプライ?」

「『豊満お嬢様は自分のエロさに気付いてない』で、ヒロインの服装に困ってるってツイートをなさったときに――」

「ああ! あれか!!」


 それは、ミサリィが僕に写真で送ってくれた服装だった。

 リプライに載っていた写真では鼻から上が見切れていたが、たしかにあの写真に映っていた人物もミサリィだったと思う。スタイルの良さもグラビアアイドル並だ。


「『どストライクです』と仰っていましたけど、いかがでしょうか?」


 「いかがでしょうか?」じゃねぇよ、すました顔しやがって。

 あざとい……ミサリィ、マジであざとい。


「お忙しいのであれば帰りますけど?」

「いや、まぁ、僕もミサリィさんに言っておきたいことがあるし……」


 意味もなく前髪をいじる僕の視界に、一冊の大学ノートが広げられた。

 そのページには漫画タッチのカラーイラストに、小説の一節をコピーした紙片が貼り付けられていた。


「DMにも載せたのですが、過去に『最終幻想戦記』に登場するキャラのイラストを描いたことがあって、先生に見てもらいたかったんです。あの……イメージと合ってますか?」

「ああ、これ僧侶アクアか……たしかにこんな感じのイメージだった。前から思ってたけど、絵上手いね」

「良かったぁ。典型的なJRPGのヒロインという想定で描いてみたんです。他のキャラも描いてますよ」


 そのノートには、物語の主要登場人物から敵の中ボスにいたるまで、様々なキャラクターたちがビジュアル化されていた。

 しかも、そのそれぞれが僕の脳内イメージと妙にマッチしていて、自分に絵を描くスキルがあったらこう描いただろうなぁと思ってしまうほどの出来映えだった。


「凄い……文章を読んだだけでよくここまで再現できたね」

「ありがとうございます。ファン冥利に尽きます!」

「イラストレーターにもなれるんじゃない?」


 そう言ってしまった途端、僕の背すじをゾワゾワ感が走り抜けていった。

 そんな気軽に勧められるもんじゃないよな。

 ミサリィはわかりやすく頬を赤らめながら、それでもどこか諦めたような表情を浮かべていた。


「イラストは趣味で描いています。でも、先生の作品が出版される際には、キャラクターデザイン案を一緒に練らせてくださいね」

「出版されることは未来永劫ないけどね」


「自費出版や電子書籍化という道もあります。そのときには、カバーデザインや挿し絵などをご提供できますので」

「肝心の本編がなぁ……」


「先生の創作活動を長期的にサポートしますよ? 何年でも待ってますから」

「お気持ちだけで結構です」


 僕はそのノートを閉じて、ミサリィの手元へと返した。

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