05

 ろうそくの灯りのついた狭い部屋の角に寄りかかって、吸血鬼は額に狼の手を当てられたまま焦点の合わない目で狼男の顔を見ていた。慌ただしい足音が近づいてくる。

「どっ、どうしたの、凄い声聞こえたけど」

 開け放された扉に手をつき、魔女は室内の二人を見た。

 狼男は吸血鬼から手を離して鋭い爪をむいた指先から魔力を引く。

「少しパニックを起こしていたようなので、荒療治をさせていただきました」

 軽いけいれんを起こしている吸血鬼へ視線を落とす。

「荒療治って……それあんまりやらない方が、後遺症とか」

「これはただの人間ではありませんから。死に至ることは無いかと」

 青ざめた吸血鬼の頬を叩いて、ほら、と呼びかける。見開いていた目が閉じて、開けられた両目は目の前の狼男の顔を見た。

「あ、あれ……狼先輩?」

 首を傾げた吸血鬼の様子に魔女はほっと胸をなでおろす。吸血鬼は便器を見た。

「えっ、何で先輩が女子トイレに……ま、まさか」

 そこへ不機嫌な表情の鬼が寝ぐせを直しながら歩いてくる。

「やっぱりテメェか……耳障りな金切り声出しやがって」

「鬼先輩ヘルプ! 狼先輩が発情期になった!」

 は、と声を漏らして鬼は狼男を見た。眉をひそめる。

「お前……とうとう男にまで手を出したのか」

「とうとうって何ですか。捕食しますよ?」

 トイレの前で睨み合いだす狼男と鬼。魔女がなだめているのを眺めながら、そうだった、と吸血鬼は呟いて体を震わせた。

「う……そうだ、トイレしにきたんだった」

 扉を閉めつつ首を傾げて、便器の方を向く。








「っと。到ちゃーく!」

 大きな扉の前に着地した吸血鬼は、周囲の魔力をかき消して扉を叩いた。

 やっと聞き取れるほどの足音が近づいてくるのを聞きながら、前庭に植えられた白や黄色の花を眺める。黒い羽の蝶が花に止まった。

 扉が開いてケシィが顔を覗かせる。

「羽はしまってるわね……入って」

 促されて、吸血鬼は屋敷の中に踏み入ろうとしてふと後ろを振り向く。

「ね、この辺りにパタって子の家はある?」

 立ち止ってケシィは向かいの家々を眺めている吸血鬼を見た。

「……無いわよ。少なくとも私は知らないわ」

 扉を閉めようとしたケシィに、吸血鬼は慌てて中へ入った。

 蓋から手紙の溢れたポストが視界に入る。



「おじゃましまーす……」

 屋敷の中を見回しながら歩いていた吸血鬼は、突き当りの壁にぶつかった。

「ちゃんと前を見て歩きなさい」

 ぶつかった壁の心配をしている吸血鬼を横目に見つつ、左側の扉を開けてケシィは中へ入った。窓から差し込む光が廊下に漏れる。

 本棚に囲まれた部屋の椅子で本を読んでいたテラが顔を上げて笑顔になった。

「キィさん、お久しぶりです。お加減どうですか?」

「バッチリだよ。やっぱ食事って大事だね」

 と言ったところで腹が鳴る。手を首元へやって吸血鬼は照れた。

「そう言うならもっと早く来なさい。一体何日断食してるのよ」

 結んだ髪を肩の向こうによけて、ケシィは椅子の上の本をどかしてそこに座った。

「じゃ、じゃあ飲むね」

 躊躇しながらも吸血鬼はケシィの肩に手を置いて首に牙を立てる。途端に目の色が変わり、強い魔力を含んだ赤い血を喉を鳴らして飲みだした。

 ケシィが手で頭を支えだしたころ、吸血鬼は口を離して息を吸った。

「ふう……生き返ったあ」

 口についた血を手の甲で拭い、俯いたまま動かないケシィを見た。

「ご、ごめんね、大丈夫?」

「心配は無用よ。この程度で倒れたりはしないわ」

 首の傷に回復魔法をかけてケシィは椅子からよろめいて立ち上がる。床に置いた本を棚へしまおうとして椅子に上がったケシィを、テラが慌てて止めた。

「危ないですよ。まだ座っててください」

 椅子に戻されたケシィを吸血鬼は不安げに見る。顔を僅かに上げて、ケシィは呆れた風にため息をついた。

「吸血鬼が吸血に罪悪感感じてどうするのよ……」

 それでもなお吸血鬼は心配そうにケシィを見ている。

「……次はもっと早く来なさい。コントロールの訓練するわよ」

 ケシィの提案に吸血鬼の表情がやや明るくなるも、ケシィが浮かべた不敵な笑みに不安感を抱いて後ずさり、足元の本に躓きかける。


 床に落ちていた原稿用紙の束を拾い上げて、手でほこりを払った。

「あれ、この話……」

 原稿用紙をぱらぱらとめくり、椅子に座っているケシィの方を振り向く。

「ケシィちゃん、ちょっとこれ読んでもいい?」

「え……ああそれ、棚から落ちたのかしら。いいわよ」

 吸血鬼は原稿用紙を持って壁際の小さな椅子に座った。ケシィは横の棚から魔導書を取り、それを眺め始める。

 本を読む三人の少女の後ろで、窓の外は雲が流れて次第に暗くなっていく。




 天井付近に浮かぶ火の玉が部屋の中を照らしている。

 雷の音に三人は顔を上げて窓の外を見た。

「あっ」

 テラが声を漏らした。黒い雨雲が空を覆い、激しい雨が降り、遠くの空で稲妻が走り雷鳴が轟いていた。窓枠から雨がじゅうたんの敷かれた床に滴っている。

「酷い嵐ね……今日中に止むかしら」

 窓際によってケシィは水魔法を唱えた。細い水の球が窓枠の隙間を埋める。

「テラ、今日は泊って行った方が……」

 ケシィが振り向くとテラは椅子の上で頭を抱えて震えていた。

 落としかけた原稿用紙を椅子の上に置いて、吸血鬼がテラの背中をさする。

「え、て、テラちゃんどしたの!? 今すぐ病院に」

 テラは首を横に振った。青白い顔を俯けて、荒い息を落ち着けている。

「強がっちゃダメだよ。大丈夫、転移魔法で……」

 だがテラの様子が落ち着いてきたのに気が付いて、吸血鬼は手を止めた。テラを見ていたケシィは窓の外へ視線をやった。

「もうそんな時間だったのね……」

「ケシィちゃん、それって」

 瞬時にテラが廊下の外まで飛びのいた。驚いて吸血鬼はテラの方を向く。


 壁に張りつき、テラは警戒心をむき出しにして吸血鬼を睨みつけていた。

「な、何安々と魔物軍の魔物なんか連れ込んでやがんだ」

 顎を引き、立ち尽くしている吸血鬼に敵意を向ける。

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