第10話 契約違反にならない方法

ポカンとするわたしを無視して、ユウナさんはスパゲッティを口いっぱいに頬張って見せた。当然ながら反論する。


「で、でもそれだと、彼に会いたい気持ちを抑えなければならなくて、それこそ伊達プロデューサーの言うように、アイドル活動に集中できなくなってしまう恐れが――」

「じゃあ、彼と会えば良い。告白しても良いし、うまくいったらデートしたりすれば良い。会いたい気持ちを抑える必要なんてないんだ」


「彼と会ったり、例えば、その、お付き合いなんて、できるようになったりしたら、それこそ契約違反になってしまうじゃないですか。そうなったら多額の違約金を払うことになるし、プロデューサーや、一緒に合格した仲間にも迷惑をかけてしまいます」


 これまでの話の流れの復習のような会話だった。契約違反になってしまうから、瑞季くんとは会えないし、会いたいのであればアイドルのチャンスを辞退するしかないけど、それももったいない話で。


 まさに堂々巡りの見本のような会話。今回もそうなるだろうと思ったら、ユウナさんは全く別のルートを開拓してきた。


「いや、契約違反にはならない」


「えっ? なんですか?」

 意表を突きすぎて意味がつかめなかった。「だから」とユウナさんが言う。

「彼と付き合っても、契約違反にはならないの」

「なぜ、そうなるんですか?」

「正確には、今日や明日、彼と付き合ったとしても、契約違反にはならない。ていうか、契約違反という概念に当てはまらない。なぜなら、カスミはまだアイドルになるという契約を結んでいないからさ」


 そこまで聞いて、ようやくユウナさんが言いたいことが理解できた。


「契約書に押印して事務局に提出して初めて契約したことになるから、今はまだ契約していない状態ということですか。だから――」

「そう。契約するまで一ヶ月ある。それまでの間、彼と仲良くなり、デートし、恋人同士になればいい。伊達Pも言っていたじゃない。この一ヶ月の間に、思い残すことがないようにしなさいって。

 ただ一つ言えるのは、契約する前には必ず別れなきゃいけないけど、それはしょうがない。もう別れてもいい、お腹いっぱいって思えるほど、彼との思い出を存分に作ればいいのさ」


 確かに契約する前なら、何をしても契約違反になることはないだろう。契約してないんだから当たり前の話だけど、でもそうは言っても別の問題が起こらないだろうか。


「契約時点では誰とも恋愛してないから違反にはならないということは分かりました。でもアイドルになる前に付き合っている人がいたら、その後でスキャンダルに発展してしまうかもしれないじゃないですか。そうしたら、やっぱり契約違反ということになりませんか?」

「あたしがそれを想定していないとでも思うの?」

 ユウナさんは、わたしの質問するような内容なんてとっくに考えているらしく、すぐに答えが返ってきた。


「スキャンダルを避ける方法はある」

「避けるって、どうするんですか?」

「彼とは、相手がカスミだとバレないよう、別人になりすましてお付き合いするのさ。そうすればスキャンダルになることはないよね。だってカスミと付き合っているという証拠がなければ、スキャンダルになりようがないんだもの。

 だいたいアイドルによくある元彼とのスキャンダルなんて、プリクラ画像とかスマホの写真とかで発覚するんだから、最初からそんなの撮らなきゃいい。SNSだって別アカウントでやって、最後にアカウントを解約すれば、もうカスミとの連絡手段はなくなる。顔が似た人が芸能界に出てきたと思われても、名前が違えば、そして証拠がなければ、カスミ本人だと立証するすべはない。違う?」


 自信に満ちたユウナさんの言葉に何も反論はできなかった。ただ黙ってユウナさんの話を聞くしかなかった。


「そうは言っても、噂になることは避けなければならないけどね。誰に見られているか分からないから、デートだって人目を避けないと。待ち合わせ場所は目立たないところで、会ったらすぐに移動するとか。映画館や水族館なんて暗いから目立たなくていいんじゃない?

 ああ、そうだ。食事にはこの店を使えば良いよ。個室多いから人目につかないし、なんなら知り合いにいって、高校生二人でも予約できるようにしてあげるよ」


 自分の考えにすっかり載ってきたのか、別人に扮したわたしと彼が付き合うことを前提に、楽しげに今後の展開をしゃべるユウナさんを見ていると、なんだかわたしも楽しい気分になってくるのが不思議だった。


 問題は、わたしが雨宮純佳として彼に会うのではなく、別人になりすまして会うということに自分自身が納得できるかということだと思う。

 本音を言えば、もちろん雨宮純佳として会いたい。でも、それでアイドルになる夢も捨てなければならないとしたら、わたしは何を選ぶだろう。


 考えて考えて、考えた末にわたしの口から出た言葉は、

「うまくいくと思いますか?」だった。


 まず、瑞季くんに話しかけることが大きな壁だと思う。さらに告白して、付き合いだして、デートを重ねるなんて、わたしの想像の域を超えている。

 すぐに振られるのが関の山と思ってしまうわたしに、ユウナさんは力強く言った。

「あたしの言うとおりにすれば絶対うまくいくよ。大丈夫。あたしにかかれば、男子高生なんてすぐよ、すぐ」

「いや、あの、告白するのはユウナさんではなくてわたしなんですが……」

「だから、カスミが彼とうまくいくように、あたしが全力でサポートするから、どんと任せてくれればいいのよ」

 胸に手を置くユウナさんは、まるでわたしを導く恋愛の女神のように見えた。


「どお? あたしの作戦、載ってみる?」


 このときのことを思い出すと、ずいぶん過激なことに手を出そうとしたものだと、自分でも正直びっくりする。


 瑞季くんがこちらの想定外の行動に出たらどうなってしまうのか、もしこのことが事務局に知られたらどうなってしまうのか。否定する材料はいくらでも思いつく。


 ただ、ユウナさんに相談している間は、もうこれしか方法はないなんて考えていたのだから、わたしも相当追い詰められていたのだろう。


 事前に心配していたことといえば、別人に扮したわたしがうまく瑞季くんと話せるだろうか、とか、付き合うことができるだろうか、といった他愛のないことばかりだった。

 契約日の前にきちんと別れられるかという結構大事なことを真剣に考えていなかったのも、浅はかであったと言わざるを得ない。


 でもそれで良かったのかもしれない。考え出したら切りがないし、勢いで行動することでしかつかめないものもある。


 だから、わたしはこう答えたのだった。


「分かりましたやってみます。ユウナさん。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

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