27.「カランッ、と」


 学食前のちょっとした広場、閑散とした地下一階の空間。

 小気味の良い衝突音が、ガコンッ、と。

 身体をくの字にして、自動販売機の開閉口から炭酸飲料を手に取った俺……、真手雷太の喉に刺激の強い甘味が流れて――


「マジで、演れるんだ、学祭で、メタル――」


 誰に向けてでもない独り言が、ポツンとこぼれる。


 すべてにおいて、算段なんてなかった。

 ぶっちゃけ、全部がいきあたりばったりだ。


 軽音部を辞めるってタンカを切った後、一切の後悔がなかったのかと問われれば、言い切れる自信はない。五奏にメタルをやろうって誘った時も、半分は「どうせ断られるんだろうな」って諦めていた。オーディションライブ中、ゾンビみたいな顔で俺たちのライブを観ている連中を見て、「ああ、やっぱりメタルなんて、みんなに求められていないのかな」って、心の底から痛感した。


 周りの連中に「なんとかなる」と言い続けたのは、自信があったからじゃない。……そうしないと、不安で押しつぶされそうになるから、自分自身に言い聞かせていたにすぎない。俺は、自分の心を、自分の声で、騙していたんだ。


「へへっ……」


 自然と、笑みがこぼれた。うずうずと、身体の芯から興奮が押し寄せてくる。

 ずっと描いていた夢の舞台。大勢の観客、重低音が唸りをあげて、この世のものとは思えないほど凶悪な音に、悶絶する程のスピード感に、誰もが酔いしれている。

 そんなイメージが、もうすぐ現実になるのだと思うと、

 ワクワクを、止められる方法なんて、思いつくはずもなくて――


「――あれ~、誰かと思えば、裏切者のライタくんじゃないですか~?」


 ――グイッと、リアリティに首根っこを掴まれた俺の意識が、ハッとなる。

 およそ悪意にみちた、およそ敵意をむき出しにした、

 ……願わくば一生耳に入れたくない、不協和音。

 声がした方に顔を向けると、想像通りのニヤケ顔が二つ。

 ……伊刈、小染――



「……いやー、どうなんですか~? ずっと一緒にやってきた軽音部を捨てて、仲間だった俺たちを差し置いて、学園祭のトリの座を横取りした気分は?」


 妙に芝居がかった口調。あまりの滑稽さに俺は寒気すら覚えていた。一秒でも関わり合いたくないのが本音ではあったが、わざわざ声を掛けてきている連中が早々に逃がしてくれるとも思えない。一言だけ返して足早に去ろうと、この時の俺はそう画策していた。


「……俺を捨てたのはお前らだろうが。……それに、横取りもクソも、オーディション制である以上、誰がどの枠でやるのかを決めるのは審査員連中の仕事だ。恨むなら、選ばれなかったてめぇらの実力不足を恨みな」


「実力不足……、ねぇ。全く、どの口が言えるのかな、そんなコト」


 どこか、空々しいトーン。


「……あっ?」

「お前のバンドが選ばれたのは、金剛寺先生のお情けだって言ってんだよ」


 ……煽ってきてるのは、重々承知だ。でも、その物言い、その台詞。

 ザワリと、一抹の不安が俺の心臓を撫でる。

 およそ聞き捨てるコトなんてできなかった俺は、まんまと口車に乗っちまって――


「……どういう、意味だよ」


 思わず俺は奴らに詰め寄っていた。鼻先三十センチメートルくらいの距離まで近づいたトコロで、それまでニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた伊刈が、スッと真顔に直る。


「知ってるんだよ、ライタ。お前の親父が、昔、金剛寺先生とバンドやってたってコト。プロデビューしたものの、うだつが上がらず、大した結果も出せずに解散したってコト」


 俺の顔面からあらゆる色が消え失せ、今自分がどんなマヌケ面を晒しているのかもわからない。


「メタル界の超新星! なんて……、一時はメディアにはやし立てられていたみたいだが……、結局はメタルブームの終わりと共に底に沈んだB級バンド。時代を変えるなんて夢みたいなコト、所詮はできなかったワケだ」


 ベラベラベラベラ。

 ノイズが、右耳から左耳へ。


「お前の親父の噂……、ネットで調べたらうぞうぞ出てきたぜ? バンドの低迷期から酒に溺れるようになって、暴力沙汰も何件か起こして……、あげくの果てに、家族捨てて行方不明になっちまったんだろ? ――いや~、ライタ……、お前、苦労人だったんだなぁ~、心底、同情するよ……、ホント――」


 ――ダメだ、と、脳内で声が響く。

 相反するように、俺の全身が震えはじめる。 


「――俺たち、『仲間』なんだから、話してくれれば良かったのに。……お前がメタルに固執するのって、親父さんの敵討ち……、みたいなモノだったんだなぁ? 親父さんの代わりに、自分がメタルやって、親父の音楽を世間に認めさせてやるって、そういう『オハナシ』だったんだなぁ? ……いや~、ホント、月9も顔負け、泣ける話で――」


 もう、何も考えられない。

 本能に、抗えない。

 カランッ、と。

 手に持っていた缶ジュースが、床に転がる。



「――てめぇに……、何がわかるんだよッ!?」


 勝手に飛び出たしゃがれ声と共に、俺は伊刈の顔面をブン殴っていた。


「『敵討ち』だと……、っざけんじゃねぇ! 俺は……、俺はなぁ……、親父のためにメタルを……、なんて、そんなコト、考えたコトすらねぇ! 俺は……、親父なんか大ッ嫌いなんだよッ! 顔を想像しただけで反吐が出るんだよッ! アイツが……、アイツのせいで、俺たち家族は後ろ指さされて、おふくろも、みるみる内に老け込んじまって、それでも、一生懸命働いて、俺のコト、養って、くれて……ッ!」


 床に倒れ込んだ伊刈に俺は馬乗りになり、奴の制服の襟首を力任せに引っ張り上げた。

 大口広げて、ツバをまき散らして、ひたすらに声をぶちまける。

 喉が引ちぎれそうだ。でも、やめられない。

 止める方法が、わからない。


「俺がメタルをやってんのは、ただ好きだからやってんだよッ! 世界一カッコイイって……、自分がそう思ってるからやってんだよ! それを……、お前は、お前みたいのに……、『わかってる』ってツラされんのが……、勝手に、同情されんのが……、一番、ムカツクんだよ! クソ野郎ッ!」


 涙で目が滲んでいたと思う。ハァハァと、荒い呼吸が止まらない。

 

 ふと、気づいた。

 眼前の伊刈の、その表情。

 汚いモノを見るような、すべてを蔑んでいるような、

 ――あまりにも、俺のコトを見下した、その目つき。


「蛙の子は蛙、とは、よく言ったものだよな、ライタ」


 ポツンと。

 淡々とこぼれたその言葉の意味を、

 平静を失った俺が理解できるはずがない。


「小染、『撮れた』か?」

「おう、バッチリ」


 ハッ、となった。

 でも、すべてが手遅れだというコトも、瞬時に、悟った。


 伊刈に馬乗りになっている俺が後ろを振り向くと、スマホのカメラを俺たちに向けながら、ニヤニヤ笑っている小染の姿。


「……てめぇら、まさか――」


 そう言葉を漏らすのが精いっぱいで、全身から、萎びたように力が抜けていく。体温が失われていく。腑抜けた俺の身体を乱暴に押し払った伊刈が徐に立ち上がり、パンパンと汚れた制服を払い始める。


「ライタ、世間を知らないお前に、一つ良いコトを教えてやろう」


 魂すら抜け落ちた俺は、バカみたいなアホ面で顔を上げるコトくらいしかできなくて、勝ち誇った表情を浮かべる伊刈が、口角を吊り上げながら俺のコトを見下ろしている。


「学内で暴力沙汰を起こすのは立派な校則違反で、停学処分の対象になるんだよ」





「……ライタ、さすがに遅くない? もう三十分くらい経ってるんですけど」

「途中で疲れて寝ちゃってたりして」

「……まさか、それはないでしょ。五奏さんじゃないんだから」

「――ッ!? わ、私! そんな、ネボスケじゃ、ないもんっ!」


 弾丸のような質疑応答タイムは終焉を迎え、撮影の後片付けをしているクラスメート達を横目に私たち三人は教室で雷太くんの帰りを待っていた。新くんの軽口に思わず私はふくれ面で抗議の意を示し――、っていうか私、最近あらゆる人に子供扱いされている気がする。……じょ、女子高生なのにっ。


 何かに気づいた城井さんが窓に目を向け、露骨なしかめ面を披露して。


「――えっ、雨降ってきたし」

「……うわー、最悪。僕、傘なんて持ってきてないや」


 呼応するように、新くんもゲンナリしたトーンの声を漏らす。


「アハハッ、スタジオまで走りなさいよ。私は折り畳み持ってるから平気だけど」

「えっ、じゃあ入れてよ」

「……い、イヤよ。アンタとベースと私じゃ明らかにキャパオーバーでしょ……、杏ちゃんは? 傘持ってる?」

「……えっ? あ、うん。持って、きた」


 「偉いね」と漏らしながら、いい子いい子と私の頭を撫でるは城井さん。……やっぱり子供扱いされている事案に心の中でタメ息を漏らしながら、同時に頭によぎるは赤毛のトサカ頭。

 どうせ雷太くんは傘なんて持ってきてないんだろうなと、一本の傘の下で二人歩くシーンが脳裏に浮かぶ。――ハッ、となった私は何かをごまかすようにブンブンと頭を振り始め、城井さんが不思議そうな顔で首を斜め四十五度に傾けた。


 その日、いくら待っても雷太くんは教室に戻ってこなかった。

 そして、その日以来、私たち四人がスタジオに集まるコトは、一度もなかった。

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