第3話 久しぶりの幼馴染


 別れはいつだって突然だ。

 それを俺は高校入学前に、この身で体験していた。


『私、明日からおばあちゃん家の方で過ごすことになったの。だから、お別れだね』


 桜も咲き始めた三月の終わり。

 俺にそう言ったのは、栞音詩織という少女だった。


 隣の家に住んでいた女の子で、幼い頃からよく遊んでいたから、いわゆる幼馴染というやつだと思う。


 本当なら、同じ高校に進学することになっていた。

 しかし家の事情で、急遽、おばあちゃん家がある田舎の方で過ごすことになったらしい。

 中学を卒業し、高校生になるタイミングでそれを告げられて、詩織とはそれっきりだった。


 別れ際のあの時のことは、今も覚えている。


 遠ざかっていく彼女の後ろ姿。目に光るものがあった。多分、気のせいじゃない。別れ際の彼女は多分、泣いていたのだ。



「あ、いや、あの時の私は花粉症だったから、泣いただけで……」


「……勘違いだった!?」


 三年越しに明かされる事実。


 とにかく、それが、俺と栞音詩織、という少女の最後の思い出だった。



 それなのに……扉の向こう側から、会えなくなっていた詩織の声が聞こえてくる。


 これは夢なのだろうか……。

 でも、聞き間違えるはずはない。これは詩織の声だ。


 ちなみに扉は閉めているから、あっちの顔はまだ見てない。


 久しぶりの幼馴染との再会は、扉越しでの再会だった。


「私、こっちに帰ってきたんだ。ついさっき」


「そうだったんだ……」


 懐かしい声。ずっと聴いていた喋り方。

 俺はそれを耳にしながら、閉ざされている物置の扉に近づいた。


「もお君、久しぶりだね。私、そんなもお君に言われたいことがあるんだけど、久しぶりに帰ってきた私に何か言うことはないのかな?」


「あ、うん……。お、お帰りなさい。栞音さん……」


「……どうして苗字呼び!?」


「だって……もう三年だし……」


 そう、もう詩織と会わなくなってから、まるまる二年、今年で三年目に突入している。

 だから、軽々しく、呼べない。

 久しぶりに会った彼女と、どう喋っていいのか分からない……。


「そうなんだ……。でも、とりあえず久しぶりに、もお君の顔見たい。だから、そっちに行っていい?」


「……いや、こっちはだめだ……。顔見せは、また今度がいいと思う……」


「いいじゃん。今、会いたいのっ」


「でも……こっちは狭いし……」


「物置だもんね。農具とかを置いとくとこ。懐かしいね。昔はその物置を秘密基地にしたりしたもんね」


 扉の向こう側から、くすりと小さく微笑む声が聞こえてきた。


 ……懐かしい思い出だ。

 遊びで秘密基地を作ったんだ。

 狭い物置は、小さかった俺たちにとっては十分な大きさだった。


 詩織が親と喧嘩した時なんかに、よく俺を誘って、この物置に家出をしに来ていたりしていた。


 ……だからだったのかもしれない。

 その思い出があったから、俺は今の引きこもり場所として、ここを選んだのかもしれない。


 ここは、妙に慣れ親しんだ場所だった。

 ここにいると、昔の思い出も自然と思い出してしまう。


「もお君、昔のこと、どれぐらい覚えてる?」


「どうだろう……。もう、忘れたかも」


「え〜、ひどい!」


 と……、俺はそうは言ったものの、本当のところは全部覚えている。

 今こうして詩織と喋っているだけでも、忘れられない思い出が湯水のように溢れてくる。


 ……でも、それは同時に、忘れたいと思っていたことでもあった。

 今の俺自身には、思い出す資格のない思い出のように感じた。


 あの頃、当時、五歳ぐらいだった俺の心は、まだ純粋だった。

 そんなあの頃の思い出を今の俺が思い出すと、なんだか死にたくなってくる。


 詩織と喋っていると、尚もそう思える。


 今の自分。引きこもって、ひよって、意気地がなくて。

 そんな自分を、あの頃の詩織と、今の詩織、久しぶりに会った幼馴染に対して、胸を張れるだろうか。……無理だ。どうやっても、胸を張れない。


 ダサい。

 今の俺は本当にダサいと思う。


 だから、忘れたかった。


 そして、詩織だけには見られたくはなかった。


 そんな自分を隠すように、俺は手を伸ばし、物置の扉を開けられないように手で抑えた。


 ……恐らく詩織は俺がここに引きこもっていることを、すでに母や妹から聞いているだろう。

 それで、ここに来て声をかけてくれたんだ。扉越しに。気を使って。遠回しに、俺を励ますために。昔から、詩織はそうだったのだから。


「……聞いたよ。もお君。引きこもったんだってね。ぎゃはは!」


「……励ます気、微塵もなかった!?」


 大笑いの声が扉の向こう側から聞こえてきた。

 同情の言葉でもなく、気を使う様子もなく、昔と同じ無邪気な笑い声だった。


「ひぃ〜、ひぃ〜、も、もう、高校三年になるのに、引きこもってるってっ。しかも、引きこもり場所が物置って……。ふふふ……ぎゃはははは! あ〜、お腹痛い〜」


 爆笑だ。


「……なんだよ」


 ……なんだか肩の力が抜けてしまった。



 ゴゴゴ……。



「おっ」


 俺は扉に手をかけてゆっくりと動かした。

 眩しい日差しが差し込んでくる。それでも俺は瞬きすることもなく、向こう側に目をやった。


 あれだけ開けたくないと思っていた扉は、簡単にすんなりと開けていて。


「……久しぶり、詩織」


「うんっ。三年ぶりだねっ、もお君」


 どこか昔の面影がある懐かしい顔。


 ちょっと、髪が伸びただろうか。


 それでも、見ただけですぐに分かる顔だった。


 久しぶりに会った幼馴染。

 もう会えないかと思っていたけど、再会は突然で、眩しい彼女を見ていると目が眩みそうになり、俺はなんだか顔をしかめてしまうのだった。

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