2. チャンスを掴め

 ――期待、希望、確信。喜びの感情でいっぱいいっぱいだった心にちょっとした隙間ができる。


 ――不安、絶望、疑心。何か得体のしれない、嫌な予感が、ムカデのように自分の心にわさわさと這い上がってきた。


「――は? いや、今、転生させるって」


「言っただろ、私はキミを転生させる気はない。だが、抽選で選ばれたものが転生するかしないかは、転生者本人が決めることだ。私の独断で決めることはできない」


「だったら、何も水を差す必要はないだろ。これってほら、ラノベとかアニメでよくある神様転生ってやつだろ? 俺が前世でもつかめなかったビックチャンスなんだ。それをみすみす逃したくないんだ。それを……俺がどんな気持ちで」


「――キミの母親は、どんな気持ちでキミを送り出したんだろうね」


 途端に何も言えなくなってしまう。

 思い返されるのは、コンビニに出かけるからと言って自分を見送ってくれた母親の顔だ。


 ――そういえば、自分は死んでるんだ。


 死亡して目が覚めたら、すでにここにいた。向こうの世界でどのくらい時間が経過しているかはわからないが、少なくとも俺の死体は発見されているだろう。


「さっきも言っただろ。『キミの情報は全てこの紙に記されているんだ』ってね」


 そう言って、彼女は持っていた紙を自身の眼前まで持ってくると、一瞥したのちにゴミを扱うように俺の前に放り出した。


 履歴書のようなその紙には、今まで自分が目を背けてきた、そして新しい一歩を踏み出そうとしていた今もなお、直視できない現実がつらつらと書き並べられていた。


 なぜだろうか、死んだ今は目の前の紙から目が離せない。本来なら目を裏返してでも、首を捻じ曲げてでも見たくない事実が今更直視できてしまう。


 俺はこんなにもちっぽけな人間だったのか……


「この事実を見て、今なおキミに転生する資格があると思うのかい?」


「――――」


「前世で何も成し遂げず、生産性のない自堕落な毎日を送り、不摂生な生活のせいで体は壊れる寸前。家で両親のために何かをしてあげるのかと思えば、ただただ電気代と食費代を貪るだけの金食い虫。夜な夜なアニメを見漁っては自分の下半身と右腕を動かすだけの無意味な自家発電。成功を掴むチャンスは人の二倍はあったはずなのに、それらすべてをみすみす逃す理解のできない行動。いったい何のために生まれてきたのかも」


「もうやめてくれ!」


 もう、やめてくれ。

 改めて聞かされた事実は、客観的に見ても主観的に見ても『酷い』の一言に尽きる。この言葉以外で納める方法が正直思いつかない。


「もう……やめてくれ」


 気づけば泣いていた。

 自分の不甲斐なさ。両親への懺悔。そして死んでしまったが故に二人に何も言い残すことのできなかったもどかしさ。


 あの時の『いってらっしゃい』が心の中で今更むなしく響き、『おかえり』をどうしようもなく求めてしまう。


 後悔はいつだって後に来て、過去の自分が未来の自分を縛り付けていき、それを繰り返していくだけで自己というものが形成されていく。


 紙に記された自己とやらは、どう頑張っても救いようがなかった。


「これで理解しただろう。たとえキミが異世界転生しても。どんな境遇に生まれ落ちたとしても。前世と何ら変わりのない、自堕落な日々を送るに決まってる。人は決定的な外的要因がない限り、自ら変わることなどほぼ不可能なのだから。キミのようなどうしようもない人間は特にね」


 彼女の言っていることは、何も間違っちゃいない。

 全てが事実で嘘偽りのない本物なのだ。


 だからこそ、何も言い返す言葉が浮かばず、ただ地に伏せ涙を地にしみ込ませることしかできなかった。


「――戻ることはできないのか」


 震えた声。俺が聞いても、誰が聞いても情けなく思えてしまう声で、最後の希望を手探るように、懇願するように質問をする。


 しかし、


「一度死んだ命は神の力でも戻せないさ。キミの選択肢は二つ。異世界転生するか、天国で元の世界の来世を待ちながらほのぼの暮らすか。私は断然後者をお勧めするね」


「地獄はないのか?」


「神は理不尽に平等だ。そんな人間が描いた仮想の苦しみは存在しないよ」


「――そうか」


 もう異世界転生する気など起きなかった。


 天国でほのぼのと暮らすのもそれはそれでアリな気がしてきたし、彼女もその方がいいといってくれてる。


 神様の彼女がここまで言うということは、それが正解なのだろう。


「さあ決めたまえ。賢明な判断を期待するよ」


 選択の時は目の前まで迫っていた。

 とはいっても、答えなどとうに決まっているし、もはや変える選択肢は切り捨てているも同然の状態だ。

 そして、自分の出した答え、それは


「――俺は……天国に……」


「そうかい、運が良ければ歴史の教科書に載っているような偉人に出会えるだろう。そう言う人たちから人生について教えてもらうのも面白いだろうね」


 特に準備をする必要もないのか、彼女が自身の手を暗闇の天に伸ばすと、中指と親指の腹を重ね合わせる。俗に言う指パッチンの体制だ。


 見送る死人を一瞥すると、指をはじくために手に力が加えられる。

 その瞬間は、刹那と呼んでもいいほどの時間であろう。


 とっくに死んでいるはずなのに、もう一回死ぬような感覚に襲われてしまう。


 それ故か、車に轢かれそうになった時と同様に、走馬灯が頭の中を走り抜けていく。しかし、内容としては同じはずのため、今の気分としては録画したアニメを見直すような感覚だ。


 それでも、ここまで気分が沈むわけではなかったが。

 彼女の指がこすれ、音が鳴るか鳴らないかの寸前のタイミングだっただろうか。


「――ちょっと待った!」


 どうしても今ここで確認しておかなければならないことが一つだけある。

 そのため、死人を見送る彼女の手を、俺はなにがなんでも引き留める必要があった。


「どうしたんだい、遺言なら聞かないよ。私に言っても意味がないからね」


「違うんだ。どうしても、これだけは確認しておかなきゃいけないことがあった」


「天国での暮らし方なら、向こうの人に聞くといい。天国は人の心を穏やかにする場所だからね。誰に聞いても懇切丁寧にいろいろ教えてくれるよ」


「違う。そうじゃないんだ」


 記憶の整理がもう一度行われている中、彼の脳裏に新しく追加された映像を見ると、どうしても気になる点があった。


 それは、罵詈雑言の嵐を浴びせた時の、神も意識して言ったかどうかわからない、あの一瞬のたった一行の文。


「さっき言ったよな。『チャンスを逃すのは理解ができない』って」


「ああ、確かに言ったね」


「だったら、今ここに転がっているチャンスも、逃すのは理解できないんじゃないか?」


 正論の嵐の中に、一瞬だけ悪戯な風が吹いた。

 弱くて本来なら何の影響も出ないそよぎ風。


 その風が吹いた瞬間、バタフライエフェクトのように風が連鎖を巻き起こし、彼の倒れた心を起き上がらせ、正論の武装に一つの穴を開けていった。


「へぇ、私が与えた唯一のチャンスに気づいたか」


「俺はこのチャンスを逃すつもりはない。天国行きは来来世まで先延ばしだ! 俺はここから異世界転生する!」


「正直私の本心としては、キミには天国に行ってもらいたい。だが、それを決めるのはさっきも言った通り転生者であるキミ自身の役割だ」


 全てをあきらめかけていた土壇場で、光明をつかみ取る。


 今までチャンスを全て逃してきたのは、今この瞬間を乗り越えるためといってもいいほど今の自分は正直生涯で一番輝いていた。

 とは言ってももう死んでるんだけど。


「そして、そんなキミにスキルを与えるのは私の役割だ。キミにはとびっきりのギャンブルをしてもらうよ」


 神が天国行きのために構えていた指を鳴らすと、目の前に宙に浮いた三枚のカードが裏向きに目の前に出てきた。


 先ほど地面に散らばっていたものとは明らかに雰囲気が違う。雑多の中からいいものを選ぶというよりも、厳選された何かから最高か最悪を選ぶように見える。


「キミと運命共同体になるであろう三枚のカードだ。一枚目は、さっき散らばっていた中から適当に選んだ使い勝手が良いわけでも悪いわけでもない普通のスキル。二枚目は、この世界において持ってるだけで世界一の力を得られる最強のチートスキル。三枚目は、なんの役にも立たず、持ってるだけでも恥になる最悪のクソスキル」


「本当にとんでもないギャンブルだな……」


 さっきのカード選びとはわけが違う。

 この引きで、来世の転生の優遇待遇何もかもが決まるといっていい。


 背面の柄は……全部一緒か。カードの縁に傷がついているわけでもない。匂いも全部一緒。


 どこからどう見てもこの三枚のカードは同じように見える。

 それも、裏を返すまでだが。


「――神は不平等にチャンスを与える。さあ、キミはこの不平等をどう考え、どう選び、どう決める?」


 いや、どうするも何もこれ完全に運ゲーじゃん。


 神様の前で『神様の言うとおり』をするのは、どうにも気が引けるし、神頼みはどう考えてもハズレの予感しかない。


 自分で全てを決めなければいつまでたっても前には踏み出せないのはわかりきってる。


「――このカードだ。俺はこのカードに賭ける」


 だからこそ自分は、前に突き進むという意味を込めて、真ん中のカードを選択した。


 裏返す必要はない。自分で考え、自分で選び、自分で決めたこの一枚に、俺は来世の人生を全て賭けることにしたのだから。


「いい選択だ。スキルは職業ジョブとして、キミが生まれた瞬間に頭の中で開示する」


「今ここで見るわけじゃないのか?」


「最終確認があるからね。とはいっても、キミが選んだスキルは私が確認する必要もないだろう」


「その口ぶりだと、もう何を選んだのかわかってるのか」


 玉座に座りながら頬杖をする彼女の顔は、何を考えているのかわからないくらいにニヒルに笑っていた。

 赤髪バニーガールには似つかわしくないその笑みは、嬉笑か嘲笑か。


 どちらにしたってもう後戻りはできない。

 天国で偉人たちの話を聞くのもそれはそれでいいかと思うが、過去の武勇伝より、未来の大冒険の方が数倍は良いに決まってる。


「それじゃあ、キミの旅路に幸多からんことを」


 見送る旅人にこれ以上言うことはないのだろう。もう一度彼女はスポットライトが差す真上へと手を伸ばし、指と指の腹を重ね合わせる。


 俺に、そして彼女に待ったをかける要因はもうなにも無かった。


 自身を照らすスポットライトの光が、徐々に強くなっていく。

 まるで、今の自分を称賛してくれているかのような、新しい旅路を祝ってくれているような、そんな暖かい光だった。


 そのまま光の中へ飲まれ、視界が白に染まったのち、アニメの場面を切り替えるかのように暗転した。


「はぁ、本当に行ってしまった」


 彼がいなくなった神の部屋は、先ほどの騒ぎから一転して、彼女の声と足音を静寂が際立たせるだけだった。


「さて、片づけをしよう。それにしても百々平次クン」


 歩きながら地面にある彼の資料を空中に浮かせ、そのまま生き物のように動かして、一枚の束にする。

 彼女はそれを手に持つと、どこかへとテレポートさせたのか、一瞬にして紙束は消えてしまう。


 最後に残されたのは、彼が選び取った一枚。

 彼女は左右のカードを空間から除去すると、彼のスキルとなるカードを表に向ける。

 その面には黒い太文字でたった一つの単語が書かれていた。


「――キミってやつは本当に……チャンスをよく逃す」

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