ふしぎメガネとひみつのカフェ

乃木ちひろ

1 サイアクの月曜日

 放課後ほうかごの月曜日、体の中がチクチクもやもやする。わたしはピアノ教室から帰りの坂道をずるずる上っていた。

「明日学校やだなぁ…」


 教室の席は前から二列目。けれど黒板の字がぼやけてしまい、ついに昨日メガネを買ったんだ。赤いフレームの角に緑色のクリスタルがついているのがイチゴっぽくて気に入っていたのに、教室に入ったとたん、いきなり言われてしまった。


『あははっ! へんな顔ーっ!』


 同じクラスのタケトは、わざとイスをガタガタさせたり、授業中なのに工作したりして、先生によくおこられている。小学六年生にもなって、なんでそんなことするかなぁ。


 でも声がでかいアホタケ(アホ+タケト)につられたように、クラスのみんながクスクスわらっていたのが、メガネで視界しかいがクリアになったわたしには見えてしまった。


凛花りんかっ! アホタケが言うことなんて気にすることないからね」

 親友のさくらはそう言ってくれたけど、今日はサイアクだ。もう泣きたいくらい。


 だってノートを書いているとメガネが下がってきて鼻がかゆくなるし、体育で走ったらガクガクゆれるし。常に目に入る赤いフレームがとにかくジャマ。


 きわめつけは、学芸会がくげいかいげき配役はいやく決めの時。わたしは『お姫様ひめさまの付き人1』をやりたかったのに『メガネかけた付き人って、なんか合わなくない?』と、クラスで一番が高い美雨みうが言い出した。もうブラをしてるのをさりげなく自慢じまんしてきたり、ヤな感じなんだよね。


「お姫様をやりたいなんて言ったわけじゃないのに」

 そんなわけでわたしは付き人ではなく、姫がおしのびでやって来る村の村長にされた。メガネが政治家せいじかっぽいって理由でね。


「もう、全部メガネのせいだ!」


 だからメガネを外した。ピアノ教室では音符おんぷが見えなくて、先生からだいじょうぶ? って聞かれたけど、今もつけていない。

 ピアノだってもうやりたくないし。卒業式そつぎょうしきの歌の伴奏ばんそうオーディションのために練習れんしゅうしてきたけど、それもやめるんだ。


 夕暮れであたりは暗くなってきて、だんだんよく見えなくなってきたけどいいもん。もうメガネなんてこりごり。なんでうちはパパもママも目がわるいんだろう。わたしの視力しりょくが落ちたのもぜったい親のせいだ。


 きゅうな坂は、雪がもったらソリすべりがちょう楽しいんだけど、今日みたいに体が重い日にはうざい。

 家のまわりは右も左も坂ばっかり。坂を上りきると、道路にくるりとかこまれた坂の上公園に出る。ブランコとすべり台と砂場すなばしかない公園だけど、四年生まではよく遊んでいた。今は近道ちかみちに使っている。


 ここには野良のらネコがよくいたんだけど、なぜか最近見ないなぁ。


 公園から駅の方を向くと見える高いビルは、マンクス製薬せいやく。パパがはたらいている会社だ。


 公園をつっきった向こうには、このあたりで一番大きなお屋敷やしき。高いかべと大きな庭木で中を見ることはできないけど、門の隙間すきまから見えるお屋敷は古い。ネコ屋敷って呼ばれてるけど、一体どんな人が住んでいるんだろう? 


 家の方に向かう道は下り坂だ。一つ目の坂を下ると、木がわさわさしげった神社じんじゃがあって、夏にここを通るとセミの声に耳をふさがれたみたいでほかになにも聞こえなくなる。


 坂は左に大きくくねって、神社のへいにそって進む。家までは、あと三つ坂を下りないといけない。

 二つ目の坂を下り始めた時、左手に黒板の看板かんばんが出ているのに気づいた。


「なんだろう…こんなところにお店なんてあったっけ?」

 メガネをしていないからぜんぜん見えない。


【ようこそ ネコのミルクティーカフェ ロシアンブルーへ】


「ネコのカフェ!?」

 ネコにさわれるのかな? 黒板には白でネコのシルエットがえがかれている。


 それに最近さいきんミルクティーにハマっているんだ。ペットボトルしか飲んだことないけど。お店のミルクティーってやっぱりおいしいのかな? どんなふうにちがうのかな?


 お店は三階建さんかいだてのおうちで、一階部分がカフェのようだ。こげ茶色の木の玄関げんかんドアの上に、レンガかべのアーチじょうのポーチ。ポーチの屋根やねは三角形で、赤色のウロコ模様もようだ。まるで絵本で見たおしろとうみたい。


 温かみのあるランプが一つともり、わきには深緑ふかみどり色の葉っぱの木が黄色い実をいくつも下げて「どうぞお入りなさい」と言っている。


「すてきなお店…!」

 玄関横げんかんよこまどに、内側うちがわからもう一つ黒板が立てかけてあるのを見つけ、わたしはけよった。


 ミルクティー 400円

 ハニーミルクティー 450円

 いちごミルクティー 500円

 アップルミルクティー 500円

 ロイヤルミルクティー 500円

 今週のスイーツセット 950円


「わあぁ! はちみつ入り! いちご!」

 450円なら持ってる。今月は目当てのマンガが出ないから、おこづかいはそっくりのこってるんだ。


 おおおおいしそう! でもお店に一人で入ったことなんてないし、緊張きんちょうするなぁ。ママもをさそってみようかな。でもうちのママ、ケチだしなぁ。入ってみようかなぁ。子供こどもが一人じゃダメっておこられちゃうかな。


 メニューを見ながらずっとまよっていたから、店の中からじっとこちらを見ている人がいるのにちっとも気づかなかった。

 まどガラスの向こうから見下ろしていたのは、青く光るひとみ


「…!!」

 後ろからものすごい力できかかえられて、足が地面じめんからいた。声を出そうとしても、口をふさがれてて無理むり。レッスンバッグに防犯ぼうはんベルがついてるけど、うでさえられてとどかない。


 やだっ! 誘拐ゆうかいされるの!? ころされちゃうの!?


 かみつこうとしたり、足をジタバタして抵抗ていこうするけど、無駄むだだった。

 テレビみたいに黒いワゴン車に乗せられて、海の近くの工場こうじょうれて行かれるのかと思ったら、そのままカフェの中に引きずられる。


「うべっ! いたーい!」

 いきなりチョコレート色のゆかに落とされてキュロットパンツのおしりをつ。でも、げなきゃ!


 まわりも見ずに起き上がりダッシュしようとしたら、さっきの人に押さえつけられて、また床にころんでしまった。


「お前、何を見ていた?」

 上からってきた声の主は、青い目の男の人。ガラスの中からわたしを見ていたのはこの人だ。ふわっとした灰色はいいろかみに、白いシャツに黒いエプロン姿すがた。大人じゃないけど、カフェの店員なんだろう。


「なにを見たのか正直に答えろ」

「メ、メニューを見ていただけです」


「見え見えのうそをつくんじゃない。子供こどもだからって見逃みのがしてもらえると思うなよ」

 なぜか男の人はものすごくおこっているみたいだった。


「本当ですっ! うそなんかついてません!」

「じゃあどうしてあんな近くで? まるで店の中をのぞきこんでいたよな?」

「それは…メガネしてないから見えなくて…」

「それが見え見えのうそだって言うんだよ」


 すると男の人は、わたしの後ろにいたもう一人に向けて目で合図あいずする。ふり返ると、黒いかみの大きな男の人だった。

 男がレッスンバッグをひっくり返すと、中身なかみゆからばる。楽譜がくふ、ソルフェージュに五線譜ごせんふノート、ペンポーチ、ネコの耳がついたメガネケース。


「なにするの!」

「一体おれたちの何をさぐっている?」

 灰色の男の人はノートをひろい上げて、パラパラとめくる。

 さぐる? なにを言ってるのこの人?


 その時、ひざにネコ耳メガネケースが当たる。そうだ! この犯罪者はんざいしゃたちの顔をしっかりおぼえておかなきゃ。これは立派りっぱな”らちかんきん”だもん!


 目にもとまらぬはやさとはこのこと。ケースを開けてイチゴメガネをかける。


「え………っ」

 さっきまで、灰色はいいろかみで青い目をした人だった。

 けれど今、わたしの目の前でノートをめくっているのは———


「なんでネコなのぉ———っ!?」


 白いシャツと黒いエプロン姿すがたで、灰色はいいろのフワフワしたネコが後ろ足で立ち、二本の前足でノートを持っていた。

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