4. 実家追放

 『ヘイジ・ウィルベスター』

 親から授かった俺の名前。


 偶然か必然か、前世の名前をただカタカナにしただけである。

 ウィルベスターというファミリーネームもこの世界では俺の一家と親戚以外にはほとんどいないため、名字の珍しさも前世と変わらなかった。


 転生して右も左もわからないが、今のところ特に問題はなさそうだ。

 これから、この世界で順調にエリートコースを歩いて、前世でつかめなかったビックチャンスをこの手でつかんでやる!


   *


 ――六歳

 今日から小学校だ、前世の知識を生かして神童と呼ばれてみせる!


 ――結果

 文字が前世と違い、覚えるのに苦労してテストではろくな点が取れなかった。


   *


 ――十二歳

 親が私立のいいところに進学させてくれた。文字もしっかり覚えたし、勉強も部活も頑張っていい青春を送ってやる。


 ――結果

 前世から引き継いだコミュ障のせいで喋れず、クラスでも部活でも孤立していた。


   *


 ――十五歳

 高校生……せめて勉強だけでもしっかりやって、良いところに進学しないと……


 ――結果

 クラスでいじめられ、二年生になるころには不登校になっていた。


   *


 ――現在、二十歳。

 家に引きこもり、数ヶ月は日光を浴びていなかった――



「――あれ? 俺、何のために転生したんだっけ」


 二十年という長い時を経て、ようやくそこに気づくことができた。

 ラノベあるあるの神様転生をした俺は、転生したはいいものの何の目標もなく努力もしていない。


 今は、前世よりは裕福な家の自室で引きこもり、この世界のゲームや漫画を読み漁っていた。


「ちょっとまて! これおかしいだろ!」


 薄暗い部屋の中、思いっきり立ち上がり手にしていた漫画を地面に叩きつける。

 部屋の隅にはポテチに似たお菓子とジュースを貯蔵し、地面には服と漫画が散らかり放題。


 自分が転生したのかすら怪しいと思えるほど、その暮らしっぷりは何も変わらなかった。


「こういうのって、もっとトントン拍子にうまく行くと思ってた! なのにずるずると下へ下へ落ちてく一方! アニメの主人公ってもっと楽に異世界で暮らしてなかったっけ?!」


 今にして思えば、小学生の頃に文字の壁にぶつかって、そこから心が折れたんだっけ。

 一応読み書きはできるし、普通に暮らす分には問題ないが、今の生活はその普通からあまりにもかけ離れている。


「って言うか俺、前世では一応大学出てたよな! なのになんだ今世は! 高校でクラスの奴らにいじめられて、それで心が玉砕して……あれ、俺って高校の卒業資格もないんじゃ……」


 そりゃそうである。

 最後に学校に行ったのは、一年生の終盤辺りだと記憶している。

 二年になる頃には一回も学校に行っていないし、もちろん単位も足りるはずがない。


 転生したヘイジの最終学歴は中卒ということになっている。


「これって……むしろ前世の時よりマズイのでは……」


 前世では大学を出て、そこからごくごく普通の一般企業に就職。

 しばらくは順調に働いていたが、仕事でとんでもないミスをしてしまい、そのままクビに。

 その後は職を転々をしていたが、次第にどこも俺を取ってくれるところはなくなった。


 この履歴がかわいく思えるほど、今の現状は相当やばい。

 どうやら知らず知らずの内に、あの赤髪バニーガール神が予想した通りの方向へ成り下がっていたようだ。


「――最悪……就職できない……」


 今更自分の将来を危惧しても、どうしようもなく遅すぎる。

 これから先、どのように生きていけばいいのかと思い悩んでいた時だった。


 ――唐突に、自室のドアがノックされる。


「ヘイジ様、お父上様がお呼びです。今すぐ自室に来いとおっしゃっていました」


 家で雇っているメイドの一人が、冷徹な眼差しで事務的に用件を伝えてきた。

 勝手に部屋を開けるのはプライバシーの侵害だとか文句を言ってやりたかったが、この無表情メイドの顔を見ると、そんなことを言う気はすぐに失せる。


「――ああ、わかった……今すぐ行く」


「わかりました、では」


 そういうと、メイドはすぐに部屋のドアを閉めた。よほど俺を見たくないのだろう。


 父に会うのだ。あの人は身だしなみには特にうるさいため、この部屋を一歩出たら外だと思っておいた方がいい。

 一応、みすぼらしくはない普通の服装に着替え、すぐに自室から出ていく。


  *


 あっという間に父の部屋だ。

 面と向かって話すのは何か月ぶりだろうか。ノックする手が力んでしまい、変則的なリズムを刻みながら音を立ててしまう。


「――入れ」


 入る許可が下り、恐る恐る中へ入る。


「――遅いぞ。すぐに来いと言ったはずだが?」


「す、すみません。着替えるのに少々手間取って……」


 巨大な窓を背にして椅子に座る父の姿は、二十年間一緒にいても慣れないものがある。

 なんというか威圧的なのだ。


 机の上に両肘を置いて、両手を重ね合わせるように組んでいる。

 そしてその隣には、出産時にあれだけ優しい声をかけてくれて、ここまで育ててくれた母の姿もあった。


「ヘイジ。どうしてお前がここに呼ばれたかはわかっているな」


「えっと……わかりません」


 父の眉間にしわが寄るところを見ると、どうやら選択肢をミスったようだ。

 母の方に視線を向けるが、何かあきらめがついたような……悟ったような無表情で視線を落とし、一切目を合わせてくれない。


「はぁ……私は相当我慢した。お前がイジメられいると知ったとき、確かに私はお前に同情し、学校にも無理に行く必要はないと言った」


「はい……覚えてます……」


「だが今の暮らしっぷりはどうだ? お前のどこに同情の余地がある?」


「――――」


「――昨日母さんと話し合ったよ。そして、一つの結論を出した」


 そう言って父は懐から封筒を取り出し、それを机の上に置いた。

 この時点で、ものすごく嫌な予感がして、頭の中で必死にどう言い訳するかを考えてしまう。

 しかし、


「この封筒をもって、今すぐこの家から出ていってくれ。そして金輪際、この家に帰ってくるな」


「――ちょ、ちょっとまってください!」


 あまりにも薄情に聞こえるその言葉。さすがに黙っていられない。

 確かに、俺が圧倒的に悪いのは確かだが、親と子の関係性がこんなもので切れていいはずがない。


「――なんだ」


 冷徹な、たった一言。

 その言葉は、どこまでも冷たく、どこにも温かさが感じられなかった。


「俺もこのままじゃダメだって気づいたんです!」


 ――いや、違う。

 気づいただけで何も変えようとは思ってなかった。


「いま、どうしてもやりたいことがあるんだ。あと一年、時間をください!」


 ――いや、違う。

 何も行動なんか起こしていないし、何かを成す計画も無い。


「そうだ! 今まで親孝行できなかった分、今日の家事は俺がするよ! メイドたちも疲れてるだろうし、ここは俺に任せて」


「――いい加減にしろ!!」


 初めて見る父の激昂した姿を前に、次に出す言葉が全て白紙に戻る。

 どうしても今を失いたくなくて必死だった。

 ありもしない、なにもない空っぽの言葉だけを並べ、机上の空論なんてものが膝を抱えて笑うくらいの盛大な嘘を言った。それも、両親の前で堂々と。


 しかし、今目の前にいる二人は自分が生まれた時からずっと……ずっと一緒にいた二人なのだ。


 だますことなんてできやしない。そんなこと誰でもない俺が一番わかっていたはずなのに。


「お前は、四年の時間をドブに捨て、掴めたはずのチャンスを逃したんだ。もう私たちがお前にかけられる情けはこれくらいしかない」


 思考が停止した。次の言葉が何も思い浮かばない。


「部屋にあるものは全て質屋で換金する。お前が持って出ていいのはこの封筒だけだ」


 そう言って、机の上に置いてあった封筒をこちらに差し出してくる。

 これを受け取った瞬間、親子の縁が、今まで築き上げたものが全て崩れることになる。

 それでも、もう何も打つ手などない。


「――わかりました……今までお世話になりました。父さん、母さん」


「もう私はお前の父ではない。どこにでも好きなところへ行け」


「――――」


 最後の最後まで、母はこちらを見ようともしてくれなかった。

 俺、ヘイジ・ウィルベスターは二十歳で家を追い出され、家族の縁も切られてしまったようだ。


 踵を返し部屋を出ようとするが、部屋を出る一歩が、家を出る一歩が、どうしても遅くなってしまう。


 しかし、どうあがいても全部俺が蒔いた種なので、ここでもう一度振り返る資格すら俺にはもうない。


「はぁ……明日には飢え死ぬな、こりゃ。あの神にまたお世話になるの嫌だぞ俺。いや、抽選で転生するって言ってたから、多分もう会わないな」


 家の前で元我が家を背にしながら、明日について考える。

 今この現状をどうにかしないと、わずか数日で野垂れ死んでしまうのは明白だった。


 明日が保証されたニート生活から、明日の食糧すらままならないサバイバル生活に落ちてしまったわけである。


「とりあえず封筒の中身は……十万ルピカか……大切に使わないとな」


 封筒の中身は、日本円で十万円ほどのお金が入っていた。本当に最後の恩情だと思える金額だ。


 他に手紙や何か別のものが入っているわけでもなく、ただただお金だけが入っているところを見ると、復縁のきっかけすら与えてもらえないようだ。


「ギルドに行けば仕事の依頼でお金が手に入るだろうが……戦闘経験のない俺があんなところで生計を立てていけるだろうか……」


 この世界にはギルドというものが存在し、様々な仕事を冒険者などに流してくれる仲介業者のような役割を担っている。


 仕事内容は主に魔物退治だから俺とは無縁だと小さいころにメイドが言っていたが、無縁どころがしっかりお世話になりそうだ。


「はぁ……やるしかないのか……」


 未だ足取りは重いまま、他に行く当てもない俺は藁にもすがる思いでギルドがある場所まで足を進めることにした。

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