第3話 小さい手

 教室にいたのは尾田さんだった。驚いたのか、ドサッと鞄を落とす。


「どうしたの?」


 駆けよって、首を傾げていた彼女の両肩をつかむ。


「今、歌ってたのって、尾田さん?!」

「…………」


 突然、詰め寄ったオレに、大きく目を見開いていたけど、何事もなかったように、鞄を拾って、手をっこんでいる。


「勘違いだよ」


 でも、この時間、ここら辺には誰も……


「ほら、コレ」


 差し出してきたスマホの画面には、確かにオレが聴いた動画が流れている。


 ま、まさか。尾田さんが、コノミの動画を?!


「もしかして。尾田さんも、これ好きなの?」


 尾田さんが、コノミの動画を見ていたなんて、驚きだ。しかし、ファンとしては嬉しいぞ! うん!


「ううん、たまたま見てただけ」


 なんだ、たまたまなのか……


 膨らんでいた気持ちは、一気にシュンと、しぼんでいく。だけど、ここはファンとして、布教しておかなくては!!


「オレ、この人のすごいファンでさっ」


 オレは、尾田さん相手に、『アキノコノミ』の魅力について、熱く語りはじめた。


「……それで、いつかは生で歌を聴きたいんだよな!」

「ぷっ」


 ん? なんだ今のは? まさか、オナラ……

 いやいやいやいや、さすがに、尾田さんが人前で、そんな、屁をこくような人間じゃないだろ。

 おい、天満! それは、失礼だぞ!


 自分を罵倒ばとうして、尾田さんを見ると、彼女は口を押さえていた。すこし長い袖から出た、小さくて白い指先が、桜貝のように染まっている。目が合うと、きょろきょろと目を泳がせた。


 そんなにキョドられると、こっちまで、動揺してしまう。


「それでさっ、コノミの、一番見てほしい動画が!」


 オレは思わず、彼女のスマホに手を伸ばした。


 カシャンッ


 尾田さんが、ビクッとして、急にスマホから手を離した。


「あ……」

「あちゃー、ごめん壊れなかった?」


 慌てて拾い、彼女に戻した。オレの手にはまるスマホも、尾田さんが持つと大きく見える。


「大丈夫。ごめん、もうすぐ迎えがくるから」

「あ……そうなんだ。ごめん、引きとめちゃって」


 そうだよな、尾田さんが理由もなく、教室に残ってるわけないもんな。


「ううん。さっきの”一番”だっていうの、よかったら、教えてくれる?」


 え? マジで?! 布教が成功したぞ!!!!

 イヤッホー!!


 飛び上がりそうになったが、どうやら尾田さんは、人と接するのにあまり慣れていないらしい。

 ここは、慎重に、慎重に。


「あ、うん。コレだよ」


 今度は気をつけてスマホを操作する。


 差し込む夕陽で、机の影が伸び、教室が茜色に染まる。

 すぐ横に立つ尾田さんが、落ちてきた髪を耳にかけた。みえた頬も、どこと無しか、赤くなっているような気がした。


 小さな指が画面をなぞる。その様子を見て、なんだか、自分の手と比べてみたいと思った。


 イカン……おれは、尾田さん相手になんてことを考えてるんだ。


「どうしたの?」

「あぁ、いや! 何でもないよ」


 こんな事を知られたら、変態だと思われてしまうじゃないか!

 首をぶんぶんと振って、にっこりと笑う。


「じゃ、私行くね」

「うん」


 教室から出ていく彼女が、鞄中にスマホをしまっている。なんか、可愛らしいイラストが描いてあった。


 趣味なのかな。


 オレは、その様子を何となく見ていた。


「城田くん」

「え?!」


 歩いて行く前に、彼女が振り返る。


「ありがとう」


 え……


 驚きのあまり、返事を逃した。いつも無表情だった尾田さんは、教室の入り口に立ち、目を細めて、ホッとするように笑っていた。


 笑った。


 初めて笑うところを見た。

 オレは、足音が聞こえなくなるまで、ぼんやりした後、夢でも見ていたかのように、ようやく部室に向かうことにした。

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