第2話 雨の数より

 

 ホームルーム前の朝の教室の中、私は雨で湿った靴下を足でこすり合わせながら廊下側の席を見る。

 1番前の扉側……廊下から一番最初に見える席に彼が座っている。


 朝練で疲れた生徒が購買のパンをかじっている様子も、廊下を足早に駆ける生徒も、机に頬杖つきながら昨夜のテレビの話で盛り上がる女子達も、それぞれが色んな思いで学校に来ている。高校3年生になって将来を意識しないといけない時期だけど私はずっと上の空。


 今も教室に入ってきた男子に軽く挨拶をしている彼を見つめながら、いつから心を惹かれていたのかを考える。


 彼は去年の教室もあの席だった。


 例えば――隣の生徒が教科書を忘れた時、さりげなく見せてあげていた。

 例えば――周りに女子達が集まって談笑している時、さりげなく自分の席を勧めていた。

 例えば――荷物を両手いっぱいに持った先生が見えた時、さりげなく扉を開けていた。

 例えば――移動教室の時、爆睡してる野球部の子の肩に軽く触れて起こしていた。


 例えば――私がれいくんの彼女だったら、一緒に家と学校の中間地点で待ち合わせをして手を繋いで登校する。そして教室に入ってきた時にクラスメイトから冷やかされつつ彼の顔を覗き込む。それできっと彼のはにかんだ笑顔を拝めるだろう。

 それからお弁当を教室内で食べるの。その時に彼が私の隣に座って卵焼きを持ちながら。



 ちょっと……恥ずかしいよ。

 いいじゃないか? 見せつけてやろう。

 いやんっ、だって!



「あ、甘いよ。もっともっと……えへへっ」


「……ひな。アンタの顔ヤバいわよ?」


「――えっ?」


 誰だ? 私の至福の時間の邪魔をするのは!


「口から雨漏りしてるってば……本当にヤバい」

「なっ……へ? ってハナちゃん?」


 私が座る机の正面から我が友人の声が聞こえる。


「あっ……垂れた」

「あっ」


 口からの雨漏りをティッシュで修理してくれる優しい友達、花菱はなびしハナちゃん。名前の通り花々した印象の明るい女の子で私の世話をよく焼いてくれる。

 以前、間違って”お母さん”と呼んでしまった事がきっかけでクラスのママ的存在として認知されてしまった。ごめんねハナちゃんママ。


「んで、今日も想良羽そらばねに見蕩れて海中に沈んでトレジャーハントしていたと」

「な、なんの事かな?」

「それで隠せてるって思ってるアンタの頭がヤバいわよ」


 ハナちゃんは何かにつけて私の事をヤバいわよって言うけれど、自分の中では普通だと思う。誰しも憧れの彼氏との憧れのシュチュエーションを妄想するものだ。


「まぁ面白いからいいけど。それで、今回はどんなプランで空回るの?」

「ななな、なんの事かな?」


 回避行動を取るけどハナちゃんママはお見通し。


「ほら、あれよあれよ。ふくくっ……猫神さんの……あのっ……あははっ。ありがたい……お言葉っぐふっ」

「もうっ! 絶対信じてないでしょ?」

「だって! なぁ?」


 私の顔を見ながら目が弓なりで笑い出す。彼女の言ってる事はつまりアレだ。


「喋る猫って……雛。アンタ本当にヤバいわよ……あーっははははは!」

「ん〜もうっ! バカにするなら教えてあげないからっ」


 ハナちゃんは花のある女の子。だけどその実態は笑い上戸でもある。どうやら私の行動全てがツボに入るらしく色んな事を聞いてくる。

 その時うっかりお猫様の事を話してしまったらこのザマだ。そして何を隠そう私の好きな人を言い当てられてしまった。


「雛はわかりやすいんだってば……アンタの好きな人を知らないのは……うふふっ」

「……なによ?」

「なんでもな〜い。それより、今回のありがたい助言は何なのよ?」


「つ〜ん」

「あはは。ごめんってば」


 そっぽを向く私の頬をぷにぷにしながら冗談っぽく笑う。そんな彼女の母性溢れる笑顔が好きでついつい許してしまう。


「今回は――」


 こうした何気ないやり取りが随分長く続いていく。きっとこれからも続いていくだろう。それでも悪くないと心の中で思ってしまう。

 だけど私も高校3年生。あと1年しか彼と同じ空間に存在できないと思うと心が少しざわめいてしまう。



 彼のどこが好きなの?

 ハナちゃんからの純粋な問いに私は口を開けない。それは咄嗟に出てこないからじゃないんだよ?



 どこが好き……そんなの雨の数より多いから。

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