異動命令

 あの戦いは、今でも悪夢に見ていた。記憶から永遠に消えることがないであろうあの出来事に、ずっと苦しみ続ける。


「――ます? 聞いてます? ユリーシャ中佐!」

「はっ! すいませんでした。それで、なんでしたっけ?」

「しっかりしてくださいよ。新しい配属先に、そんな調子で行かれては困ります」


 注意された少女が申し訳なさそうに項垂れる。短く切り揃えた桃色の髪と、深い青色の瞳が特徴的だ。

 同年代と比べると少し大きめの美しい胸と、すらりと長い綺麗な足。それらを含む体を包むのは、レザリア王国の空軍に支給される軍服だ。

 クールかつ可憐なパイロット。それが、ユリーシャ=レイスだった。

 宇宙連邦議長国のレザリア王国。その中心、王都アンヴァルにあるレザリア王国軍の異動を決める中央軍事基地人事棟。その一階に、ユリーシャはいた。

 頬を叩いて気合いを入れ直す。いくら戦線から遠く離れているとはいえ、弛みすぎだ。気を引き締めねば。


「すいませんでした。もう一度お願いします」

「はい。ユリーシャ中佐。貴女は、惑星ロクシールの衛星に置かれた部隊、コロニー1に配属変更となりました。数日後、コロニー1から迎えの者が来るらしいので、準備をお願いします」

「分かりました」


 伝達役のお姉さんにお礼を言い、ユリーシャが歩き出す。異動に伴って、宿舎も変わるから荷物を纏めないといけない。自分の部屋を目指して歩く。

 通路を歩いていると、人が集まっている場所を見つけた。掲示板の前で、何人かの将校が話し込んでいる。

 彼らの隙間の奥にある張り紙。それを見て、ユリーシャはため息を漏らした。


『快挙! ユリーシャ中佐、ドラムグード王国軍戦闘機五機を撃墜! 敵軍一時退却!』


 華々しいユリーシャの戦果だ。だが、決してその裏に隠された被害は公表されない。

 ユリーシャと共に飛んだ戦闘機は二十一機いた。そのほぼ全てが撃墜され、ユリーシャともう一人だけが生き残ったのだ。

 二十機墜とされ五機墜とした。これで快挙とどうして言えようか。

 ――あの、屈辱的大敗を喫した『バルム海戦』と名付けられた戦いから一年。ユリーシャは、仲間と飛ぶことが出来なくなっていた。

 もちろん、中隊は軍が付けてくれる。だが、ユリーシャは仲間たちと同じ空を飛ぼうとはしなかった。一人先行し、仲間がそれに付いていくというスタイルをずっと取り続けていた。

 機体性能で劣る連邦の戦闘機がドラムグード戦闘機に勝とうと思えば、チームワークは必須だ。だが、そんなもの端から欠けているユリーシャの中隊は、なす術もなく各個撃破をされるしかなかった。

 パイロットとしてのユリーシャの腕は一流以上で、性能の差など覆すように華々しい戦果を挙げ続けてきた。だがしかし、その裏では常に犠牲が付きまとい、その経験も重なってユリーシャはより一層仲間と飛べなくなってしまった。

 ユリーシャの扱いは、やはり軍によって違っていた。

 陸軍や魔導軍、勇者たちといった彼女の戦闘を直接見ることのない軍はユリーシャを英雄として称賛した。だが、戦艦からユリーシャを近くで見ることのできる航宙軍は彼女を孤独のエースと呼び、戦闘機を操る空軍からは死神と呼ばれるほどだ。

 軍の上層部も彼女の扱いに困っていた。

 下手に有名になりすぎたせいで、やはり部隊をつける必要があるのだ。万が一にも撃墜された場合、一時的に陸軍などに衝撃が走り機能が落ちる可能性がある。それを防ぐための保身だ。

 だが、だからといって部隊をつければ、出撃した際に味方は壊滅、あるいは全滅することはほぼ間違いないだろう。それに、空軍からはもうこれ以上ユリーシャに人員は割けないと強く言われていた。

 一人でしか飛べない。けれども、一人だけでは飛ばせられない。上層部も頭を悩ませるわけだ。

 そして、ユリーシャはもちろん自分の評価を知っている。良い面も、悪い面も含めてだ。

 叶うなら、ずっと一人で飛ばせてほしい。そしていつの日か、見殺しにしてきた仲間たちの呪いで命を散らしたい。そう、思うようになっていた。

 何も思わない訳ではない。何度、自殺を考えたことかユリーシャはもう分からなくなっていた。けれども、それを踏み留まらせてくれる優しい友人がいたことで、ユリーシャは救われていたのだ。

 通路を歩くユリーシャの肩を、一人の少女が気安く叩く。


「……ナタリー」

「なーに辛気臭い顔してるの? ほら、新しい人たちと仲良くするんだから、笑顔笑顔!」


 ナタリー=ウエルカ。バルム海戦直後からユリーシャの部隊で生き残っているパイロットだ。ユリーシャとナタリーだけは、どんな戦場でも生き延びてきた。

 もちろん、ユリーシャはナタリーとも飛ぶことは出来なかった。だが、ナタリーもそれを承知で後方からユリーシャに情報を通達していた。ユリーシャの部隊で連携らしい連携をしていたのはこの二人だけだろう。

 空では肩を並べて飛べない。けれども、地上にいる間はユリーシャが唯一心置きなく話せる相手だった。

 だからこそ、悲しかった。コロニー1に転属となるのはユリーシャだけ。ナタリーは、新設部隊の隊長としてユリーシャとは違う空を飛ぶことになったのだ。

 ユリーシャは数日の猶予があるが、ナタリーはこの後すぐに異動する。故に、ここでの会話が終わると、しばらく声を交わすことは出来なくなるだろう。

 ナタリーは、長く連れ添った戦友に声をかける。


「またどこかで会えるよ。その時は、頼りにしてるにゃん」

「私に頼りきりってのもどうかと思いますがね」

「そんな堅いこと言わないでよ~」


 ナタリーがクスクスと笑う。それから、ほんの少しだけ真剣な顔になった。


「いい加減、仲間とも飛べるようになってよ。私が支援じゃなくて、隣で飛ばせてほしいな」

「……善処します」

「あははっ! 私の部隊は第八特務航空団だからさ、戦場が被ったら勝手に隣を飛んじゃうよ~」


 最後まで、憎たらしくもユリーシャが好きな笑顔を見せ続けたナタリー。二人でハイタッチをする。

 一時間後、ユリーシャは滑走路に出ていた。ユリーシャの前では、ナタリーを始めとする中央軍事基地から異動となる三人のパイロットがそれぞれの戦闘機に乗り込んでいた。小型波動エンジンが振動している。

 飛び立つ直前、ナタリーがキャノピーを開けて叫んだ。


「またねユリーシャ! いつか空で!」

「ええ。また、いつか」


 飛び立っていくナタリーを見ながら、ユリーシャは胸の前で手を重ねた。ナタリーの言葉を思い返す。


「……吹っ切らないと、いけないのかな?」


 そう、わずかに希望を抱いていた。



 ――サレザー恒星系での戦いで、ドラムグード王国がその戦力を前線に投入してきたのは、その五日後だった。


 邪神龍が前線に出てくることは今までもあった。だが、それはあくまで天階という邪神龍の中では低位の存在だった。

 しかし、サレザー恒星系に出現した邪神龍は、天階よりもさらに上、神階というクラスの邪神龍。

 そこでの戦闘は、当たり前のように連邦軍の惨敗だった。出撃した部隊は全滅、生き残りなどいなくて……。

 その被害報告を確認したユリーシャが、力なく崩れ落ちた。持っていた資料が床に散らばる。

 そこには、犠牲になった兵士たちの名前も記されていた。その一番下の欄から、ユリーシャは目を背ける。


『ナタリー=ウエルカ少佐以下、第八特務航空団全滅』


 ユリーシャが抱いたわずかな望みが、音を立てて崩れ去っていった。

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