第1話 婚約事情

憂鬱な時間を告げる鐘が鳴り、わたしはそっとため息をついて本を閉じた。

「姫様、どうかなされましたか?この後は国王陛下への謁見ですのに、ため息だなんて珍しいですわね」

側仕えのエマが自らの頬に手を当てつつ言う。

彼女は代々王族に仕える上流貴族の一族出身で、私の筆頭側仕えだ。

心配そうにわたしを見つめてくる彼女に気付き、苦笑でかえす。

「お父様にお会いするのが嫌な訳ではないのです。ただ、お話の内容に少々気が重くなるだけで」

「あらあら、そんな事を仰って。姫様も、もう十六歳になられたのですから、ご婚約のお話が出るのは当たり前ではございませんか」

「えぇ、それはそうなのだけれ……」

わたしが黙りこむと、エマは椅子に座るわたしに視線を合わせてしゃがみ、眉をさげた。

「姫様の心中お察し致します。けれど、お立場上致し方ないという事は、姫様が一番に理解しておいでのはずです」

乳母であり筆頭側仕えでもある、昔からの付き合いのエマには全てお見通しのようだ。

わたしは冗談混じりに頬を膨らませてから、貴族然とした笑顔を作って頷いた。

「そうですわね」


王へ謁見するための部屋へ向かい取り次ぎをしてもらうと、思いの外すぐに部屋へ招き入れられた。

部屋へ入ると、柔らかな笑みを浮かべたお父様がこちらを見た。

国王としてではない父親らしい表情に、なんだか気が抜けてしまう。

「国王陛下、ただいま参上致しました」

スカートを少し持ち上げて丁寧に礼をすると、お父様はさらに笑みを深めて頷いた。

「うむ、よく来たな」

すすめられるまま、わたしはお父様の向かいに座る。側仕えがお茶と菓子を用意してくれた。

「これから王女と内々の話し合いをする。皆下がれ」

お父様が言うと、控えていたお父様とわたしの側近たちが退室していく。

部屋の中が二人きりになった事を確認して、お父様は口を開いた。

「さて、マリエラ。話をしようか」

わたしは頷いて、改めてお父様と向き合う。

「わたくしの婚約について、ですよね?」

「あぁ、そうだ。其方の一生を左右する決定をしなければならぬ。ただ」

お父様はそこで言葉を区切り、お茶で唇をしめらせた。

「其方は次期国王だ。其方の婚約・結婚は、この国の内外に大きな影響を及ぼす。故に、其方の望まぬ結婚となってしまう事もあろう」

お父様は気遣わしげにこちらを見た。

わたしはできるだけ自然に微笑んで、お父様を安心させてさしあげる。

そんな事は覚悟の上だ。それが王女であるわたしの生き方である。

「存じていますよ、お父様。それでも、この国にとっては大切な事ですもの。文句を言うつもりはありませんわ」

「そうか」

お父様はゆっくりと目を伏せた。

わたしの婚約の話は、次期国王という立場上、昔からよく話題にのぼるものだった。

けれどこうして折り入って話をしているのは、わたしもあと一年で、貴族女性の婚約規定年齢である十七歳になるからだ。

だが、何も自由に婿選びできる訳ではない。

王家に婿入りするのだから、それ相応の身分と強い魔力を持つ者でなければならない。

王家入りを果たすには、何かと多くの基準に達していなければならないのだ。

「お父様。わたくしが婚約するとなると、候補者だけでも、とても絞られると思うのですけれど。王家に婿入りできる程の身分と魔力を持つ殿方なんて、何人もいらっしゃらないでしょう?それに……」

わたしの言葉に、何を言わんとしているか悟ったのだろうお父様が、眉間に皺をよせた。

「そうだな。今最も有力なのは、ゼウンだ。王弟派の貴族達からの支持で、婚約はほぼ確実と言われている。その上ここ最近、マリエラとの婚約が決定したと、言い触らしているそうではないか」

わたしは思わず顔をしかめて、頷いた。

ゼウンは、お父様の弟である王弟イルハルドの嫡男で、わたしの従兄妹にあたる人物だ。

そして、権力をかさにわたしとの婚約が決定事項であるかのように振る舞い、混乱を招いている人物でもある。

彼の事は昔から苦手だったが、この事でさらに嫌悪感が増した。

彼と婚約なんて本当はごめんだが、国のためだと言われれば、わたしは何も言い返す事ができない。

「仕方のない事ですわ、お父様。王命とあらば、ゼウンと婚約致します」

ため息混じりに言うわたしに、お父様は少し考える仕草を見せて言った。

「うむ、一番反発なく決まる婚約はゼウンであろうな。だが、私とてあれを良しとしている訳ではないのだぞ?今のところはゼウンを婚約内定の扱いとしているが、どうしたものかと考えあぐねているのだ」

お父様の言葉に、わたしは僅かに逡巡する。国王であるお父様も、この婚約に反対なのだ。

自分の意思を伝えるため、わたしはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「わたくしに、一年の猶予を下さいませんか?」

「一年の、猶予?」

訝るように聞き返し、お父様は苦笑した。

「ゼウンは王の夫としての器は持っておらぬ。それは私も其方も痛いほどわかっている。ただ、あれの後ろ楯の派閥は大きく、どう動いてくるかわからぬ。ゼウンは、其方の婚約者のように振る舞っているのだし、婚約を破綻にするのは、やはり難しいであろう?」

「えぇ、そうですわね」

わたしは頷いた。

ゼウンとその母親は、他でもない王弟イルハルドの家族。身分も高ければ、後ろ楯も完璧なのだ。

故に他の婚約者候補たちは、名乗りをあげる事ができないでいる。

けれど、可能性があるならば諦めたくはない。女性貴族は十七歳までに婚約していなければならないため、わたしには一年しか時間がないのだ。

「それならば、一年かけて他の者を探せばいいのです。傍系王族や派閥問題のないその他の貴族でもよいと考えています。数は少ないですが、他の婚約候補者が居ない訳ではないのです。ゼウンの後ろ楯がいくら大きいとは言っても、限度があります。わたくしたちに有利な方向に事を進められれば、可能性はあるのです」

「うむ。それならば、可能性がない事もないか……。ゼウンとあれの母は少々国内で幅をきかせすぎている。王弟の妻子であるからと、ちと増長しすぎだ」

お父様の言葉に、わたしは何度も頷いて同じ気持ちだと主張する。あの親子には正直うんざりしているのだ。

わたしたちと同じ気持ちの貴族が、国内には沢山居る事だろう。その者たちを味方とする事が出来ればいい。

「マリエラ、其方に一年の猶予を与えよう。ただ、この一年間で状況が変わらないようならば、ゼウンとの婚約を受け入れるように」

「わかりましたわ、お父様。一年の猶予を与えて下さった事、心より感謝致します」

わたしは跪き、礼をした。

わたしを見下ろすお父様の濃紺の瞳が、僅かに揺れているように見えた。

「マリエラ、困った事があればすぐに頼ってきなさい。わたしだけではない。ユーデリアも、婚約の事に関してひどく心配していた」

「お母様が?」

お父様の言葉に、わたしは思わず笑みをこぼした。

わたしの両親は、王国中で知らない者は居ないおしどり夫婦だ。そしてわたしにとっては、心配性で過保護な、大切な両親である。

「またお母様ともお話してみますわ」

「うむ。そうしてやってくれ」

満足そうに頷くお父様に、わたしは笑顔で返した。

「よし、小難しい話は終わりだ。菓子でもどうだ?其方の好きなものを用意させたのだ」

お父様は切り替えるように言うと、破顔してわたしにお菓子をすすめる。

その後、わたしたちは久々のお茶会を楽しんだ。


次の日。

わたしは最も信頼を置く二人の側近を呼び寄せ、先日のお父様との話し合いの内容を話した。

筆頭側仕えであるエマと、男性文官のリュークだ。

「エマ、リューク。そういう訳でわたくしは、一年以内に婚約者となる殿方を選ばなければならないのです。手伝って頂けますか?」

わたしの話をじっと聞いていた二人は、神妙な顔で頷く。

「まずどのように致しましょうか?」

エマの問いに、わたしはそれぞれに頼みたい仕事を割り振った。

「まずはエマ、お母様とのお話し合いの場を設けてちょうだい。お母様にもお話しなければなりませんし、協力して頂きたいもの。それと、婚約者候補として名のあがった方々を、今度の春を招く会で見ておきたいと思っています。良いと思った方と繋がりを持つにも、お母様の協力は必須でしょう?」

まず季節毎に設けられる社交場において、婚約者候補たちと接触をはかろうというのがわたしの考えだ。

勿論事前に情報は集めるが、言葉を交わさねばわからない事もある。その為、実際に会って判断したいのだ。

エマはわたしの言葉をメモすると、柔らかく微笑んだ。

「では、王妃様に面会のご予約を入れておきますね。姫様のお望みになる婚約ができますよう、できるだけのお手伝いをさせて頂きます」

「えぇ、頼みましたよエマ」

わたしは頷き、リュークに向き直る。

「リューク。貴方には国内の殿方を改めて調べ、王家に婿入りするに相応しい身分と強い魔力を持つ殿方を選別してほしいの。改めて調べずとも目星はつきますが、できるだけ選択肢を増やしたいのです。出来れば春を招く会までにお願いね。それが終われば、ゼウンを含めた全ての婚約者候補たちについて、より詳しく調べて下さい。期間は問わないので、細かく調べて下さいね」

わたくしの言葉に、リュークは瞳を輝かせた。

「お任せ下さい、姫様。姫様に相応しい相手を、必ずやこのリュークが探し出して見せましょう」

楽しげにニヤリと笑う彼に、わたしはエマと目を合わせてクスクスと笑った。

リュークは情報収集に長けた文官で、こういった仕事を嬉々としてこなす。

どこからどうやって情報を仕入れるのか、他国の重要な情報から平民間のいざこざまで、何でも知っている変わり者だ。

二人の協力を得たわたしは、後日お母様とも話し合い、間近に迫る春の社交界での動きについて計画を立てていった。

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