第5話 偶然か必然か

「彼に会って、思い出したことがあるんです。わたし、その……」

 つばを飲み込む。勇気を出して思い切って言ってみる。


「あ、アイドルになることが、夢だったんです」


 声が震えてしまった。でも、勢いのまま言葉を続ける。


「歌うのが好きだし、あのきらびやかな世界で自分を表現したい。歌を聴いてくれた人に喜んでもらいたい。幼稚園のときからずっと思ってました。今でもなりたいって思ってます」


 自分の夢を他人に伝えることに、これだけたくさんの勇気がいるとは思わなかった。この一言を伝えるだけで、全身から汗が噴き出してきた。

 ユウナさんは頬杖をついたまま頷いた。大丈夫、続けていいよ。そう言っているように感じた。


「路上ライブをしていた幼なじみの彼の夢は、ミュージシャンになりたいというものでした。幼稚園のときに本人が言っていたので間違いないです。

 昨日、十年ぶりに会った彼は、ギターの腕とかプロみたいで、ああ、ずっと夢を追って努力していたんだなって、単純にすごいなって思ったんです」


 既存のヒット曲をカバーするだけではなくオリジナル曲も歌っていて、その『有限の未来』という歌がわたしの心に突き刺さった。


「『有限の未来』だって?」

 ユウナさんの手が頬杖から外れた。自分の声の大きさに驚いたのか、すぐに照れた表情になった。

 「あ、いや、ずいぶんと大げさなタイトルだなと思って。いったいどんな歌なの?」


「その歌は未来に対する考察なんです。可能性は無限大かもしれないけど、死ぬまでの時間は限られている。未来は無限ではなく有限で、だから今を精一杯生きろ、うろ覚えですけどそのような歌詞でした。たぶん彼の考え方が直接歌詞に反映されていると思うんです」


 瑞季くんに会う直前のわたしは、現実の世界が苦しくて、早くオンラインゲームの世界に逃げ帰りたいと思っていた。

 自分はまだ現実の世界に出ることは厳しいし、高校生のわたしにはまだ時間がたくさんあるのだから、少しぐらい現実から逃げても許されるだろう。そう考えていた矢先にこの歌を聴いたものだから、頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。


「彼は夢に向かって一日一日を頑張っているというのに、自分はいったい何をしているんだろうって考えちゃったんです。

 現実から逃げて、時間はいくらでもあると勘違いして、日々を無駄に過ごして、それでいいのかって思ってしまって。

 わたしにもアイドルになりたいという夢があったんです。幼稚園のとき、彼と日本一のアイドルになるって約束したんです。わたしはその夢を叶える努力をすべきだったって気づいたんです」


 いじめという辛い現実から逃げることがだめだということでは決してない。その逃げた先で、時間を無駄にしていることが問題なのだ。その時間は、自分がなりたいものに近づくために使うべきだったのである。


「これまでアイドルになるための努力を何もしてきていないわたしは、彼に会う資格がないんです」

「だから今はまだ会えないって思ってるの?」

 わたしは首を縦に振った。ユウナさんが呆れたように笑い出した。


「真面目だねー。真面目すぎだよ。幼稚園のころの約束なんて、彼の方は覚えてないかもしれないのにさ。そんなこと気にしないで会っちゃえばいいのに。向こうはなんとも思っていないって」

 そこまでしゃべったあと、ユウナさんは一つ息をついた。

「なんてね。それはカスミが嫌なんだよね」


 そうなのだ。これはあくまでわたしの気持ちの問題であって、瑞季くんの気持ちは関係ないのである。


 瑞季くんは、わたしとの約束なんて覚えていないかもしれない。もっと言えば、わたしのことも覚えていないかもしれない。そうだったらとても悲しいことだけれど、十年も前の幼稚園のころの話なのだから、その可能性は十分にある。


 でも、いや、だからこそ、わたしは彼との約束を大事にしたい。瑞季くんは幼稚園のころの夢を今も追いかけ、路上で弾き語りライブをしている。ならばわたしも、彼との約束を果たしたい。今から間に合うのかどうか分からないけれど、アイドルになる夢を追いかけよう。それがわたしと彼を繋げる唯一の手段なのだから。


「カスミが本気なのはよく分かったけどさ」ユウナさんが、空いたわたしのグラスにジュースを注ぎ込む。「具体的に何をしようかとか、もう決まってるわけ?」

「ついさっき考えたことなので、その、具体的には何も。これから受けられるオーディションとか調べる感じかなぐらいで」


「ちょっと待ってて」

 そう言うと、ユウナさんは自分のバッグからタブレットを取り出し、とあるホームページを表示させた。

「偶然か、必然か」

 タブレットを手渡してきたので、受け取って表示されたページを見た。

「あたしはこういうの、偶然ではないと思うたちなの」


 そこには、新時代ネクストアイドルグループオーディション開催という大きな文字が踊っていた。

 よく読むと、プロデューサーは伊達だて恭介きょうすけという、わたしもよく知る大物だった。それこそ子供のころにわたしが好きだったアイドルグループ『ショコラ』をプロデュースしたのもこの伊達さんだったはずだ。応募締め切りは来月の十一月末となっていた。


 胸が高鳴った。ユウナさんではないが、この募集がこのタイミングでわたしの前に現れたのは必然で、これはわたしのためのオーディションなのではないかとさえ思った。


「カスミはすごく可愛いし、磨けば光る原石なんじゃないかって、初めて会ったときから本気でそう思っていたんだよね。だからネットでこの記事を見かけたとき、カスミが受けたらいいのになって気になっていたところだったんだ。だからカスミがその気なら、あたしは全力で応援するよ。初恋の彼との約束、果たすんでしょ」


「は、はい!」

 わたしは生まれて初めてぐらいの大きな声で返事をした。


 それとさ、とユウナさんが続ける。

「あたし、カスミをいじめてたやつらにホントむかついてるんだよね。仕返しってわけじゃないけどさ、アイドルで有名になって、やつらを見返してやろうよ。ね!」

 ウインクして見せたユウナさんに、つい勢いよく抱きついてしまった。


「ちょっと、こら。あたしの胸に顔を埋めるな」

「絶対……」

「え、なんだって?」

「絶対、アイドルになる」


 わたしの頭の上から笑い声がした。


「当ったり前じゃん」

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