29.「自分でも知ってるっつーの」


 二日目ともなると、普段料理なんててんでしない私……、城井奈緒とはいえど、クレープ作りも板についてくる。「ありがとうございます」と慣れない愛想笑いに顔面が筋肉疲労を訴え始め、ふぅっと一息吐いた私の耳に、黄色い声が流れた。


「城井さん、そろそろ休憩いきなよ。午前中からずっとやってくれているでしょ?」


 ふと目を向けると、クラスメートの女生徒がニコリ、柔らかい笑みを浮かべていて。


「ありがと、そうする。……ハハッ、私、事前の準備、何も手伝えなかったから、当日くらい仕事しなきゃって」

「――そんな、気遣わなくていいって、高校最後の学園祭なんだから、お仕事だけじゃなくて、めいっぱい楽しまなくちゃ」


 彼女の表情はなおを柔らかい。その笑顔に、その台詞に、一切の悪意なんてないコトは、私にだってわかっている。

 ……楽しまなくちゃ……、ね――

 限界に達している表情筋にハッパをかけ、私も彼女に負けず劣らずの笑顔を見せた。「ありがと」と、一言漏らして、エプロンを外しながらクルリと背を向けて。すぐに、真顔に直って。



 私のクラスがクレープ屋をやる事実を知ったのは三日前、学園祭の前日だった。……いや、ずっと前から決まっていたんだろうけど、興味のない私がおよそ聞き流していたダケで。学園祭期間中、特段やるコトもない私は、基本的に教室内で仕事の手伝いに勢を出していた。普段一緒につるんでいる「イケ女四天王」の面々は各々の彼氏と約束を取り付けている模様で、休憩と言われたところで校内を一緒に回る友達も恋人もいない私は完全に暇を持て余しており、普段からあまり人が訪れるコトのない図書準備室、紙パックジュースを噛み潰しながら、ボーッと外の景色を眺めやっていた。


 遠くから聴こえる喧騒が、耳の裏を遠慮がちに撫でやり、


「ナ~ヲっ」


 聞き覚えのある無邪気な声と共に、絶対零度の暴力が私の首筋に伝う。


「――ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 これでもかというくらいに身体を縮こまらせ、うら若き花の高校生とは思えない絶叫をあげたのは、言わずもがな私で――、「何者かに冷たい何かを首にあてられた」という犯行現場を抑えるべく、ガバッと後ろを振り向くと、小悪魔の如くケラケラ笑っているのは悪友、ヒカル。片手には、未開封のアイスキャンディーが握られていた。


「――アハハッ! ナイスリアクション! ……ナヲ、普段はクールぶってるけど、実は結構ビビリだよね~!」


 未だドキドキと動悸が収まらない私は、しかし瞬間風速で駆け巡った怒りに抗おうともせずにギロリ、野犬のような目つきをヒカルに向けた。


「……何、アンタ。『今日は、彼氏と一緒に七組の喫茶店行くんだー』、とか言ってなかった?」

「あ、大喧嘩して、昨日別れたんだ。キャハッ」

「……あっそう」


 瞬間風速で駆け巡った怒りが、全身の毛穴から抜け落ちていくのが自分でもわかった。



「――いや~、アタシらも、もう卒業だね~。半年後には大学生やってるとか、信じられませんわ」

「無事、受験合格したら、だけどね」

「……ナヲ、それ禁止ワード」


 窓枠にもたれかかっている二人、私たちの視線は交わらないまま、行き処のない言葉が空気中をフワフワと漂う。アイスキャンディーをものの三分で平らげたヒカルが、任を果たしたひらったい木の棒をゴミ箱へポイッと投げ入れた。


「ナヲはさ、これからどうするの? 将来のコトとか、考えてる?」

「……急に、どしたの。何も考えてないよ。……大学行って、適当になんかのサークルでも入って、できるだけブラックじゃない会社入って、婚活アプリで見つけた男と結婚して――、とか、そんな感じじゃないの、私の人生なんて」

「婚活アプリって……、シン君はどうするのよ」

「どうって……、どうも、しないよ。アイツとは、別に、そういう――」

「――ドラムは?」


 ――違和感。

 普段はヘラヘラとだらしない笑みを崩すコトのないヒカル。

 他人の恋愛沙汰と、芸能人のスキャンダルにしか興味を示さないヒカル。

 ……だけど、その声は――


「バンドは、もうやらないの?」


 ふいに、彼女の顔を見る。ヒカルは、私のコトをジッ――、と。

 いつにないくらい真剣な表情で、一切の濁り気がない眼差しを私に向けていた。


「……やらないと、思う」


 逃げるように、私は視線を逸らす。意味もなく外の景色に目を向ける。

 

「……フーン」


 一呼吸遅れて、返ってきた彼女の声はひどくつまらなそうで。


「ねぇ。アンタ、ホントに、城井奈緒なの?」


 私は、その言葉の意味を、シンプルに理解することができなかった。


「……は?」


 私は思わず、再びヒカルの顔に目を向ける。彼女は気だるい表情で外の景色を眺めていた。でも、その瞳は何か見ているようには思えない。虚空を見据えた彼女が、どこへ向けるでもない声をこぼして。


「私が知ってる城井奈緒は、もっとかっこいい女の子、だったんだけどな」


 照れ笑いを浮かべたヒカルが、窓枠から手を離す。

 がらんとした室内に上靴の擦れる音が響き、彼女は少し背の高い木机にぴょんと飛び乗り、腰を掛けた。呆けた顔を晒している私は、彼女のコトを目で追うくらいしかできなくって――


 ヒカルが私の顔を見つめる。

 いつにないくらい真剣な表情で、

 ――一切の体温が失われてしまったような、冷たい顔で。


「アタシね、中学のころ、アンタの存在がコンプレックスだったの。アンタにずっと憧れてて、アンタにずっと嫉妬してた」


 遠くから聴こえる喧騒が、右耳に入っては左耳から抜けていく。

 私の目に映る景色。だらしない姿勢で、後ろ手に体重を預けているヒカル。

 彼女が放った抑揚のないトーンの声が、やけにくっきりと、頭の中で反響した。


「周りの女子がさ、やれファッションだ、やれお化粧だって、妙に色づき始めてる中でさ、アンタ一人だけ、ずっとメタルの話してたじゃない。ドラムに夢中になっていたじゃない。……みんなに合わせなきゃ、とか、話題についていかなきゃ、とか、そういうの、一切気にせずにさ」

「……それの、どこがカッコイイのよ。そんな奴のどこに憧れるのよ」

「――アタシは、怖くて仕方がなかったから、みんなの輪から外されるのが、みんなにバカにされるのが……。でもそれって、私自身に、何もなかったから、なんだよね。胸を張れるものが何もないから、周りにすがるしかなかったんだよね」


 ふいに、彼女が目を伏せる。

 無理やり口角を吊り上げて、自身のコトを、嘲るように頬をひきつらせて。


「でもね、ナヲは違った。……ライブさ、誘ってくれたじゃない。アタシ、ナヲがドラム演奏しているところを初めて目にして、アンタ、すっごいキラキラした顔で、怖いものなんて何もないって、そういう顔してた。無我夢中にドラム叩いているナヲがさ、同年代の、どんなにイケてる女の子たちよりも、私の目にはカッコ良く映った。私はコレが好きで好きでしょうがないんだ、文句あるかー、って感じ。そんなナヲが、なんか、羨ましくて……、同時に、何にもない自分が、すっごい惨めに思えてきた。……アタシがメイク覚えたのも、制服着崩して、髪にパーマかけているのも……、全部、弱い自分がバレたくないから、やってるんだよね。年上の彼氏作るのも、周りに自慢できるから、なんだか、自分が特別な人間になれた気がするからって、ただそれだけ。……アハッ、知ってるよ。こんな考え方、超絶ダサいって。……でもね」


 ストンッ――、と。

 少し背の高い木机から降り立ったヒカルが、徐に私に近づいてくる。

 私は、身体を動かすことができない。彼女から、視線を逸らすことができない。


 鼻先三十センチメートルの距離。

 ヒカルの両目が、私の顔をまっすぐに捉えた。

 彼女の口から吐き出された、声。


「今のアンタは、そんなアタシの百倍ダサい。恋愛も、バンドも、自分の好きに目を背けているアンタは、私の知っている城井奈緒じゃない。……断言できる。アンタ、このまま何もしないと、一生後悔するよ」


 妙に甲高く、機械で加工されたような――

 お愛想で塗りたくられたいつものヒカルの声とは、まるで違う。

 どこか擦れたようなその音は、可愛げのカケラもないその音は、

 中学の頃によく聴いていた、彼女の、素の声だった。


「……どうしろ、っつーのよ」


 絞り出すのが、せいいっぱいだ。

 喉管を掌で握られてしまったみたいに、私はうまく、声を出すことができない。


「私だって、学園祭でライブ、やりたかったよ……、シンに、私のコトどう思ってるのか、聞きたいわよ……」


 地面に目を伏せている私の言葉が、埃だらけの地面に落ちていく。

 本音が、情けなく溢れ出て、ドロドロのまま、ボトリ、ボトリと。


「……でも、諦めるしかないじゃない。一度決まってしまった事実を覆すコトなんて、私一人ではできないし、バンドがなくなってしまった以上、私とシンを繋げるものは何もない。……私は、ヒカルが思っているような、カッコイイ女の子じゃない。自分自身の気持ちに、向き合うことすらできない、情けない女子高生なんだよ。……ただ、ドラムが好きって、メタルが好きって、それだけの――」

「好きなら、足掻いてみなさいよ」


 声が遮断され、声に上塗りされる。

 思わず顔を上げた私が正面を捉えると、ヒカルは笑っていた。

 いつもの、お愛想で塗りたくられた、ウソみたいな笑顔じゃなくて、

 化粧っ気のない、およそ男受けしなさそうな、勝気な表情で。


「アンタも、シンくんも、ライタくんも、ゴソーさんだって……、このままじゃイヤだって、そう思ってるに決まってるじゃない。アンタたち、そのコトちゃんと、話したの? 自分たちの気持ち、伝え合ったの? ……学園祭まだ終わってじゃん。諦めるの、早すぎるっつーの。……ロックってさ、地面に這いつくばりながら、泥水すすりながら、どんな状況になっても自分たちを信じ続けて……、そういう、モノなんでしょ。私は、流行りのポップスしか聴かないから、よくワカんないけどさ――」

「ヒカル……」


 ふいに、彼女の名前を呼んでみる。彼女の顔を、まじまじと見つめる。

 中学時代、夢中でメタルの話をしていた私を、呆れたような、でも少し嬉しそうな表情を浮かべながら、黙って聴いてくれていた彼女の顔が、

 目の前で笑う十八歳のヒカルと、薄ぼんやり、重なっていく気がして――


「……ったく、ずいぶん好き勝手言うわよね。アンタ、アタシがどうなっても、知らないから」

「……何その台詞、おかしくない?」


 釣られるように、ほだされたように、私も口元を綻ばせていた。視界に映る景色が妙にクッキリとしており、肩の力が自然と抜け落ちていった。私の脳内、ずっとフタをしていた感情、見て見ぬ振りをしていた気持ち。糸がほつれたその瞬間に、ドッと、溢れ出して――


 ……このまま、終わるなんて、イヤに、決まってるっつーの!


 両掌をグッと広げて、大きな息をふぅーっと吐き出して。

 パンッ――、と。

 私は自身の両頬を、両手で思い切り引っぱたく。

 


「ヒカル、サンキュっ」


 一言そう漏らした私は、図書準備室の入り口へと、ズンズン歩みを進める。

 古ぼけた引き扉に手を掛け――、クルリ、背後ろを振り向いて。


「……ヒカル、前から言おうと思ってたんだけど、そのパーマ、全然似合ってないよ。中学の時の短髪の方が、可愛かったっつーの」

「……うっせ、自分でも知ってるっつーの」


 ヘラッと笑ったヒカルの素の笑顔はどうにも強気で、やっぱり男受けがしなさそうだ。

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