10.「動物みたいな、ヘンな声」


 なぜ、そうしたのかはわからない。

 ――全力疾走の果て、意識がどこか、うすぼんやりとハッキリしていないせいか。

 ――極度の緊張状態が続き、心がマヒしまったせいか。


 私は、大嫌いな自分の声を、外の世界に吐き出していた。

 雷太くんに向かって、言葉を投げつけていた。


「女の子のくせに……、妙に、低い……、それに、ビックリすると、さっきみたいな、動物みたいな、ヘンな声、出ちゃう……」


 たどたどしい、子供みたいな喋り方。

 でも、一度溢れ出したその声を、今度は止める方法がわからなくなった。


「……小学生の時、みんなにからかわれて……、それから、声、出すの、人と、喋るの、怖く……、なってッ――」


 私のコトを取り囲んでいる同級生たちの顔。

 蔑むような目、ばかにしたような表情、ねちねちと粘っこい声。

 蓋をしていた記憶のイメージが、頭の中でフラッシュバックして――


 耐えられなくなった私は目を伏せた。両腕で顔を覆いつくした。

 ギュッ――、と目を瞑り、私の視界から、一切の光がなくなって。


「ゴソー」


 私と世界を繋いでいるのは、無遠慮に耳に流れ込んでくる、音だけ。


「俺、高校の最後の学園祭、ど~しても、メタルバンド、やりたいんだよ。生半可なやつじゃなくて、マジもんの……、超絶かっこいいライブを、やってみたいんだよ」


 雷太くんの声はよく通る。

男の子らしい野太い声、ちょっとだけしゃがれた……、いわゆるダミ声ってやつ。


「……軽音部の連中じゃ、ダメなんだ。メタルバンドのボーカルはよ、ただ、叫び声あげればいいってもんじゃない……、聴いたやつが、思わずブルっちまうような……、本物の『デス声』を出せなきゃ、ダメなんだ」


 ……急に、何を言い出すんだろう。

 ……デス声って、なんでそんな話を、私に――


 見てる世界が、見えている景色が、雷太くんと私では、きっと違う。

 口を結んで、耳を塞いで、目を閉じて、自分の世界に閉じこもっているだけの私と、

 自信に満ち溢れていて、周りなんかカンケイないって、いつも堂々としている雷太くん。

 私たちは、同じ世界でも、別の次元を生きている。

 二人の人生が交じり合うコトなんか、フツウに考えたら、あるワケがなくて――


「ゴソー、お前、俺のバンドのボーカルやってくれ」


 彼が放ったその言葉の意味を、私はシンプルに理解するコトができなかった。


「――えっ……?」


 思わず、目を開けた。

 思わず、顔を上げた。


 雷太くんが、真剣な表情で、真剣な眼差しで、

 私のコトを、まっすぐに見つめていた。


「お前のさっきの声……、ありゃ本物の『デス声』だ。俺には、お前の声が必要なんだ」


 ……どういう、コトだろう……。

 ……私の声が、必要? あ、あんなヘンテコな、動物みたいな声……。

 ……誰かに、必要とされるワケ――


「……だから、ゴソー――」

「――む、無理ッ!」


 思わず、堰を切ったように立ち上がったのは私で。

 パチパチと瞬きを繰り返し、あわあわとせわしなく両手を動かし、

 だけど雷太くんは、私を逃がそうとしてはくれない。

 まっすぐに伸びる彼の視線が、私の心臓を今にも貫きそうで――


「……私ッ、ただでさえ、人前、苦手なのに、人と、喋れないのに……、みんなの前で唄うなんて、できるワケ……」

「だから、やるんじゃねぇか」


 声が、声に、覆いかぶさって。

 ニヤリと、イタズラを思いついた小学生みたいに、雷太くんが笑う。


「お前のコト、バカにしている奴。喋れないからって、いいように扱おうとする奴。……お前の『デス声』で、全員のドギモ、抜いてやるんだよ。見返してやるんだよ。……楽しくねぇか?」


 音が、止まった気がした。世界が、止まった気がした。

 二人を包む、半円形の空間。

 くっきりと切り取られたみたいに、時間が、止まってしまったような――


 ……楽しい、なんて、考えたコトもなかった。

 ちょっとだけ、想像してみて。

 ちょっとだけ、……ワクワクしてしまって。


 ――私は、一瞬でもよぎってしまった、そんな浮ついた感情を、全身全霊で叩き潰した。 


「無理な、ものは、無理……」


 一言だけ、そう呟いて、私は雷太くんに背を向けた。

 彼の言葉を待つコトもせず、河川敷の坂道を早足で上りはじめる。

 湿った草を踏みつける音だけが、私の耳に響く。


「ゴソー!」


 雷太くんの声は、やっぱりよく通る。

 私の背後ろ五メートルくらいの距離、彼の大声に、しかし私は振り向きもせず。


「お前は! そうやって! ずっと黙りこくっていくのかよ! 自分の気持ち、自分の感情! 誰にも伝えねーで! そうやって生きていくつもりかよッ!?」


 頭に、音が、こびりついて。

 私は思わず両耳を掌で塞ぐ。

 そのまま地面に目を落としながら、

 無限に続くコンクリートの直路を、何も考えずに駆け出した。

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