第3話

 楓からの『バイト』の一言で思わず柊は動きを止めた。


(こいつ……なんか知ってるのか?!)


 無いとは言えない。柊に対して遠慮が一切ないから、例えば後をつけたとしてそれがバレても気にしなそうだからだ。

 一瞬で平静を取り戻しつつ知らぬふりをしていると、ズカズカと部屋に入ってきた楓はベッドに腰掛けた。


「でもまさかねー。バイトする必要なんてないもんね、お小遣いたくさんもらってそうだし」


 なんだ、あれは当てずっぽうか。ホッとした柊は見られないように笑みを浮かべる。

「当たり前だろ、適当なこと言ってんなよ」

「じゃ、どこ行ってたのよ」

 しつこく食い下がる楓に、更にうんざりした風を装いながら答える。

「そ……相川先輩んとこだよ。大学の話聞くためにな」

 もちろん違うが、本当のことを言うわけにはいかない。特に楓には。


 しかし柊の言葉にショックを受けたらしい楓は真顔になった。

「うっそ?! 柊、帝東大狙ってるの?」

 ガーン、と言いながら楓はベッドに転がる。もう着替え終わった柊は存在を無視して部屋の電気を消して出たので慌てて後ろから付いてくる。


「同じ大学行きたかったのにー。ねえランク下げようよ」

「バカか。そんなことするわけないだろ」

「だってー、ウチに帝東は無理だってー」

「めでたいな。やっとお前と離れ離れになれる」

「ひどーい、生まれてからずっと一緒なのにー」


 本当だ。ただ家が向かい合わせだと言うだけで何故ここまで付き合いが続いているのか柊にはさっぱり分からない。楓の家も柊の家と見劣りしないレベルだが、何故かしょっちゅう遊びに来るし三日に一度は柊の家で夕食を食べていく。柊と違って両親揃っているのに。


「楓さん、ご飯出来てますよ」

 家政婦の花枝はなえが、柊ではなく楓に声を掛ける。女同士だからなのか、楓が入り浸っているせいなのか。柊がまともに返事をしないためかもしれない。


「やったー、天ぷらだー! ねえ柊、明日は? 放課後ヒマ?」

 黙ってテーブルにつきながら、まだ食い下がる楓にため息をつく。今日と同じ言い訳は使えないし、かといって別の嘘を思いつくのも面倒だ。

「一時間だけな」

「ケチ」

「じゃ行かね」

「分かった! 分かったよー、じゃあ放課後一時間ね!」


 そう言うと、いっただきまーす! と元気な声を上げる。柊は黙って手を合わせただけで箸をつけた。

 花枝は料理が上手だと思う。ただ、味付けは柊の好みではない。申し訳ないと思いつつ常に少しだけ残してしまう。

 きっと花枝はそれが気に入らないのだろうし、楓がいる時は柊が残した分も平らげていくこともあって、楓が可愛いのだろう。


 ゆっくり料理を咀嚼する柊を、楓はそっと見つめていた。


◇◆◇


「ありがとうございましたー」

 チリリン、と、店の自動ドアが開閉する音が鳴る。店舗奥の調理場にいる咲が客の動きを知るのはその音だけだ。広い店ではないが、何かと音がし続ける調理場では注文の声すらほとんど聞こえない。


「真壁さーん、電話注文分、出来た?」

 受付カウンターから声がかかる。ハッとしたように、手元に積み重ねていた弁当を持ち上げた。

「はい、こちらです」

 出来立ての弁当は温かい。温かいまま食べてもらえたら。

 咲が今望むものは、それだけだった。


 夜八時になり、咲の勤務時間が終わる。アルバイトの大学生と交代して店を出ると、微かに雨が降っていた。

 傘の持ち合わせは無かったが、そのまま歩き出す。濡れることに些かの躊躇も無かった。

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