第20話



 さて、先んじてベルサーユ宮殿に乗り込んだライライはどうなったのでしょう?


 ハービィが捕縛ほばくされた日の夕暮れ時、パリエス郊外のベルサーユ宮殿では盛大な祝宴がもよおされていたのでございます。なんでも国王直々の依頼を受け、北方の海へ出ていた船乗り一行が、このたび二ヶ月の航海を経て生還したというのです。


 船長と航海士を招き、旅の成功を祝すと共に冒険者たちを労う―― それが今晩ひらかれる宴の主旨なのでした。


 いくら汗と埃にまみれた冒険者が主賓しゅひんの祝賀会とはいえ、王族の面目にかけて無様をさらすことはできません。当然、最高級のもてなしをすることが求められていたのです。

 会場に関しては元より「これ以上」など有り得ませんでした。

 ベルサーユ宮殿はもともと鹿狩り用の宿泊施設として作られた建物です。ですが周囲の美しい自然と拓けた土地に目を付けた先代国王が、王族の住居として相応しい宮殿に改築することを決意。パリエスの中心部から二十キロ以上も離れている辺鄙へんぴな場所に豪勢な庭園とこの世の物とは思えぬ絢爛けんらんな王宮を築き上げたのです。

 大理石の庭園に水路を引きたい。ただそれだけの理由で治水工事を行い、セイヌ川の流れすらも変えさせたというのですから、国王の権威がどれほどのものであったのかを示す贅沢の極みと言えるでしょう。

 そんな宮殿に国中から三ツ星のシェフを集め、厳選した給仕役を配備し、超一流と呼ばれる奏者たちを宮廷楽師として雇い入れたのです。文句のつけようがありません。楽師たちの仕事は今でいえばBGMを奏で続けることです。何時間もぶっ続けでミスなく完璧な演奏をこなすことが求められる為、交代制を採用し控えも含めれば人数も結構なものです。

 当然、その中の一人が熱を出して倒れ、代役に入れ替わったとしてもとやかく言う者は誰も居ないのでした。


 そう、その代役がライライです。

 日頃は宮廷楽師として働く(今となっては国内で肩身の狭い思いをしている)天ノ瞳教団隠れ信者たちのとりなしがあったおかげで、余所者のライライでもスムーズに楽師一団へとまぎれ夜会へ参加することが出来ました。


 会場となったのはベルサーユ宮殿「鏡の間」です。

 庭園に面した回廊型の長い広間には、その美しい景色を存分に楽しめるようアーチを有した巨大な窓がどこまでも続いていますが、見所はそれだけはありません。

 ちょっと背後に目をやれば内側の壁には一面巨大な鏡が並べられています。その数、実に三百五十七個。

 天井には一面の宗教画とブドウの房みたいに連なったシャンデリアの群れ。床には純金の燭台とニス塗りの木造タイル。柱や内壁材はもちろんマーブル模様の大理石。どこを見ても一部の隙も無い金と銀と石材の芸術的空間で、人の手によってこれほどの美が生み出されるのかと称賛せずにはいられない美しさなのです。

 その極まった芸術空間が先に述べた鏡の壁によって二重映しとなり、この場でダンスパーティーが行われた折にはこの世の物とは思えない幻想的な雰囲気をかもし出すのでした。


 ライライは広間の一画に設けられた奏者用のスペースに収まり、竪琴をつまびきながら行き交う貴族たちを横目で観察していました。天ノ瞳教団の敬虔けいけんな信徒であり、D国とも太いパイプを持っているモンド卿、イル六世の従弟にあたり後釜を狙っていると噂されるクロウビス卿、王妃のテレーズ婦人と愛娘のマリィ。

 まだ宴は始まってもいないというのに、早くも各地の公爵と名だたる王族が集結し、そうそうたる顔ぶれでした。庶民の暮らしとかけ離れた天上のごとき宴会場に相応しい彼らのドレスや礼服は、宝石やビーズに彩られ光り輝いていました。

 恐らく売れば庶民三代が遊んで暮らせるほどの大金が手に入るのでしょう。服一着でその調子。酒場で歌いその日暮らしを続けていたライライとは、格が違い過ぎてうらやましさすら感じません。下々の世界とは全くの別次元。それが王宮なのです。

 本来ならば足を踏み入れることも、そこで起きたことをうかがい知ることも許されない聖域。ですが、高貴な血筋でなくとも美貌と才覚を持ち合わせた者ならそこにお邪魔することぐらいは出来るのです。


 群青色の礼服をまとった道楽公エチエンヌが演奏席に立ちより、調律中のライライに声をかけていきました。



「生憎と私はご婦人方に避けられガチでね。ライライ、手が空いたら一緒にテーブルを回らないか?」

「私なんかを連れて歩くと評判が落ちますよ?」


 謙遜けんそんでそう言いましたが(馬子にも衣裳とはよく言ったもので)今日のライライは一味違いました。

 ブロンドの地毛はお団子に丸めて赤毛のウイッグで隠し、上から銀のカチューシャをつけています。(なんとも気の利いたことに飾りの上部からガゼルのような角が生え『角被り』になっています)上着は袖にレースと刺繍ししゅうをほどこしたビロード製の物。下は金糸が入ったシルクの細いズボン。道楽公の用意してくれた服は王宮によく馴染むものです。

 男装の麗人が道楽公と並び歩いても嘲笑う者などいなかったでしょう。


 エチエンヌはライライの謙遜を笑い飛ばしました。



「ははは、私の評判なんて、これ以上は下がりようがないね。君も私という隠れみのを上手く使ってくれたまえよ。北の荒野へ派遣した調査隊が無事に生還したのも、その報告をおおやけの場でさせようと言うのも、これまで前例のないことだ。気を付けたまえ、今夜は何かとんでもないことが起きそうな予感がするぞ」


 ―― はて、面妖なこと。先代アルカディオでも生きて戻れなかったのに。あの地へおもむき、生きて戻った人たちが居るなんて。


 ライライは首を傾げました。

 単に幸運な冒険者だったのか、それとも……。

 エチエンヌの言う通り、今夜の祝賀会には陰謀の臭いがしました。

 調査団の持ち帰った報告しだいで、状況が根本から一変しかねないのです。ライライがここへ乗り込んだのは、王に悪い虫が付いていないか探り、アルカディオが倒すべき敵の所在を確かめるため。

 敵の巣窟かもしれない場所へ乗り込むのですから、彼女もそれなりに備えはしてきました。

 されど、どんなに用心深く振舞っても十分とは言えなかったかもしれません。

 ライライは初めてハービィと離れて行動することを心細く感じていました。











「皆の者、遠路はるばるよく集まってくれた。今宵は人類に厄災をもたらす彼の地から貴重な情報を持ち帰ってくれた勇士たちを祝福したい。惜しみない拍手と最高の音楽で彼等を出迎えてやろうではないか。私は万感の思いでこう述べたい、よくやってくれた……と」



 イル六世の謝辞と共に会場の扉が開かれ、船乗りたちが入ってきました。

 彼らはみな場違いな所に招かれたことを困惑している様子で、キョロキョロと周囲を見渡していました。迎える貴族たちは蔑みの笑みを浮かべながらも、盛大な拍手だけは忘れませんでした。

 そしてライライを含む宮廷楽師たちの演奏も流れ出し、祝賀会は厳かに始まったのです。


 それにしても船乗りたちの格好ときたら!

 いつも通りの作業服を着ているのは分かり易さを重視した結果だとしても、その顔はどれも皆ミイラ男のように包帯でグルグル巻きでした。

 伝染病でも出たのではないかといぶかしむような集団ではありませんか。


 二角帽子を被ったミイラ船長のゴッヘルは手を振って愛想よく拍手に応えていました。周りのきらびやかな様子に臆した気配もなく、薄汚れた船長服のまま堂々と国王陛下の眼前まで進んでいきました。

 そして、ニス塗りの床に片膝をつくと謝礼を述べたのです。



「陛下、我々の為にこのように盛大な宴を用意して下さったこと心より御礼申し上げます。『シーゴブリンズ』の船員一同、身に余る光栄で震えあがっています」

「いやいや、くるしゅうないぞ。楽にしていい。それよりも、使者から報告の書簡を受け取っているが、その内容が信じられぬ。あそこに書かれていたことは真か?」

「天地神名に誓って。我々の全員がこの目で見たことにございます」

「とても余ひとりの胸中にしまっておくべき真実とは思えぬ。個人の判断が及ぶ範疇はんちゅうではないのだ。ゴッヘル船長よ、構うことはない。ソナタが知った驚くべき秘密を皆の前で告発してくれぬか」

「お望みとあれば」



 船長は立ち上がり、何事かと不安げな顔つきの貴族たちに向き直ったのです。



「どうかお聞き下さい。我々は陛下の勅命ちょくめいを受け、日々汚染エリアを広げつつある腐れ毒の発生源を突き止めるべく、海路から北の荒野へと派遣された者なのです……」



 長く険しい旅路の果てに、シーゴブリンズの一行が目にしたのは紫に染まり切ったおぞましい海岸線でした。その大地では目に付く所すべてが毒の沼で覆いつくされており、天より腐ったワインが降り注いだかのごとき有様なのでございます。

 木々も動物も人も、大半が腐り落ちて残骸となった屍をさらすだけなのでした。それでもどうにか汚染の少なそうな場所を見つけだし、調査へ乗り出した彼等を次に待ち構えていたのは現地人による襲撃でした。

 現地人は毒による汚染を「創造主の与えた試練」と考えており、腐れ毒を克服した自分たちを誇りに思っていたのです。

 そこは彼らにとって部外者が足を踏み入れてはならない聖地なのでした。

 これまでに何度も調査隊を派遣しては全滅していたのも、過酷な環境ばかりが原因ではなくこうした現地人の脅威があったからなのです。



「しかし、彼等との戦いは想定内でした。先の調査隊が残した資料が我々を救ってくれたのです。備えておいた船からの援護射撃によってどうにか襲撃を退けることが出来ました。彼らの毒矢を受け、我々も酷い有様となってしまいましたが……それでも罠を仕掛け捕虜をつかまえることに成功したのですから。未知との遭遇は十分に有意義であったと言えるでしょう」



 捕虜たちはカタコトではありましたが意思の疎通そつうが可能でした。

 ゴッヘル船長は賂賄わいろ、拷問、交渉、あらゆる手段を駆使して彼らから秘密を聞き出したのです。



「彼等の語った所によれば……この地を覆いつくした紫の毒液は、そもそも北の海岸線から荒野をむしばみ始めたそうなんです。ある日突然、海の水が一斉に引いたかと思えば腐れ水の大津波が大地に押し寄せてきたのだとか。海沿いのみならず内陸にまで及んだ毒液は、まるで意志を持っているかのように広がり、あらゆる命の生活圏を飲み込んでいったそうです。では、北の海にはいったい何があるのか? 全ての災厄の根源にあたる場所はいったいどこなのか? 地図を広げた我々が目にしたのは信じがたいものでした」



 そこには、かの有名な宗教「天ノ瞳教団」とゆかりの伝説があったのです。

 教団の聖典にはこうあります。天眼さまは北の海にある「そびえ立つ高き塔」からこの地へ降り立ち、やがて現世に至福をもたらさんとす ――。その塔の名は「結びの塔」地上と天界を繋ぐ、この世界で最も巨大で古い建築物だったのでございます。


 話の趣旨が飲み込めてきた為、船長の話に耳を傾けていた貴族たちが騒めき始めました。ライライも率直に言って鈍器で頭を殴られたような気分でした。「結びの塔」その存在自体はかつてリトルマッジ村の教会で聞いた覚えがありました。

 けれど、まさかこんな所でその名を耳にすることになろうとは!


 ―― 妙だわ。私は……クリムの意志を継ぎ災厄の根源と戦う為に、ここへ来た。それなのに災いの元凶はこの宮殿どころか、天ノ瞳教団にあるというの? おかしい、どこか煙に巻かれている感じがするわ。私の大好きなごまかしと嘘の香りがする。


 ライライが悩んでいる間にも船長の話は続きます。



「ここまで来たら後には引けません。我々は荒野から北の海へと漕ぎ出し、聖なる塔を目指しました。途中からは海水が変色し、赤潮あかしおならぬ紫の潮が我々の道しるべとなりました。それをさかのぼっていくと、遂に見つかったのです! 海から生えた……おおよそ人工物とは思えぬほどに巨大な……高き塔と呼ぶべきものが。その表面に刻まれた亀裂から紫の毒液が流れ出しているのを確かにこの目で見たのです」


 すっかり広間は静まり返っていました。

 そこへ王の咳払いがひとつ。


「ご苦労であったな、ゴッヘル船長。皆の衆、聞いての通りだ。災厄の根源は天ノ瞳教団があがめる『神の塔』にこそあったのだ。かの邪教にほんの一時でもかしずいた我々は何と愚かで道理が見えていなかったのであろう。それが今や証明されたではないか」

「しかし……あれは本当に塔だったのか? 確かに高さは雲の上まで伸びてはいたが、山よりも横幅が大きく、望遠鏡で見た表面の質感は塔というよりむしろ……」

「下がってよいぞ、船長!」



 尚もつぶやくゴッヘルを強引に黙らせると、イル六世は身振りを交えながら皆に訴えたのでした。はや老年を迎え、王の乱れた頭髪には白髪が目立ち、その顔には深い皺が刻まれておりました。老いからくるおとろえは、どんなに王冠や高貴なマントで着飾っても誤魔化せるものではありませんでした。

 それでも、血走った狂気の瞳は未だに周囲を引きつけ黙らせる力を存分に有していたのでございます。



「かくなる上は! かの宗教を支持するD国に宣戦布告をし、汚れを広める天眼さまの首をあげるしかあるいまい! 世界を救うのだ、我々で! それこそが真相を知った者の責務。そうであろう?」



 その迫力に皆はうろたえ、ろくに反論することすら思い出せぬ狼狽えぶりでした。たった一人の欺瞞ぎまんを愛した吟遊詩人を除いては。


 ―― 嘘ですね、王様? 世界を破滅に導こうとしているのはアナタ、きっとそう。成程、これだけの舞台を作り上げた演出効果は大したものです。でもね、戦争をやられると困るんですよ。「私の英雄」から活躍の機会を奪わないで頂けます? 必ずや後悔はさせませんから!


 密偵として振舞うなら目立つような真似は絶対に避けなければならないでしょう。ですが、それよりも今この場で優先して成すべき使命があるではありませんか。ライライはそう判断すると、調律を済ませた竪琴を手に取ったのです。


 王の演説を遮るかのように流れ出す音色。本来ならば打ち首ものの案件です。

 ですがギリシャ神話のオルフェウスが竪琴の音楽であらゆる生き物に安らぎと休息を与え、戦争すらも和睦わぼくに至らせたように……ライライは楽器の奏でる力を信じていたのです。



『行こう祖国の子らよ♪ 栄光の日がきた♪ 我らに向かって暴君の血まみれの旗が掲げられた♪ 隊列を組め、進もう♪ 進もう♪』



 ライライが数秒で演奏したのは『門出の歌』F国の民であれば知らぬ者など居ない有名な歌の一節でした。

 かつて外国の侵略行為を受けた際、理不尽なその仕打ちに「断固たる異議」を示すべく、立ち上がったF国の兵士と国民たち。この曲は正義と矜持きょうじを胸に戦う者たちを鼓舞する軍歌なのだと言われています。

 それは一見すると王の演説を支持するかのような行為に見えました。ですが、今まさに「倒すべき暴君」として振舞おうとしているのは誰なのか、自説を「血まみれの旗」として振りかざしているのは誰なのか……解釈を変えればあからさまな批判でもあるのでした。


 どっちにでもとれる。受け取り方は人次第。

 それゆえに王は戸惑い、ライライの差し金を糾弾きゅうだんすべきか躊躇ちゅうちょしました。


 その刹那の間隙かんげきこそが政治においては命取り。

 歌の真意を悟って誇り高き国民の血に目覚め、王に反論する勇気を皆が取り戻したのです。



「陛下、お待ち下さい! まだ諸悪の根源が教団と決まったわけではありません」

「そうです! 宣戦布告の前にまずは教団の釈明しゃくめいを求めるべきかと」

「天界に、地上へ害成す存在がいるとしましょう。仮にそれが本当だとしても……まだ天眼さまを人類の敵と決めつけるのは早計が過ぎるかと。彼は、その敵から逃れて地上へ降臨したのかも……もしや我々に警告を与えるべく下天したのでは?」


 ケンケンゴウゴウ。

 鉄砲水のようにあふれ出した正論が、王の狂気を食い止めさえぎったのでした。

 こうなってしまえばもう手遅れです。王も、無礼な吟遊詩人のことなどに構っている場合ではありません。



「わかった、わかった。諸君らの言うことも一理ある。だが、思い出してくれ。この場は冒険を成し遂げた船乗りたちを労うためのもの。いつまでも平行線の議論を続けるべきではない……そこでだ」



 君子は豹変ひょうへんするもの。

 急変する事態に対応しきれなければ殿上人ではないのです。

 王はさして慌てた様子も見せずに打開案を提示しました。



「この広間では、当初の予定通りダンスパーティーと食事会を行うものとする。しかし、余はこの歳だ。今さらダンスでもあるまい。宴が終わるまで一時間、ハーデスの間で老体を休めようと思う。我こそは……そう思う者は、そこへ来てくれ」

「……!」

「教団と太いパイプを持ち、使者の役目を買って出れる者よ。今こそ余に貸しを作る好機であるぞ? もう人目を気にして隠れ信者を続ける必要などない。こちらから招待してやったのだ、光の当たる所へ来てくれ。もしくは、頂天騎士とか言ったか? 教団の幹部を話し合いの席につけられるというのならそれも大歓迎。存分に話し合おうではないか。決着をつける時だ」



 広間に激しい動揺が走りました。

 なんと王はこう言っているのです。

 裏切り者は残らず出てこい、対等の話し合いをしてやる……と。


 ライライにとっても、その提案は願ってもないものでした。

 王と何とか直接対話し、本心を聞き出したい。

 それが彼女の狙いだったのですから。


 ですが、もしここが敵の本拠地だとすれば、これが全て罠である可能性も捨てきれません。

 道楽公エチエンヌがそっとライライに近づいて耳打ちをしてきました。


「おい、ライライ君。無茶が過ぎるぞ」

「王に睨まれた時は少々肝が冷えましたね。あの血走った目、恐ろしくまともじゃない。ですが、無茶をした甲斐がありました。世界を救うのは私の英雄くん。どんなに強引でもそっちへ軌道修正させてもらいますよ」

「それだけ愛されているとは……うらやましい限りだね。それで、王の提案をどう思うんだい、君は?」

「ハービィを呼びましょう。王の誘いが罠であろうと、そうでなかろうと、ここからは彼の力が必要になります。ふふ、陛下にアルカディオの名を覚えてもらう時が来たようですね」

「私は頂天騎士のアガタに来てもらうべきだと思うがね……怪我さえしてなければ」



 ライライはこっそり柱の陰に隠れると、例のコンパクトミラーを取り出したのです。教団とコネのある者なら誰とでも会う、なんせ王様自身がそう宣言したのですから。今ならハービィもまた教団お抱えの義勇兵として宮殿に入れてもらえるはず。

 そう考えての緊急連絡でした。ですが……コンパクトにはノイズが走り、そこにはまったく想定外の相手が映し出されたのです。


 ウサギの着ぐるみをまとう少女の姿は一度見たら忘れられないものでした。



『悪いけどさ、愛しの仮面剣士君は野暮用で出られないの。王様も反逆者をいつまでも放っておくほど呑気じゃないワケ』

「アンタ? 黒騎士と一緒にいた奴? ど、どうして私の鏡に!?」

『うっふっふー、ヤッホー。私のテリトリー内で鏡の魔術を使おうなんて、甘い甘い。そんな術ならこちらが専門なのだ。鏡妖精ラミットの名を覚えておきなさい』

「お前いったい? ハービィをどうしたの!?」

『だからさ、アナタの彼氏に何かしたのは王様なワケ。でも君たち本当に仲良いね。あんまりラブラブだと何だかコッチも応援したくなってきちゃう。もしかすると、私が探している理想の相棒はヒルダじゃなくて貴方たちなのかもしれないね。この窮地を愛と絆の力で何とかできるのかな? 楽しみにしているよ、すっごく。嫌味じゃなくて心から』

「どういうこと? 貴方は……敵じゃないの?」

『そっち次第。無能なバカップルなら、ヒルダに仲を引き裂かれてから死んでどうぞ。それもまた一興かもねぇ。魔女ヒルダとは親の代から付き合いがあるの、その義理を捨ててまで、貴方を取る価値があるかしら?』


 視界の隅で誰かが手を振っているのに気付き、ライライはコンパクトから顔を上げました。見れば「鏡の間」の代名詞である大鏡にウサギ少女の姿が映っていました。

 いいえ、映っているのではありません。少女の姿は、鏡の向こう側にのみ見えるのです。パーティー会場に居る王侯貴族の誰もが彼女の存在に気付いてすらいないようです。

 唖然としているライライの前で、ウサギ少女は鏡像の群を走り抜けていきました。


 気付けばコンパクトミラーもただの鏡に戻っていました。

 この貝合わせコンパクトミラーはずっと昔にドゥルド族の商人から購入した品で、彼は確か商品についてこう説明していました。


『世の中にはピンからキリまで色んな妖精が居るもの。悪戯好きな下級妖精から世界創造よりも更に古いレジェンド級まで……色々な。そして、伝説級の誰も知らないレア枠として「鏡の妖精」とかいうのがいるらしい。そのコンパクトは、そんな鏡妖精の力を利用したマジックアイテムなんだと。何でもそいつ等ときたら、世界中の鏡にいま現在映っている光景を全て把握しているんだとか。世界中を、全部だぞ? もし、そんな奴がマジで居るとしたら……率直に言ってバケモンだな』


「あれが伝説の鏡妖精……なの? ラミット? そして魔女ヒルダ?」



 ライライは下唇を噛みしめながらコンパクトを閉じました。


 ―― 王様も反逆者を放ってはおかない? ハービィは来れないですって?


 本当ならば一大事。

 ですが「今まさに緊急事態」なのはコチラも同じなのでございます。

 ある事実に気付いた道楽公が駆け寄ってきました。



「おい、マズイぞ。モンド卿とお付きの者が広間から居なくなっている。卿はD国と縁が深く、昔から陛下のやり方に反対なさっている御方。誘いが罠だとしたら捨て置くわけにはいかん」

「どうやらハービィは間に合わないようです。この場に居ない人を頼っても仕方がありません。ここは私がハーデスの間に行きましょう」

「連絡がつかなかったのか?」

「本音を言えば『私の主人公抜きで話を進めないで!』ですけれど。彼が気付くまでに火種を大きくしてやれば、慌てて飛んでくるかもしれませんね。ベルサーユ宮殿が炎上するとか」

「戦場の狼煙のろしって奴かい。物騒すぎるよ。なかなかに怖い女だね、君は」

「ふふ、今頃ですか? ハービィは出会ったその日に気付いていましたよ? それにホラ、戦場というのは怖い人が集まる所なのです」



 憎まれ口を叩きながらも、ライライの掌は震えていました。


 ―― ちゃんと来てよね、か弱い女ひとりで敵討ちなんてさせないでしょう? 信じているからね! ハービィ!


 なんせ彼女一人で敵を殲滅せんめつしてしまったのではアルカディオの英雄たんではありませんから。得意の嘘で誤魔化すのにも限度というものがあるのです。




 ――――



 そこは鏡の中の無限宮、ウサギ少女専用の引きこもり空間『万華鏡聖域カレイドスコープ・サンクチュアリ』床も壁も水晶で作られた透き通る異空間にはソファとハート型クッションが置かれ、ウサギ少女のラミットが寝そべりながらコンパクトミラーをのぞいていました。

 実際の所、鏡妖精の秘めたる力はライライが聞いた解説を遥かに上回っているのです。あらゆる鏡に映った映像を把握しているばかりか、過去の映像さえも呼び出して再生することまで出来るのですから。

 少女が閲覧えつらんしてお楽しみ中なのは、ライライとハービィのコンパクトミラーに記録された恋人たちの密談でした。

 彼らは天ノ瞳教団が発行している正教新聞へ「アルカディオの記事を載せるべきか、否か」ということを話し合っている最中です。



『うーん、ハービィはどうしたい?』

『いや、そうだなぁ……せっかくの申し出だけど断ろうかな』

『どうして? 知名度が高まればそれだけ仮面は力を増すのよ? これから先、強敵たちと戦うのに必要でしょう?』

『んー、でもさぁ、アルカディオの歌はライライに作ってもらう約束じゃん? 俺が戦って君が歌にする。それで二人して有名になろうって……そう約束したよな。俺たち二人の夢を叶えるのに教団から力を借りてしまうのは少し違う気がする』

(一瞬の間があって)

『にゃはははは! 何それ! 私に気を使ってんのか! 可愛い奴だね、君は』

『な、なんだよー。教団は嫌いだと言ってただろ?』

『良いのよ、そんなこと。利用できるものは何でも利用しましょ? それくらい狡猾でないと我々みたいな無名コンビは生き残れないから。君が倒れたら私達の夢はそこでオシマイなんだからね? わかってる?』

『わ、わかってるよ。じゃあ担当記者の取材を受けてみる』

『それがいいね。でも、ありがとう』

『え?』

『広報係はお前一人でいい……そう言ってくれたんだよね? でもね、本来の吟遊詩人は英雄の後をついていくものだから。私のことなんか気にしないでドンドン先を目指して良いんだよ? それとも、この私が置いていかれるような人間に見える?』

『ああ、そうだね、地の果てまでも来るに決まっている。つうか、コッチが置いていかれないよう頑張るわ』

『ふふ、無理をしないでね。また筋肉痛で動けなくなっても知らないよ? それじゃあ、おやすみなさい』

『ああ、そっちもまた徹夜すんなよ。おやすみ』


「くっふ~~!! いいわぁ! これだけでご飯三杯はいける」



 ヤカンみたいに鼻から息を噴き出してラミットは赤面中。

 勝手に人の思い出を覗き見して、言いたい放題なのでした。

 ウサギ少女はソファの上で両足をバタバタさせ悶絶していました。

 上級であろうと下級であろうと、妖精はみな自由奔放で善悪などに捕らわれぬ存在なのです。それ故に、妖精と付き合えば理不尽な目に遭わされることもあれば思いがけぬ助け船をもらえることもあるのでございます。

 ドゥルド族をはじめとして、妖精と交流を持つ士族はその辺りをちゃんとみな心得ているのでした。

 つまりは、コレを天災だと諦め受け入れているのです。


 それにしても、ラミットはとてもご機嫌でした。

 記録でしかない映像のライライに思わず話しかけてしまうほどに。



「王様も言ってたよね、ライライ? この歳だから今更ダンスでもあるまいって! その意味がわかる? なぜならば、つまりね、『踊らせる』側なんですよぉーアタシ達は!! だから踊らない、うふふ! 素敵なシチュエーションでハートを満足させてあげるからねぇ」



 ――――



 そして最後に、ベルサーユ宮殿のヘラクレス間では。

 陛下の挑発を受けたモンド卿が憤りを隠し切れぬ様子でした。



「おのれD国に宣戦布告とは思い上がりおって。幾ら王と言えども限度があるわ」

「マズイですよ、もし誰かに聞かれでもしたら……」

「構わぬ。本気の対話を望むというのなら、こちらもそれなりの人材を用意してやろうではないか。呼べ、頂天騎士のポウを」

「ええ! あの異端始末人を……ですか」

「陛下本人が会いたいと言っているのだ。何の問題があろう? 奴自身、この夜会で何が暴露されるのか興味を持っていた。必ずや近くで様子を探っておろう。武闘派の王と、殺人ソムリエと呼ばれる男の話し合いだ。さぞかし見ものであろうな。宮殿の旗を教団のシンボルに変えるのだ。奴め、きっと食いついてくるぞ」



 もはや配下の者が止めても聞く様子はありません。

 英雄不在の中で決着の時は刻一刻と近づいていました。

 真に戦場というものは正気でない人間が集う所なのです。


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