もしも望みが叶うなら

兎舞

第一章

第1話

 薄暗い部屋の中、しゅうの下で女が蠢く。

 規則正しく動きながら、頭の中は冷めきっている自分を自覚し、ベッドサイドの時計を見るとまだ午前二時だった。

 この女との契約は朝六時までだ。まだ四時間もある。

 うんざりして小さくため息をついた時、下から苦情が聞こえた。

「こっち見て。他のこと……考えないで」

 柊は笑みを浮かべた。ただしそれは、女から見れば微笑みでも、柊自身は嘲笑のつもりだった。


(他のことでも考えなきゃ、やってられねえよ)


 をとっとと終わらせようと一気に加速する。大きくなった女の喘ぎ声が耳障りだが、これは諦めるしかなかった。


◇◆◇


 ホテルを出ると雨が降っていた。しかし地下鉄の入口まではそう距離はない。柊は小走りにまばらな人波を避けて移動する。早く帰って、シャワーを浴びてから学校へ行きたい。


 ふと業務用のスマホが鳴動する。どうせさっきの女だと思うと無視したいところだが、客を蔑ろにするとオーナー相川宗司がうるさい。仕方なくメッセージを開いた。


『最高だったよ君♡ また指名するね』

『僕こそ、楽しかったよ。またよろしくね』


 それだけ返して、はて昨夜の客は何という名前だったか忘れていたことに気づいた。


(いいや、後で宗司さんに聞こう)


 丁度自宅方面に向かう電車がホームに滑りこんできた。乗って座席に座ったときには、柊の頭の中から女の記憶は全て消えていた。


◇◆◇


 柊-桐島柊-は、いつも通り一人で学食へ向かう。横を駆け抜けていくクラスメイト達とは一言も言葉を交わさない。交わす必要が無い、と思っているし、そもそも誰も柊に話しかけたりはしない。

 

 しかし、例外が一人だけいる。

「しゅーう! ランチ? ウチも行くー!」

 ボブカットの茶色い髪をぴょんぴょん跳ねさせながら、岸川楓が柊の腕に飛びついて来た。いきなりの行動だがいつものことなので、柊は動じない。ただ、鬱陶しいだけだ。


「うざい、離れろ」

 言いながら楓が抱きしめている右腕を抜き取る。えー、とか何とか言ってむくれている彼女を置いてさっさと学食へ向かうが、楓としてもこれが日常なので慌てずついて行く。


「柊はまたオムライス? 好きだよねー、毎日飽きない?」


 自分は定食をトレイに乗せ、楓は柊の皿を覗き込む。いくら生まれた時からの幼馴染とはいえ、毎度の無遠慮さに柊は呆れ顔を隠さない。


「考えるのが面倒なんだよ……。つーかお前、あっちいけよ」

「やーだよ。柊なんかどうせぼっちなんだから、ウチが一緒にいてあげる」

「いらん。俺は一人がいい」

「ねえねえ、放課後ヒマ? 買い物付き合ってよー」


 楓は柊の言葉を無視して話を変える。だから柊も楓を無視してひたすら箸を進めた。


(今日の放課後は……宗司そうじさんに会うんだよな)


 次のバイトの予定を伝えるから、と言われている。本来ならメッセージアプリで十分なはずの情報伝達も、宗司は柊を呼びつける。理由は分からないが、逆らうのも面倒だから言うなりになっているのだった。


 柊の返事を待たずに、放課後どこへ行こうかと一人で喋り続ける楓の話は、柊の中には全く入ってこない。あっという間に空になった皿をトレイごと持ち上げ、柊は何も言わず席を立つ。


(退屈だ)

 生まれてからずっとそう感じている気がする。

 そう思うと、よく十七年も我慢して生きてきたものだと、柊は自嘲しながら自分に感心する。

 しかし、退屈をどうにかしようとする手間も面倒だった。


 あと何億回息をすれば、この退屈なだけの毎日が終わるのだろうか。


 

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