第25話 狙われる、虚弱な細マッチョの背中。


 結局、春風さんは今日は欠席することになるらしい。

 一応、昼休みに、栗本さんがメッセージを送ったらすぐに返信が返ってきたけど『……ごめんなさい』というメッセージが返ってきただけだった。


 それでもチャイムはなり、授業が始まる。

 そのチャイムを聴いていると、俺はどこか後ろめたさのようなものを感じた。


 やっぱり一年前の出来事。それが原因で、こうなってしまっている。


 そんな俺は、こうして学校に来ている。そして春風さんは休んでいる。

 栗本さんも、あの時のことは、まだ気にしている様子だった。

 でも、栗本さんは本当に、とばっちりを受けただけだ。「隠川くんの好きな人は、栗本さん」と誤解され、それを振ったことになっているだけだ。だから、本当に申し訳ない……。


 そう思っても、本当のところは本人しか分からない。


 そして、俺は多分、それを本人に聞けない。


 だから、こんな風に一人であれこれと悩んだふりをしている。


 結局、こうして学校に来るようになっても、俺は物置に引きこもっていた時と、対して変わっていないのだ。


 そう思いつつ、五時間目の授業を受ける。

 五時間目は体育だった。



『隠川くん〜〜! もっと、しっかり手を振って走れ〜〜! 頑張れ〜〜!』



「……すっ、すみま、せん……」


 ゼー、ゼー、と言いながら、グラウンドを走っている俺……。

 満点の青空の下、息を荒げながら死にそうになっていた。


 よ、横腹が……痛い……。


 今日の体育は、マラソンだった。

 校舎外に出るのではなく、グラウンドを5周回るというものだ。


 一年間、引きこもっていた俺にとって、拷問みたいな内容だった。


 一応、物置に引きこもっている間、軽いトレーニングはしていたけど、ダンベルを使ったり、スクワットをしたりぐらいで、走ったりはしていなかったから、体力は皆無だ。だから……きつい……。


「見て! 隠川くんがやばいよ!」


「男子でダントツで一番最後だ! 虚弱体質とか、反則じゃん!」


「細マッチョなのに、体力なくて、それでも頑張ってるって、無性に応援したくなる! 私の好みのドストライクなんですけどぉ!」


「「「私も〜」」」


 ちなみに、男子は俺以外のほとんどがすでに走り終わっている。

 そのせいで、俺は少し時間をズラしてスタートした女子たちと、走ることになっていた……。


「お! 隠川くん、追いついちゃった!」


「あっ、安良岡さん……」


 後ろから俺に並ぶ人影が。

 安良岡さんだ。宝山院くんの彼女さんの、あの安良岡さん。

 後ろで髪を結んで、ポニーテールの髪型になっている。

 半袖、半ズボンの、色は赤の体操服に身を包んで、その姿は涼しげだった。


「や、安良岡さん……足、速いね……。しかも、余裕そうだ……」


「ふふふっ、これでもスポーツは得意なの! 体力にも自信はあるの!」


「そっ、そうなんだ……」


 ぜー、ぜー、言いながら、俺はスピードを合わせてくれている安良岡さんと言葉をかわした。

 グランドの砂利に足を取られそうになりつつも、なんとか転ばずに走る。


「っていうか、隠川くん。何か悩みがあるのかな? さっきから、考え事をしながら、走ってるっぽいぞ〜」


「べ、別にそんなんじゃ……」


「うっそだ〜っ。一発でわかったもんっ。もぉっ、授業に集中しないとだめだよっ。この、細マッチョっ」


「ほ、細マッチョ……」


「それに、悩んでることがあるのなら、なおさら走るんだ。走って、悩みをスッキリさせるだ!。がんばれっ、青少年っ、応援してるぞっ!」


 バシッ!


「ちょ!」


 えへへ、と笑いながら、俺の背中を叩いた安良岡さん。

 ……かなり痛い!? そして、安良岡さんは俺から逃げるように、タタタタタと颯爽と走り去っていった。


「「「……! それだ……!」」」


 ここで、ギラリと背後で、殺気のようなものを多数感じた。

 直後、ドドドドドドド! と、後ろにいた女子生徒たちが一斉に走ってきていた。砂煙が立っている。そして、その女子たちは俺を追い抜いて、その抜き側に俺の背中を、ビシバシとしばき倒していた。


「あ、ちょぉーー!」


「えへへっ。隠川くん、がんばっ」


 バシッ!


「い、痛いッ!?」


「ほらっ、隠川くん、ファイト!」


 ベシッ!


「痛いッ!」


「ん、もぉ、隠川くんはしょうがないなぁ〜!」


「い、痛い!」


 ビシバシと、ビシバシと、まるで喝をいれるように。

 そして、その女子たちは、頬を赤く染めて満面の笑みを浮かべると、「きゃ〜!」と言いながら、走り去っては、また別の子がやってくる。エンドレスだった。


「やばい! 隠川くんの背中叩くと、めっちゃ、こっちまで元気でる!」


「分かる! 私、絶対、この手は洗わない!」


「叩いた時の反応も可愛い! 汗とかも、かわいい!」


 そして、あの子もやってきた。


「ハァ、ハァ……隠川ぐんっ、やっと、追いついたぁ””」


「ふ、冬下さん!?」


 背後にのっそりと現れたのは、髪を振り乱して走る冬下さん。……でも、一瞬誰か分からなかった。冬下さんといえば、俺の前の席の子だ。今日の二時間目、消しゴムを貸した冬下さん。


 清楚系で、綺麗系の彼女なのだが、今は全然違う……。なんというか、かなり必死だ……。目が、血走っている。髪が振り乱されている。若干、怖くなっている……。


「か、隠川くん、待って! わ、私も、しばきたい! 隠川くんの背中、私だけのものにしたい!」


「い、いや、ダメだってっ」


 ……どうして、しばこうとするんだ!?


「あ、こら、逃げないでぇ!」


 俺は必死で冬下さんから逃げた。冬下さんは、髪を振り乱しながら、追ってきていた。


「……噂に聞いたことがある。確か、冬下さん、『消しゴムの番人』って二つ名が付いてるって」


「「「そ、それって……」」」


 近くで、女子たちが真剣な顔で語っていた。


「かつて、小学生の時……シャープペンシルの後ろの部分を使われた冬下さんは、相手の男子を手提げ袋でボコボコになるまで痛めつけたって……。それで、一時期、人の心を失っていたって」


「な、なな、なんのことかなぁ……!?」


 冬下さんは、すっとぼけていた。

 焦りながら、そっぽを向いている。


「〜〜〜〜〜っ」


 そして、冬下さんは真っ赤になって、走り去ってしまった。


「あっ」


 そして、最後にやってきたのは栗本さんだった。

 栗本さんは一定のペースで走っていたようで、俺たちは自然と横並びになる。


「隠川くん、どうも」


「うん」


 そう言葉を交わす。昼に少し喋ったから、緊張はそんなになかった。

 栗本さんも、走るのはそんなに得意ではないらしい。でも、息は整っていて、無理のないペースで走っているみたいだった。


 だけど、そんな時だった。


「あ、栗本さんーー」


「あっ」


 グラウンドの地面。そこに足を取られて、バランスを崩す栗本さん。

 前のめりになり、こけそうになっていた。だからその瞬間、俺は手を伸ばし、支えになるようにした。すると、彼女は俺の手を取って、バランスを立て直していた。


「あっ、ありがとうございます……」


「ううん。どこも捻ってないかな……?」


「は、はい、大丈夫みたいです」


「それならよかった。もうすぐゴールだから、もう少し頑張ろっか」


「は、はい」


 頷き合う。そして栗本さんは慎重な足取りになって、そのままゴールした。俺もゴールした。


「最後の隠川くん! めっちゃカッコ良かった!」


「倒れそうだった栗本さんのこと、支えてあげてた!」


「スマートだった!」


「あ、ありがとう……」


 俺は息を整えながら、周りでそう言ってくれる声にそう返した。

 あと、なんとか、走り終えて、とりあえずは一安心だ……。でも、やっぱり体力はどうにかしたほうがいいかもしれない……。周りと比べると、明らかに足も遅い。横腹も痙攣するぐらい痛い……。


 一年というのは、思った以上のブランクだった。

 俺は横腹を押さえて、周りで元気そうにしている同級生を見ながら、改めてそれを実感するのだった。



 *  * * * * * *



 そして、そんな風に授業が終わった後の放課後。


「あの、隠川くん」


 とんとん、と優しく肩が叩かれて、見てみると、そこにいたのは栗本さんだった。

 今日、こんなふうに話しかけてくれたのは、2回目だ。


「隠川くん、今日、何度も話しかけてごめんなさい……」


「あ、ううん、全然」


「ありがとうございます。それで、ですけど、放課後、時間はありますか……? 実は春風さんの家に行こうと思うんですけど、もしよろしければ、隠川くんも一緒に……と思いまして……」


 そう言った栗本さんは、恐る恐ると言った風に俺の顔を見ていて、そんなお誘いをしてくれたのだった。

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