taboo ~~新宿暴走事件~~

外道

第1話上級国民は女子アナ内定者

「それじゃあ、おじいちゃま。行ってまいります」

綺麗な白い指をかざす様に広げ、祖父に外出を告げる鍋島亜子は、古風な言い方をすれば、佳人という言葉がふさわしい。女優のような小顔は美と形容するに相応しい端正さだ。涼しげで柔和な瞳が愛らしい。栗色のセミロングが風になびき、形の佳い耳たぶに白いパールのピアスが光る。先ほどまでの女子トークでは朗らかに笑いながらも、その上品な薄ピンク色の唇を、必要以上に大きく広げることはなかった。良家の子女を思わせる躾の良さが成せる業。それもそのはず、旧華族の直系の末裔にして、帝都電力会長鍋島行正を祖父に、現経済産業大臣鍋島幸一郎を父に持つ、旧家の一人娘だ。


身長は155㎝ほどの小柄な彼女だが、ノースリーブのサマーセーターの下では、なかなか豊満ともいえる膨らみが時折、妖艶に蠢く。女体を描くなだらかなラインが、ウエストに密着したグレーのやや裾が短いスカートの下に浮かび上がる。すらりと伸びる白い生足も令嬢らしく清楚なインパクトを周囲に与える一方、どこか劣情をそそりかねない妖しさをも醸し出す。ミッション系の帝都女子大3年生。この秋の学園祭で、恒例イベント『miss・Imperial capital』略してミスI・Cへのエントリーも決まっており、そのプロモーションビデオも、つい先日完成している。

女子アナウンサーの登竜門と名高いこのイベント、実のところ亜子のグランプリ受賞は内々に既に決定済みだ。世の中には公正公平に見えて、実はすでに結果が決まっていることも珍しくはない。ミスコンとて例外ではなく、容姿端麗才色兼備の子女が集う帝都女子大の中でもヒエラルキーは存在する。帝都電力の関連企業である広告会社の帝通は有力企業にコネが利く。その内定者や関連企業OG、縁者に働きかければ、一人の上級国民にさらなる栄誉を与えることは容易だ。もっとも家柄、血統、そして本人の美貌を鑑みれば、投票権を持つ者を取り込むことなど容易で、そんなコネクションも必要ないかもしれない。ついでに言うと亜子は、在京キー局、大江戸テレビの女子アナウンサーの座もすでに射止めている。


若き令嬢がこれだけの成功を収めれば、さも高慢で嫌味な女を彷彿するだろうが、当の亜子自身は外見に違わず硬派で清潔な人柄だ。合コンや異性との遊び事にはさしたる興味を示さないことも、躾の佳さを伺わせる。名家の一人娘がこれだけ魅力に満ちた輝かしい将来を持つ美女とくれば、祖父帝都電力元会長の鍋島行正の可愛がりようが尋常ではないのも頷けよう。

「車で行くのならば、運転手をつけなさい。確か、葛西の手が空いているはずだよ、亜子」

行正は複数雇い入れている運転手を呼ぼうと、ソファから立ち上がる。

「大丈夫です、私は別におじいちゃまや、パパみたいに政府や会社の要人ってわけじゃないもの。お車だけお借りしま~す」

と、悪戯っぽく微笑む亜子。

「しかし、な。…そうだ、なら、セキュリティ会社の者を付けよう」

亜子はフランス人形のような優美な笑みを浮かべ敬愛する祖父を、そっとソファに座り直すよう促す。

「やだ、おじいちゃまったら。ホントにご心配なく…。それより、おばあちゃまの傍にいてあげて頂戴」

「ああ…大丈夫かね、亜子」

行正が、孫娘の単なる外出に神経を払うのは、跡取り娘の可憐さだけが理由ではなかった。


それは、一年ほど前の事だ。行正の車は西新宿のオフィス街にほど近い路上で車を暴走させ、大規模な人身事故を起こした。アクセルとブレーキを踏み間違え、凶器と化した車は時速100キロほどでガードレールを突き破ると、歩道に段ボールの住居を構えていたホームレスたちを次々に跳ね飛ばした。結果、8人を死なせ、13人に重軽傷を負わせるという大惨事に発展し、マスコミにも大きく取り上げられた。が、話題をさらったのは、事故そのものよりも、鍋島家の総帥、行正の事件後の対応だった。運転者とされる彼は被害者の救助に当たらなかったばかりか一時間ほど姿を消したのだ。ホームレスが被害者ということで、救助を試みる通行人たちも少なく、何が起こったのか理解できないものも多かったらしい。そのことで、救命活動が大幅に遅れ、事故の加害者であるはずの鍋島が行方をくらましたことが、被害者たちの生死を決めたといえる。その後、事故現場付近の商業施設から姿を見せた彼は、悪びれることなく事情聴取にこそ応じたが、警察に身柄を拘束されることはなかった。


『路上を不法に占拠する者にいかなる言い分も認められない。曲がりなりにも人権を持つ彼らが命を失ったことは非常に遺憾だ。今後は高齢者でも誤作動を起こさぬ車作りと、ホームレスの駆除に力を注ぐべきだ』

ある新聞記者に語ったインタビューは世間の反感を買ったものの、大手マスコミは彼を、それ以上追及することはなかった。腫れ物に触る様に、軽く報道する際も、彼の呼称には『さん』や『元会長』がつき、加えて、逮捕も起訴もされることはなかった。が、今はネットの時代である。声なき声は大きなうねりを呼び、一年を経過した今でも、鍋島邸への落書きや、通行人からの罵声などの『いやがらせ』は続いていた。警戒心を強めた鍋島家の人々は、セキュリティを強化していた。

「おじいちゃまは心配しすぎ! 亜子だって、もう二十歳なんですから、あんまり子供扱いなさらないで。それよりも、おばあちゃまが最近、夜眠れないっておっしゃるの。たまには、奥様サービスしてあげて」

チャーミングなウインクを敬愛する祖父に送ると、亜子はプリウスのスマートキーをかざすようにして微笑んだ。

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