第2話



「兄貴、こういうあくどい真似はこれっきりにした方がいいんじゃないかな?」



 茶番に付き合わされたハービィは、内心とても腹を立てていました。

 彼は歌に残るような英雄的行為に憧れて、このストレンジャーズに入団したのです。それなのに、まさか火事場泥棒の片棒を担がせられるとは思ってもいなかったのです。


 メンバーを率いる「みんなの兄貴」ことアレクは、ご自慢のカイゼル髭をいじくりながら少しも悪びれずに応じました。



「おやおや、どうしたって言うんだ新入り……ハービィだったか? 村人を避難させた後で、こっそり貯め込んだ食料を頂こうって計画だっただろ? ちゃんと説明したはずだが、まさか……今更になって文句があるとか言わないよな?」

「あるとも!」



 銀髪の少年は両手に抱いた狼のマスクを地面に投げ捨て、胸に燃える正義感そのままに叫ぶのでした。



「俺達はみなストレンジャーズの名声を信じて集まったんだ。俺だけじゃない、後ろで仮面舞踏会をやらされている新入りの全員がそうだ。それなのにどうだい! やらされていることは詐欺師の下っ端なんて。納得できるもんか」

「いいか、坊主。組織というのは、巨大な樹木なんだ。大木は複雑に枝分かれをしているものなんだよ。その中には化け物と戦う枝もあれば、後方支援に努める枝もある。お前らみたいなガキに戦士の枝葉えだはが務まるなんざ、どうして思ったんだ? 俺達はただどこからともなく物資を調達するだけよ。それでなくとも、もうすぐこの世の終わりがやってくるって、世間じゃもっぱらの噂なのによ。この期に及んで綺麗ごとなんか言っても始まらないだろ」

「だからってこんなやり方!」

「誤解するなよ、ハービィ。俺が訊きたいのは何も お前が怒っている理由じゃねえんだ」



 猛禽類のように鋭く冷たいアレクの目。

 それに睨みつけられただけでハービィは震え上がってしまいました。

 アレクは圧をかけるように少年の方へ一歩を踏み出すとこう続けました。



「訊きたいのは、この土壇場になって正義が目覚めた理由だ。お前さん、さっき旅の詩人と話していたようだが、そのせいか? あんな英雄たんに心をほだされちまったのか?」

「ああ、そうだよ! あの子の歌を聞いている内に胸が熱くなって、薄汚れた心が綺麗に洗われちまったんだ。確かにあった初心を思い出したんだ。格好良く生きたい。そう決めて家を飛び出した あの日のことを」

「そいつは情熱的なこった」



 ハービィが熱弁をふるっても、アレクやその部下たちは顔を見合わせてゲラゲラ笑うだけでした。



「困った奴だ。俺達がほんのちょっと食料や備品を頂いた所で『獣人の仕業』と言えばそれで済むんだぜ? 向こうにもはした金で戦わせた負い目がある、追及なんかしてこない。誰も悪党とならずに済む。それって素晴らしいことじゃないか」

「嘘つきや盗人が悪党でない国なんてあるかよー!」



 それは震えながらも勇気を振り絞った、まさに心の叫びでした。

 ハービィの決起けっきに共鳴するかのごとく、背後の偽獣人たちがマスクを脱ぎ始めています。アレク達も生意気な部下を捨て置くわけにはいかなかったのです。



「へっ、じゃあ丁度いいな。戦いがあった証拠として獣人にやられた死体が欲しいと思っていたんだ。オイ、あれを出してやれ」



 アレクがパチリと指を鳴らすと、部下たちはほろ馬車から大きなおりを引きずり出してきました。檻の下には車輪がついており、動かせるようになっているのでした。鉄格子の奥では双眸そうぼうが怪しく光り、ガチャガチャと鎖が音を立てていました。

 檻の壁に一蹴り入れてから、得意げにアレクが語りました。



「どぉーだ? 冥府の番犬、ガルムだぜ。もっともコイツはまだ子どもだけどな。それでもゴブリンやオークなんかの黒妖精程度なら軽ーく首の骨をかみ砕いちまう」

「ま、まさか時折ときおり新人が行方不明になるっていうのは……」

「そりゃ誤解だぜハービィちゃん。生意気な新人も、コイツが一声吠えれば、誰もがビビッて土下座したからな。単なる夜逃げさ、今まではな。それで、お前がエサの一番手になろうっていうのかな?」



 壁を蹴られて興奮したのか、牙の生えたアゴが格子こうしに噛みつき鋼の棒を折り曲げてしまいました。放っておけば次の瞬間にもガルムは檻を壊してしまいそうでした。命のやりとりをしているというのにアレクは余裕しゃくしゃく、懐からタバコを吸うパイプを取り出して口にくわえてみせるのでした。

 小馬鹿にした態度でアレクは再度尋ねてきました。



「どうよ?」



 それでもハービィは屈することなく湧き上がる義憤ぎふんのままに吠えたのです。



おどしでいちいち引っ込む正義なんてどこにあるんだよぉ!」

「そうかい、じゃあサヨナラだな。ハービィちゃん。お前の名前、憶えといてやるよ」



 とうとう檻を壊してガルムが飛び出してきました。

 我々の世界で言えばアフガンハウンドによく似た犬です。長毛なので犬なのに髪が生えたお嬢さんみたいな容姿なのです。その絹のような被毛ひもうは気品すら感じさせますが、鋭い牙は間違いなく本物なのです。


 大きさは子牛ほどもあります。

 ガルムが地面に降り立った途端に、周囲の草が枯れ、足元からひび割れた荒地が広がっていきました。さすがに冥府の生き物だけあって、あたかも周囲の命という命を吸い取っているかのようでした。

 そして走る速さはつむじ風のよう。

 目で追うのがやっとの速度で、たちまちハービィの目前へと迫ったのです。気が付けば、目の前にあるのはワニのように大きく開かれたあごではありませんか。すさまじい硫黄の臭いが鼻をつきます。


 ガチン!


 最初のひと噛みをかわせたのは、突進に驚いたハービィが尻餅をついたからです。

 彼は咄嗟とっさに地面の砂を握りしめ、ガルムの顔に投げつけたのです。



「グルル……!」



 魔犬は視界を封じられ涙目で顔を振っています。


 その隙にハービィは脱兎のごとく逃げ出しました。

 目指すは近くの納屋。逃げ込んで内側からつっかえ棒で施錠せじょうすると、ここまでの無謀な行いを後悔する気持ちがジワジワと頭をもたげてきました。



 ―― なにやってんだろ、俺? 俺みたいなガキが勇者? そんなの、なれるわけねーじゃん。



 ここからどうなろうと、もうストレンジャーズには居られないでしょう。それどころか、この場で命すら落としかねない状況です。それも全てハービィが安い正義感を発揮したばかりにそうなったのです。その結果はどうでしょう? ひとりぼっちではありませんか。


 悲しくなってうつむいた途端、干し草の陰から出てきたある人物がハービィの肩を叩いたのです。



「待ってたよ~。格好良かったじゃん」

「ライライか、何言ってんだよ。見てたのなら分かるだろ? 君の言った通り、俺はただのガキさ。無様に逃げ回ることしか出来やしない」

「いいや、未来の英雄に相応しい強さ、しかと見せてもらったよ。やはり君にすべきだ。是非とも君にこれを受け取ってもらいたい」



 かえりみれば、詩人が掌に何かをのせ少年の方へと差し出していました。

 お盆のように丸く平べったいもの。その縁からは武骨な縄が二本垂れています。

 ハービィは手に取ってそれをひっくり返してみました。



「仮面……か?」

「そうそう、貴方が好きだと言ってくれた『英雄譚アルカディオ・ハーン』の仮面。なりたいんでしょう? 彼のような男に。ねっ?」

「えーと……なんか実際みると威圧的だな」



 それは山羊の頭部をかたどった仮面でした。額からは曲がった角が二本伸び、その眼窩がんかは被り手の目がのぞくよう くり貫かれていました。動物の形だけを真似た木製の品で、すべすべした表面には民族文様が彫り込まれていました。

 特に目立つのは額の「三菱みつびし紋に円をかぶせた」シンボルでしょう。


 ライライは肩をすくめて口角を歪めました。



「仕方ないよ、戦いの仮面は相手を脅すために被るものだから。弱き者が強者になり切る、その為には怖くて強~い仮面が必要なのよ」

「この額のマークは、何だっけ? 歌にも出てきたような……」

「トリケトラの紋。空と海と大地、生命と死と再生を表す印だよ。この世界と人生そのものを表現しているとっても過言じゃない、とっても奥深いマークだね」

「へぇ、この仮面を被れば空と大地みたいに俺もたくましくなれるってのかい?」

「まぁ、おおむねは……そうかな」



 けれどこれ以上ゆっくり説明している暇はなかったのです。

 納屋小屋はガルムが吐き出す炎によって炎上し始めていたのですから。



「ほらほら、諦めてくたばっちまいな」



 表ではアレクが叫んでいます。

 松明のように燃え上がる納屋、怯え切って絶望する偽獣人の子どもたち。

 なおも灼熱の炎を小屋へ吐きかけるガルム。

 この場で全ての善は死に絶えかに見えました。


 しかし、そこへ待ったをかけるがごとく納屋の窓から人影がおどり出てきました。

 ライライはマフラーを払って火の粉を振り払うと、咳払いをしてから竪琴を構え、高らかに宣言したのでした。



「大変長らくお待たせいたしました。化粧直しも済んだようです。それでは皆様、万感の拍手でお迎え下さい。不肖ながら私、ライチ・ライ・バクスターが新たな英雄の誕生を祝してこの場で一曲つまびきましょう。ただ見ているだけの有象無象ども。とくと仕上げを御覧じろってんだ!」



 居合わせた全員が何事かと訝しむ中、勇ましいアップテンポな調べが無音の戦場に流れ出します。まだこれといって何かが起きたわけではありません。それなのに、音楽の力はその場の雰囲気と聞く者の「心の天秤」を少しずつ逆側へと傾けていったのです。

 下がり切った天秤の受け皿に積まれしは、泥炭のごとく弱者の心にこびりついた絶望の重り。今まさにそれを逆側へと傾けるのは果敢にも悪に立ち向かおうとする気概、それこそ人が勇気と呼ぶものなのでしょう。


 遠景の森や、村の草木、そして燃え盛る炎までもが詩人の竪琴に呼応しているかのように揺れていました。力ある音楽は聞く者の心に勇気と期待をもたらしたのでした。


 満を持して砕け散る納屋の扉。

 炎の道に一歩を踏み出すは仮面の英雄。

 口元だけは剥き出しになっているけれど、山羊の被り物で素顔を覆った少年はまるで別人のようでした。



「なんだアイツ、ハービィなのか? クソッやっちまいな、ガルム」



 魔犬が業火の流奔ほんりゅうを吐きかけるも、少年は避けようともせず静かに右手をそちらへ掲げました。驚くべきことに、炎は渦巻きとなり少年の小さな掌へと吸い込まれて消えてしまいました。


 空と大地と海。つまりは森羅万象を支配するのが英雄王アルカディオの力。

 圧縮され、ちっぽけな火の玉となった炎を少年は右手で握りつぶしました。

 潰された火はアメ細工のように伸びて形を変え、瞬く間に英雄の手には弓と矢が握られていました。


 ガルムは牙を剥きだしにして少年へと飛びかかろうとしました。

 しかし、それは叶わぬ願いでした。

 何故なら、地面から生えた無数のツタが魔犬の体を縛り上げて身動きをとれなくしていたからです。


 英雄は炎の弓を引き絞り、ガルムの放った殺意をそのまま相手へと撃ち込んだのです。巻き起こるはすさまじい大爆発。

 アレクの手からタバコのパイプがポトリと落ちました。

 ストレンジャーズの部隊長は敗北を認め、英雄に許しを請うたのでした。


 こうしてリトルマッジの村を狙う火事場泥棒はこらしめられたのです。

 めでたし、めでたし(『新たなアルカディオ』後奏パートが続く)











 吟遊詩人が演奏を終え、竪琴を下げると一瞬の静寂が辺りを包みました。

 やがてパチパチとまばらな拍手が鳴り始め、それも遂には満場の喝采かっさいへと変わりました。


 ライライは慇懃いんぎんに頭を下げ、聴衆の歓声に応じるのでした。


 そこはリトルマッジの村にある酒場。

 ガルムとの死闘から二日が過ぎた夜のことです。


 村人たちも以前の酷評はどこへやら。

 当事者であれば夢物語と笑う気にもなれなかったのでしょう。

 あるいは酒も入って気が大きくなっていたからか、今度は誰もが喧騒けんそうの中を歩む彼女の帽子に惜しみなく金貨を投じたのです。


 渾身こんしんの舞台を終え、ライライは一息いれる為に店のテラスへと出ました。

 するとそこには正に物語の主役であったはずのハービィが待ち構えていました。

 なぜか彼の上半身は包帯でグルグル巻き、その顔もひどく機嫌が悪そうでした。



「どうしたの? 念願の英雄になれたというのに。ああ、そうか。こんな僅かばかりの称賛しょうさんでは満足できないっていうのね? 欲張りさん!」

「ち・が・う・だ・ろ!!」

「じゃあ何さ?」

「何さ、じゃないだろ! この大ウソつき! よくもあんな出鱈目でたらめを、事実とまったく違う内容じゃないか! ガルムは爆発なんかしてない。森へ逃がしたんだろ!」



 ライライは悪戯を見つかった子どもみたいに無邪気な笑みを浮かべ、人差し指を少年の唇へと押し当てたのです。



「シーッ! お客さんに聞こえちゃう! バレたら金を返せって言われるわよ」



 少年が大人しくなるのを見届けてからライチは指をハービィの唇から離し、今度は自分の唇へと押し当てたのでした。それから昆布みたいに体全体をくねらせながらダメ押しにこう言いました。



「二人が黙っていれば判らない。ふふっ、二人だけの秘密」

「……嘘つきめ」

「だから言ったでしょうに。私は嘘の専門家だって。ダサい現実そのままを伝えたところで聴衆が喜ぶと思って? 楽しんでもらえるようにアレンジするのが私の……詩人の仕事なのよ」



 なんとガルム退治の英雄譚は全てがライライの創作だったのです。

 これこそが「嘘つき詩人」と揶揄やゆされる原因なのでした。


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